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歴史と文化の道
鹿児島市城山町の辺りに「歴史と文化の道」という散歩道がある。鯉の泳ぐ水路やガス灯が風情ある景観を見せ、沿道には照國神社や西郷隆盛銅像、鶴丸城跡などが点在する。八月半ば、「歴史と文化の道」を訪ねた。



歴史と文化の道

歴史と文化の道

歴史と文化の道
鹿児島市の中心部、南九州随一と名高い繁華街の「天文館」の北側に展望地として有名な城山がある。その東側の麓にはさまざまな史跡や博物館などが点在し、それらを繋ぐように「歴史と文化の道」という散歩道が整備されている。観光に訪れる人も多いところだ。

「歴史と文化の道」は「磯街道」とも呼ばれる国道10号の歩道に整備されており、南は「照國神社前」交差点から北は「城山入口」交差点まで、約700メートルほどの距離で延びる。「歴史と文化の道」沿いには照國神社や鶴丸城趾をはじめ、鹿児島県立博物館、西郷隆盛像など、数々の“観光名所”が点在する。石垣の続く散歩道には鯉の泳ぐ水路、ガス灯などが整備され、風情ある景観を見せる。鹿児島観光の際にはぜひ訪ねてみたい散歩道だ。
照國神社


照國神社

照國神社

照國神社

照國神社

照國神社
鹿児島市電の天文館前電停から北へ天文館本通りへと進み、そのまま300メートルほどの距離を真っ直ぐに通り抜けると広い道路に出る。“広い道路”は国道225号、「照國町交差点」だ。交差点から西を見ると道路の延長上に大きな鳥居が見える。照國神社の鳥居だ。「照國町交差点」から西へ、「照國神社前」交差点を経て300メートルほど進めば照國神社だ。

照國神社は照國大明神、すなわち島津家第二十八代当主であり、第十一代薩摩藩藩主である島津齊彬(しまづなりあきら)を祭神として祀った神社だ。

島津齊彬は1809年(文化6年)生まれ、1851年(嘉永4年)、43歳のときに薩摩藩主となった。藩主となった齊彬は磯地区に「集成館」と呼ばれる工場群を建設、反射炉を造り、大砲を製造、さらに紡績やガラス工場を開設するなど、国力増強と殖産興業に努めた。教育にも力を注ぎ、身分に関わらず有能な人材を育成した。海外の情勢に明るかった齊彬は早くから西洋諸国の植民地政策に危機感を抱き、公武合体と開国を唱えて幕政にも働きかけたが、1858年(安政5年)、明治維新を見ることなく、満49歳の若さで急逝した。死因についてはさまざまな説があるが、陰謀による毒殺説を支持する識者もあるようだ。わずか7年という齊彬の治世だったが、名君として知られ、そしてまた明治維新と日本の近代化の礎を築いた功績は計り知れない。齊彬の志は弟の久光や甥の忠義、そして西郷隆盛、大久保利通といった人たちによって受け継がれ、実現へと向かうのである。

齊彬没後の1862年(文久年)、久光と忠義は鶴丸城西域の南泉院郭内に社地を選定し、翌1863年(文久3年)、孝明天皇の勅命にって「照国大明神」の神号を授けられ祠を建立する。これが照國神社の創祀である。1864年(元治元年)には社殿が造営され、照國神社と称するようになった。1873年(明治6年)には県社となり、1882年(明治15年)には別格官幣社に昇格した。以来、鹿児島の総守護神、総氏神として人々の崇敬を集めている。

創建時の社殿は権現造りだったそうだが、残念ながら西南戦争の際に焼失、再建された社殿もやがて1945年(昭和20年)8月に戦災によって焼失した。現在のものは、本殿は1953年(昭和28年)に、拝殿は1958年(昭和33年)に、神門は1967年(昭和42年)に、それぞれ再建されたものという。社殿は壮麗に過ぎず、華美を抑えた印象だが、木々の緑を背負って建つ姿は鹿児島総鎮守としての風格を感じさせるものだ。質実剛健を旨とした薩摩の気風や、齊彬の進取の精神を象徴したものだろうか。

