佳景探訪
ふじとあじさいの道
埼玉県加須市、旧騎西町の公園を繋いで「ふじとあじさいの道」という散策コースが設定されている。その名のように藤と紫陽花が植栽され、それぞれの花期には美しい景観を見せる。紫陽花が見頃の六月中旬、「ふじとあじさいの道」を訪ねた。



ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道
埼玉県加須市の南西部の地域はかつて北埼玉郡騎西町だったところだ。2010年(平成22年)、当時の加須市と騎西町、同じ北埼玉郡の大利根町、北川辺町とが合併し、新しい加須市が発足した。

その旧騎西町に位置する玉敷公園から騎西総合公園、生涯学習センター「キャッスルきさい」までを繋いで「ふじとあじさいの道」という散策コースが設定されている。コース長は1.5kmほど、沿道にはボランティアの手によって一万本にも及ぶ紫陽花が植栽されているという。「ふじとあじさいの道」はおそらく旧騎西町時代に設定されたものだろう。玉敷公園に設けられた案内板には合併に伴って記載内容を変更した跡が窺える。新しい加須市となってからも「ふじとあじさいの道」は観光資源としての活用が図られているようだ。
玉敷公園
玉敷公園

玉敷公園

玉敷公園
玉敷公園は玉敷神社に隣接して設けられた公園で、16000平方メートルほどの面積を有している。玉敷神社の境内地だったところの一部を公園として整備したものかもしれない。広場を中心にした公園だが、木々が茂って緑濃く、しっとりと落ち着いた佇まいだ。藤の名所としても知られ、30本の藤が植えられ、5棚の藤棚が設けられているという。埼玉県の天然記念物に指定された大藤もあり、藤の花期には多くの観光客で賑わうようだ。

六月、玉敷公園は紫陽花に彩られている。紫陽花は広場の脇や藤棚の下に植栽され、緑濃い公園に鮮やかな色彩を加えている。藤の名所として知られる公園だから紫陽花は“脇役”という印象もあるが、のんびりと園内を巡れば紫陽花の咲く季節の風情を充分に堪能することができる。紫陽花の花の向こうに緑の葉を茂らせた藤棚が見える様子も良い風情だ。

玉敷公園は「ふじとあじさいの道」の西側の端という位置付けだ。「ふじとあじさいの道」散策の出発点に選んでも、到着点に選んでも、その役割を果たしてくれる景観だと言っていい。
玉敷神社


玉敷神社

玉敷神社

玉敷神社
玉敷神社は大己貴命(おおなむちのみこと、大国主神の別名)を祀る神社で、境内に設置された御由緒によれば第四十二代文武天皇の御代、703年(大宝3年)に東山道鎮撫使、多次比真人三宅磨によって創建されたという。醍醐天皇が編纂して927年(延長5年)に完成した「延喜式神名帳」にもその名が記載された、いわゆる「延喜式内社」である。

社殿は鬱蒼とした樹林に包まれて鎮座している。この社叢林は1.5haほどの面積を有し、関東地方の極相林として学術的にも重要とのことで、埼玉県の「ふるさとの森」に指定されて保護されているという。

玉敷神社には江戸神楽の源流ともいわれる「玉敷神社神楽」が伝わっているそうだ。この神楽は1974年(昭和49年)に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定され、2008年(平成20年)には国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。文化庁の解説によれば「古朴な美しさ」を持ち、「江戸神楽のもつ土くささと親しみをたたえ、演劇的な要素を示して適度なユーモアをも見せる」舞だそうだ。神楽がいつ頃生まれたものかははっきりしないものの、面に記された元号や記録などから、江戸時代初期には成立していたものだろうという。
旧河野邸


旧河野邸

旧河野邸

旧河野邸

旧河野邸

旧河野邸
玉敷神社の参道脇、風雅な佇まいの門が建っている。門の奥は教育者であり、神道研究家でもある文学博士の河野省三(こうのせいぞう)の旧宅跡であるという。

河野省三の生家は代々玉敷神社の社家を務めていたそうだ。省三は、その河野家の次男として1882年(明治15年)に生まれた。騎西高等小学校から不動岡村の私立埼玉尋常中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)へ進学、文才に恵まれた省三は当時の少年雑誌「少国民」に度々投稿して入賞を果たしていたという。1902年(明治35年)、省三は國學院(後の國學院大学)に進学、卒業後は病気で亡くなった兄に代わって家督を継ぎ、玉敷神社社司(現在の宮司)を務めつつ、母校埼玉中学校や國學院大學、曹洞宗大学(現在の駒澤大学)、日本大学などで教鞭を執った。1935年(昭和10年)には國學院出身者として初めて國學院大學の学長に就任している。その後も教育界、神社界で活躍、1961年(昭和36年)には紫綬褒章を受賞した。1963年(昭和38年)1月、80年余の生涯を閉じている。その功績を讃え、騎西町(当時)は初の名誉町民の称号を贈ったそうである。