社殿の北側には敷地を設けてその奥に島津齊彬の像が建てられている。この像は、隣接する探勝園内に建つ久光像、忠義像と共に、彫刻家の朝倉文夫が1917年(大正6年)に製作したものという。台座上の高みに建つ齊彬はしっかりと正面を見据えている。その視線の先には錦江湾が横たわる。齊彬は今もさらにその先の、海の向こうを、そしてこの国の行く末を、見つめているのだろう。
県立博物館


県立博物館

県立博物館

県立博物館考古資料館
「照國神社前」交差点の北西側の角に建つのは鹿児島県立博物館だ。鉄筋コンクリート造3階建、交差点に面した角が丸く造られ、そこに正面玄関が設けられており、その上には塔屋が載っている。この建物はそもそもは鹿児島県立図書館の建物として1927年(昭和2年)に建てられたものという。直線と曲線を組み合わせて洒落た印象の意匠だが、当時の鹿児島県建築課による設計らしい。それから50年余を図書館として使われたが、1980年(昭和55年)に県立図書館の新館が落成開館し、図書館が新しい建物に移管したため、この建物が博物館として使われることになったようだ。

県立博物館の敷地の奥には考古資料館という建物がある。現地に設置された案内によれば、この建物は1883年(明治16年)に鹿児島市で開催された第24回九州沖縄連合共進会のパビリオンとして建てられ、その後、県立興業館として使われたものという。鹿児島県産の溶結凝灰岩を使用した石造建築で、建てられた当時はネオゴシック風のデザインが話題になったそうだ。

1889年(明治22年)に鹿児島市制施行と共に市役所の借事務所となり、1892年(明治25年)に市役所の建物が竣工するまで使われたという。1894年(明治27年)からは県産物陳列場となり、1921年(大正10年)に鹿児島商品陳列所と改称、さらに1932年(昭和7年)には県商工奨励館と改称されている。戦災によって内部が焼失したが、石造部分は残り、1951年(昭和26年)に博物館として使用するために再建、1953年(昭和28年)に県立図書館の郷土博物資料を移して鹿児島県立博物館として発足している。1980年(昭和55年)に県立図書館が新館に移ってそれまでの県立図書館の建物が県立博物館として使用されるようになったのに合わせて、この建物は県立博物館考古資料館として使われることになった。

考古資料館の建物は鹿児島ならではの石造建築物として貴重だとして、1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録されている。2002年(平成14年)、展示物が埋蔵文化財センターと上野原縄文の森へ移設され、考古資料館は閉館、展示施設としての役目を終えている。現在は建物周辺は立入禁止、前庭部分からその外観を見学することができるだけだが、全国的にも貴重な石造建築物の姿はぜひ見ておきたい。
西郷隆盛銅像


西郷隆盛銅像

西郷隆盛銅像
「照國神社前」交差点から北へ200メートルほど、「中央公民館前」交差点の西側に西郷隆盛銅像が建っている。鹿児島市出身の彫刻家、安藤照(あんどうてる)によって1937年(昭和12年)に建てられたものだ(安藤照は1934年(昭和9年)に渋谷駅前に設置された初代忠犬ハチ公像の作者でもある)。この西郷像は東京の上野恩賜公園に建つ、浴衣姿で愛犬を連れた西郷像(高村光雲作、1898年(明治31年)に除幕式が行われた)とは好対照に、陸軍大将の正装に身を包んで直立する凜々しい姿である。城山を背負って木々の緑に包まれて立つ西郷の目に、今の日本はどのように映っているのだろう。

作者の安藤照は1945年(昭和20年)の空襲で亡くなり、自宅兼アトリエも焼失、記録が残っていなかったため、銅像の正確な寸法はわからなくなっていたようだが、2007年(平成19年)、県立鹿児島工業高校の女子生徒4名が実測に挑戦、綿密な計算作業を経て正確なサイズが算出されたそうである。それによれば、身長5.257メートル、頭の長さ0.924メートルの5.7頭身だという。頭部が大きく造られているのは下から見上げることを想定してのことだろう。

西郷像の前では記念写真を撮る観光客の姿が少なくないが、銅像が高所に据えられているために、銅像前の歩道では一緒に写真に写ることが難しい。だからだろうか、道路を隔てた東側、中央公民館の敷地の一角に記念写真撮影用の場所が設けられている。ここに立って東側からカメラを向けてもらえば、道路向こうの西郷像がうまく背景に収まるというわけだ。鹿児島観光に訪れたときには、やはりこの西郷像と一緒に写真を撮っておきたいところだろう。
鹿児島市中央公民館