玉敷神社参道に面した門と外塀は旧宅のものが保存されているのだろうと思うが、敷地内に建物などは残されていない。旧宅跡は広場として整備され、玉敷公園の一部という位置づけのようだ。中央部には芝生広場が置かれ、周りを木立が囲んでいる。北側の端には藤棚が設けられ、その西側の隅には四阿が置かれている。四阿脇には蹲踞(つくばい)と水琴窟が設置されているのも良い風情だ。外縁部に沿ってコンクリート舗装された園路が巡り、その園路脇に紫陽花が数多く植栽されている。アナベルの姿もあるが、多くはガクアジサイで、しっとりとした佇まいの園内にその姿がよく似合って美しい景観を見せている。紫陽花観賞を目的に玉敷公園を訪れたときには、旧河野邸にも足を運ぶのがお勧めだ。河野省三の生涯に思いを馳せつつ、ガクアジサイの咲く景観を楽しみたい。
旧町道212号線
ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道
玉敷公園を出て公園東側の道路を100mほど行って右に折れて進むと大道公園という小公園がある。大道公園の北側、道路が水田地帯の中をまっすぐに東西に延びている。騎西町だった頃には町道212号線だった道路だ。この道路の南側歩道に現代的な意匠の藤棚が設けられ、道脇には紫陽花が植栽されている。

この歩道の景観がおそらく「ふじとあじさいの道」を象徴するものだろう。水田の広がる中を延びる道路の先に目を向ければ、アーチを描く藤棚が連なり、その下に紫陽花が色彩の帯を描く。紫陽花はアナベルを中心とした西洋アジサイで、その色彩が緑に染まった水田の中に映える。

歩きながら足元の紫陽花に目を凝らしたり、少し遠く、向かう先へと視線を向けたり、あるいは振り返ってみたり、それぞれに美しい景観が楽しめる。訪れた日は薄曇りの日で、遠くの景色は少し霞んでいたが、紫陽花の咲く景観としてはかえってそれが似合っているようだった。
騎西総合公園
騎西総合公園

騎西総合公園
大道公園から600mほどで騎西総合公園だ。かつては騎西町総合公園という名だったが、合併に伴って「町」の文字が外され、騎西総合公園という名に変更されたもののようだ。騎西総合公園は芝生広場や池などを設けた穏やかな表情の公園だが、敷地内には騎西総合体育館も建っている。池には風雅な意匠の橋が架けられており、水辺の散歩が楽しい。池は釣りが可能なようで、岸辺には釣りを楽しむ人たちの姿があった。

紫陽花は池の岸辺などに控えめに咲いている印象だが、水辺の風景と紫陽花の取り合わせが風情のある景観を生み出している。「ふじとあじさいの道」散策途中の一休みに良いところだろう。
旧町道3353号線
ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道
「ふじとあじさいの道」は騎西総合体育館の東側から、広大な水田地帯の中を真っ直ぐに「キャッスルきさい」へ向けて延びている。(おそらく合併前の騎西町によって作られたであろうと思われる)「ふじとあじさいの道」散策マップには町道3353号線と記されているが、基本的には農道のようで、道の入口には「歩行者・農耕車優先道路 一般車の進入はご遠慮下さい」と記した看板が立てられている。

この道路の両脇にアナベルが植栽されている。アナベルは道の両側にこんもりとした二列の帯となって延びている。道は真っ直ぐだからアナベルの帯は一点透視法的に遠方の一点へと小さくなって収束してゆく。その景観がなかなか美しい。道の周囲には水田が広がり、田植えが終わった田圃とアナベルとが風情ある景観を織り成している。田圃の中には草取りの作業の人の姿もあり、その様子も田園地帯の風景としての興趣を感じさせる。

この道沿いにはアナベルだけが植栽されているようで、他の品種の紫陽花の姿はない。そのことが奏功して印象的な景観を生み出していると言っていい。白いアナベルに縁取られた道路が若い稲の育つ水田地帯の中を真っ直ぐに延びている。なかなか他では見ることのできない光景かもしれない。
キャッスルきさい
ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道

ふじとあじさいの道
「ふじとあじさいの道」の東端は騎西文化・学習センター「キャッスルきさい」だ。敷地内に建つ城の天守閣を模した建造物が目を引く。これは旧騎西町の郷土史料展示室で、1975年(昭和50年)に騎西町の町制施行20周年を記念して建てられたものという。かつてこの近くに騎西城があったことに因んで天守閣の意匠の建物が建てられたものだそうだが、実際の騎西城は平屋建ての城だったらしい。