鹿児島市中央公民館
西郷隆盛像の道路向かいに建つ中央公民館の建物も、なかなかの風格を漂わせている。この建物は、そもそもは1924年(大正13年)1月の皇太子(昭和天皇)のご成婚の記念事業として起工され、1927年(昭和2年)10月に完成、「鹿児島市公会堂」として発足したものという。1949年(昭和24年)に「鹿児島市中央公民館」と改称、1972年(昭和47年)に建物設備の改修が行われて1973年(昭和48年)4月からは「鹿児島市公民館条例」のもと、全市を対象とした社会教育施設、中央地域の地域公民館としての役割を担っているという。

建物は鉄筋コンクリート造地上3階、地下1階建、正面玄関両脇に階段室の塔屋を設け、ほぼ左右対称となった堂々としたものだ。窓の上部アーチが少しばかりイスラム風のエキゾチックなデザインだ。「造形の規範となっている」として2005年(平成17年)に国の登録有形文化財に登録されている。建築物に興味のある人ならぜひ見ておきたい。玄関前、両脇に蘇鉄が植栽されて南国ムードを漂わせているのが鹿児島らしいところか。
鶴丸城趾


鶴丸城趾

鶴丸城趾

鶴丸城趾

鶴丸城趾

鶴丸城趾

鶴丸城趾

鶴丸城趾
「中央公民館前」交差点から鹿児島市立美術館、鹿児島県立図書館の横を過ぎて400メートルほど進むと、鶴丸城趾だ。

鶴丸城は1602年(慶長7年)に島津家第十八代当主の家久が築城を始め、1604年(慶長9年)に完成したものという。築城当時は城山にあった上山(うえやま)城と一体化した城として考えられていたらしいが、1615年(元和元年)、江戸幕府による一国一城令によって上山城は廃止されたという。鶴丸城は本丸と二の丸から構成され、石垣や堀は備えていたものの、「人をもって城となす」という方針から、天守閣を持たない屋形作りの城だったそうだ。

「鶴丸城」というのは一般的な通称で、正式には「鹿児島城」という。城の建物の屋根の形が翼を広げた鶴に似ていたというので「鶴丸城」と呼ばれるようになったとも言うが、1843年(天保14年)に編纂された「三国名勝図会」に、現在の城山が当時は鶴丸山と呼ばれており、“山の形が舞鶴に似ていることから鶴丸山と呼ばれるようになった”という旨のことが記されているという。素人の推測だが、鶴丸山の呼称に因んで翼を広げた鶴に似せた形状の建物が建てられたのかもしれない。

築城以来、明治維新を迎えるまでの270年余、鶴丸城は薩摩藩七十七万石、島津氏の居城だった。その間、幾度も災害などによって倒壊、焼失を繰り返し、その度に修復、改修が行われて明治を迎えるのだが、1873年(明治6年)、火災によって本丸が焼失、さらに1877年(明治10年)、西南戦争によって二の丸が焼失、その後は再建されることなく、城の建物は現存しない。今は通りに面して残る石垣や堀、石橋などの姿に往時の様子を偲ぶことができるだけだ。

かつての本丸跡には、今は「鹿児島県歴史資料センター黎明館」が建っている。黎明館は“鹿児島県歴史資料センター”という呼称が表すように、鹿児島の歴史資料の収集、調査研究、保存、展示などを行っている施設で、要するに人文系分野の博物館である。鹿児島の歴史に興味のある人は見学していくといい。黎明館の建物の裏手は庭園風に設えられ、池が設けられている。この池はかつて鶴丸城本丸の東南隅にあった「御池(おいけ)」を再現したものという。その横手には古民家が置かれている。姶良郡横川町下ノ赤水の海老ヶ迫家住宅を移築したものという。天保年間(1830〜1844年)に建てられたものと伝えられているという。姶良郡一帯に見られる「樋の間二つ家」と呼ばれる形の民家であるらしい。