騎西城がいつ頃、誰によって築城されたものかはわかっていないらしい。1455年(康正元年)に上杉氏、長尾氏、庁鼻和氏等が守る騎西城を古河公方足利茂氏が攻略したということだから、その頃には既に存在していたのだろう。徳川家康が関東に入った際、松平康重が城主となり、その後、大久保忠常、忠職が城主となったが、1632年(寛永9年)、忠職が美濃の加納城に移封となり、それに伴って騎西城は廃城となったという。

1979年(昭和54年)から行われた発掘調査の際、陶磁器や矢尻、鎧金具など、さまざまな生活用具、武具が出土したそうだ。今回は見学しなかったが、郷土史料展示室にはそうした出土品が展示されているらしい。興味のある人は見学していくといい。

郷土史料展示室の周辺には紫陽花が植栽され、天守を模した建物との取り合わせが興趣のある佇まいを見せる。西側部分に設けられた池の岸辺に咲く紫陽花も良い風情だ。それほど数多くの紫陽花が見られるわけではないが、さまざまな品種が植えられており、「ふじとあじさいの道」の東端を担っている。




騎西の町

騎西の町

騎西の町

騎西の町
玉敷神社の東側の道路を南東側へと辿ってゆくと、「騎西一丁目」という丁字路の交差点があり、その周辺には店舗などが建ち並んでいる。この辺りが、旧騎西町の中心部だったところで、今でもすぐ近くに加須市の騎西総合支所が置かれている。

騎西町はかつては騎西城の城下町だったわけだが、古くから交通の要衝で、江戸時代には馬継場としても栄えていたらしい。近代になると製糸業も盛んだったようだ。

今でも道路沿いには商店などが建ち並び、歴史の古そうな建物もあって往時の賑わいの名残を感じさせる。しかしすでに廃屋になってしまった建物も散見され、失礼な言い方だが、“寂れてしまった”印象は否めない。かつて騎西町の中心として栄えた町だが、時代の変遷と共に姿を変えてゆくのも仕方のないことなのだろう。

町並みの中に残る古い建物も、やがて少しずつ姿を消してゆくのだろう。無くなってしまう前にせめて写真に収めておきたいと思い、カメラのレンズを向けたのだった。
参考情報
郷土史料展示室(騎西城)はゴールデンウィークの「藤まつり」の開催期間中と11月上旬の騎西地域文化祭の期間中のみ開館しており、それ以外の時期に見学するには騎西文化・学習センター窓口への申込みが必要だそうだ。詳細は加須市公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通

ふじとあじさいの道は鉄道の駅からは少し距離がある。駅からバスを利用するといい。東武伊勢崎線加須駅北口から朝日バスの鴻巣免許センター行きを利用し、「福祉センター」バス停で下車、あるいはJR高崎線鴻巣駅東口から朝日バスの加須駅行きを利用し、同じく「福祉センター」下車すれば、ふじとあじさいの道の東端である騎西文化・学習センター「キャッスルきさい」の前だ。ここから西へ辿るといい。

車で来訪する場合は騎西文化・学習センター「キャッスルきさい」、騎西総合公園、玉敷公園の各駐車場を利用してもかまわないようだ。玉敷公園の駐車場はあまり広くないが、騎西総合公園と「キャッスルきさい」の駐車場は比較的余裕がある。

ふじとあじさいの道へは国道122号線(騎西菖蒲バイパス)の「藤の台工業団地」交差点や「騎西総合支所前」交差点から北へ折れるのがわかりやすいだろう。遠方から訪れる人は東北自動車道加須ICを利用し、国道125号線から南下するといい。

ナビを利用する場合は騎西文化・学習センター「キャッスルきさい」、騎西総合公園、玉敷公園のいずれかを目的地に設定するといい。

飲食

ふじとあじさいの道周辺には飲食店が見あたらない。加須市役所騎西総合支所の周辺には鮨店やラーメン店などが点在しているようだが、数は少ない。飲食店を探すなら加須駅周辺に移動するのも一案だろう。加須駅北側の国道125号線沿いには駐車場を用意した飲食店が点在しているので、車で訪れた人はその辺りで探すのが賢明かもしれない。

お弁当持参なら玉敷公園や騎西総合公園などを利用するといい。

周辺

車で訪れたなら、周辺の少し離れたところへ足を延ばすことも可能だ。東北自動車道加須ICの北側には「浮野の里(うきやのさと)」と呼ばれるところがある。昔ながらの田園風景が残り、六月には花菖蒲も見られるようだ。騎西総合公園から7kmほどだ。また南東にやはり7kmほど行くと久喜市役所菖蒲総合支所があるが、この周辺では六月上旬から七月上旬にかけて「あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル」が開催される。花菖蒲とラベンダーを楽しむことができる。
ふじとあじさいの道

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