黎明館の建つ場所に本丸が置かれていた鶴丸城、二の丸は隣接する県立図書館から県立博物館辺りまでの範囲に及んでいたらしい。すなわち「照國神社前」交差点から「城山入口」交差点までのおよそ700メートル、「歴史と文化の道」として辿ってきた区間はすべて鶴丸城の“前”だったということだ。改めてその規模を実感する。辛うじて残る石垣や堀の様子に往時の鶴丸城の姿を思い浮かべながら、もう一度「歴史と文化の道」を辿ってみよう。
国道の起点・終点


国道の起点・終点

国道の起点・終点
「歴史と文化の道」の南端である「照國神社前」交差点は国道3号と国道10号の終点である。国道3号は北九州市から福岡市、熊本市などを経て鹿児島市へ至り、国道10号は北九州市から大分市、宮崎市などを経て鹿児島市へ至る。双方とも九州を縦断する重要な国道だ。その終点が、この「照國神社前」交差点なのだ。さらに言えば、国道225号、国道226号の終点にもなっている。また西郷隆盛像の建つ「中央公民館前」交差点は国道58号の起点であり、国道224号の終点だ。国道58号はここから沖縄まで延び、その大部分が海上区間という国道だ。国道224号は垂水市から桜島南岸を経て桜島フェリーを経由してここまで延びる。それぞれ、国道のルートに興味のある人なら一度は訪ねてみたい交差点ではないだろうか。
参考情報
交通

「歴史と文化の道」へ訪れるにはバスや市電を利用するのが便利だ。

路線バスの「天文館」バス停や市電の「天文館」電停から天文館の繁華街を北西側へと通り抜ければ照国神社で、距離は数百メートル、徒歩で10分ほどか。

鶴丸城趾へは路線バスの「薩摩義士碑前」バス停が至近だが、より運行路線の多い「市役所前」バス停や市電の「市役所前」電停を利用してもいい。「市役所前」のバス停や電停から鶴丸城趾まで徒歩で数分というところだ。

西郷隆盛像へは路線バスの「金生町」バス停や市電の「朝日通」電停などが近く、これも徒歩で数分の距離だ。

周遊バス(市営の「カゴシマシティビュー」と民営の「まち巡りバス」が運行している)を利用して「西郷銅像前」や「薩摩義士碑前」バス停で下車すれば、それぞれ西郷隆盛像と鶴丸城趾に至近だ。

車で訪れる場合は市街地に点在する民間駐車場を利用すればよいが、鶴丸城趾周辺には少ないようだ。市街中心部の市電の路線近くなど、立地の便利な駐車場を見つけて車を置き、そこから市電やバスを利用するのが賢明かもしれない。

遠方から車で訪れる場合は、九州自動車道や国道3号線、国道10号線などを利用して鹿児島市街中心部に入り、駐車場を探そう。

飲食

「歴史と文化の道」の沿道には飲食店が少ない。天文館へ足を延ばせばさまざまな飲食店があるから、食事の際は天文館まで移動するのが賢明だろう。

周辺

「歴史と文化の道」の西側は城山だ。城山公園からは鹿児島市街と桜島とを一望する。徒歩で登るのは少しばかりつらいが、訪ねてみてもいい。周遊バスを利用すれば城山までバスで上れる。城山の麓には西南戦争の際に西郷隆盛が籠もった洞窟や「西郷隆盛終焉の地」などがある。併せて訪ねてみるのもお勧めだ。

照国神社の南側は天文館と通称される繁華街だ。アーケードの連なる商店街を散策してみるのも楽しい。天文館からさらに西南側へ足を延ばせば加治屋町、甲突川の左岸に沿って「維新ふるさとの道」という散策路が整備されており、一角に「鹿児島市維新ふるさと館」が建っている。

鶴丸城趾横の「城山入口」交差点から東へ1kmほど辿ると鹿児島港の桜島フェリーターミナルに着く。桜島フェリーは昼間は15分間隔で運行し、鹿児島港と桜島を約15分で繋いでおり、桜島へも気軽に渡ることができる。フェリーターミナル横の「いおワールドかごしま水族館」やウォーターフロントパークも訪ねてみたい。

北へと足を延ばせば石橋記念公園仙巌園といった観光名所がある。徒歩では少し距離があるが、これも周遊バスを利用すれば便利だ。
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