静岡県沼津市、島郷の海岸に「沼津御用邸記念公園」がある。1893年(明治26年)に当時の皇太子のために造営された沼津御用邸の跡地を記念公園としたものだ。園内には西附属邸と東附属邸の建物が残る。紫陽花が咲き始めた六月の初旬、沼津御用邸記念公園を訪ねた。
沼津御用邸記念公園
沼津御用邸記念公園
沼津御用邸記念公園
沼津御用邸は1893年(明治26年)、当時の皇太子、すなわち大正天皇のご静養のために造営されたものだ。当時、この辺りは小さな漁村だったが、温暖で風光明媚な土地柄から別荘地として注目され始めていたらしい。付近には明治政府の高官らが別荘を建てており、そのこともこの地に御用邸が造営された理由のひとつではないかという。1893年(明治26年)に370坪余の木造平屋建ての本邸が竣工、さらに1896年(明治29年)と1900年(明治33年)に増築が行われ、付属施設を含めた建築面積は5000uほどにもなったという。この本邸の建物は残念ながら1945年(昭和20年)7月の沼津大空襲によって焼失してしまった。

沼津御用邸には本邸の他、東附属邸と西附属邸が造営されている。東附属邸は当時の皇孫殿下(後の昭和天皇)の御学問所として1903年(明治36年)に造営されたものだ。戦災で本邸が焼失したため、戦後は皇族の方々のご滞在にも利用されたという。西附属邸は当時の皇孫殿下(後の昭和天皇)の御用邸として設けられたもので、沼津御用邸本邸の西に隣接していた川村純義伯爵の別荘を1905年(明治38年)に買い上げ、御用邸としたものという。川村純義伯爵の別荘は1890年(明治23年)頃に建築されたもので、木造平屋建て、880uほどの建物だったらしいが、御用邸となった後に増築などが施され、御用邸として完成したときには1270uほどの建物面積を有したという。戦後は西附属邸が本邸の役割を果たし、昭和天皇をはじめとする皇族の方々に利用されてきたが、施設の老朽化などにより、1969年(昭和44年)、沼津御用邸そのものが廃止されている。
沼津御用邸記念公園
沼津御用邸記念公園
御用邸が廃止された後、跡地は沼津市に無償貸与され、1970年(昭和45年)、「沼津御用邸記念公園」として一般への公開が開始されている。施設の老朽化が目立ってきたため、沼津市は沼津御用邸造営百周年に当たる1993年(平成5年)から建物の改修と庭園の再整備に着手、1998年(平成10年)までにすべての改修を終え、現在に至っている。東附属邸は市民の文化教養活動の拠点として用いられ、所定の料金を支払えば施設を利用することができるようだ。西附属邸は「沼津御用邸記念公園」のメインとなる施設で、入館して内部も自由に見学することができる。
初めて「沼津御用邸記念公園」に訪れたなら、まずは西附属邸を見学しておかなくてはいけない。西附属邸内部も自由に写真撮影を行ってよいとのことだった(本ページに掲載してある建物の写真はすべて西附属邸のものである)。

靴を脱いで玄関から入館し、順路に従って館内を巡る。御座所や女官室などのある部分は1906年(明治39年)に皇居内の附属建物を移築して継ぎ足したものという。そのため、西附属邸は二棟の建物が繋ぎ合わされた構造を成している。それぞれの建物も複雑な形をしており、さらに二つの建物が角度を伴って建っているために関内を巡ると迷路のように入り組んでいる印象がある。
沼津御用邸記念公園/西附属邸
沼津御用邸記念公園/西附属邸
建物そのものの佇まい、室内に展示された調度品など、照明器具、窓や障子などの建具、完全な平面ではなくわずかに波打つ窓ガラス、窓外に見える庭園の様子や建物の外観など、あらゆるものに興味が尽きない。使用された材料や建築の技法など、当然のことだが当時の最高水準のものだったろう。改修に当たっては建物から家具、建具、飾り金具に至るまで可能な限り原型を忠実に再現したという。

基本的には畳敷きの建物だが、その上に絨毯を敷いてテーブルと椅子を置いた和洋折衷方式は皇室関係の建物によく見られる習慣という。謁見所や御座所、御食堂の様子、あるいは掛かり湯形式のために浴槽のない御料浴室など、そうしたものから往時の皇室の方々の暮らしぶりを想像してみるのも楽しい。
沼津御用邸記念公園/西附属邸
沼津御用邸記念公園/西附属邸
御座所から西南の方角には御玉突所、すなわちビリヤード場が突き出ている。1922年(大正11年)に増築されたものという。明治期の政治家や実業家の邸宅にはビリヤード場を設ける例が少なくないが、当時の上流階級の人々にビリヤードは人気があったようだ。この御玉突所は昭和に入ってからは他に転用されていたということだが、改修時にビリヤード場に戻されたものだ。中庭は改修の際に新たに作庭されたものらしいが、隅に植えられたサツキは昔のままという。訪れたのは六月の初めだったが、このサツキが鮮やかに花を咲かせていた。

沼津御用邸西附属邸は建築に興味のある人や皇室関連の事物に興味のある人、明治期の事物に興味のある人などには見逃せないものだろう。そうしたものに特に詳しくない身でも充分に興味深く、丹念に見学してゆくのは楽しいものだ。玄関脇には休憩所を兼ねた売店があり、オリジナルの小物やお菓子などを販売している。来園の記念やお土産に買い求めてみるのもいい。
沼津御用邸記念公園/西附属邸
沼津御用邸記念公園/西附属邸
沼津御用邸記念公園
「沼津御用邸記念公園」は海岸の立地だ。庭園を南へ歩いて行くとすぐに浜辺に出る。この辺りは昔から風光明媚なところだったらしいが、訪れたときはあいにくの雨模様、海も空も白く雨に煙るばかりだ。晴れていれば白砂青松の見事な景観が楽しめたと思うのだが、それはまた次の機会に楽しむことにしよう。雨に霞む松林の風景も、それはそれでまた味わいのあるものだ。強い海風が吹くためか、海岸部の松の木が大きく陸地側へ傾いでいるのが印象深い。
沼津御用邸記念公園/紫陽花
沼津御用邸記念公園/紫陽花
「沼津御用邸記念公園」は紫陽花も見事で、沼津市の紫陽花の名所のひとつとして名を連ねている。ガクアジサイやセイヨウアジサイなど、2300株があるという。カシワバアジサイも一株あるというから訪れたときは探してみるといい。

紫陽花は附属邸正門前周辺、西附属邸前、東側の旧厩舎周辺などに植えられている。西附属邸前はちょっとした“紫陽花園”のように設えられており、アジサイの花を縫うように散策路が巡っている。訪れたときは雨模様の天気で、傘をさしての散策だったが、雨に濡れるアジサイの花が良い風情だ。アジサイの花そのものも美しいが、西附属邸の建物との取り合わせで見ると、また格別の味わいがある。
沼津御用邸記念公園/紫陽花
沼津御用邸記念公園/紫陽花
訪れたときは六月の初旬で、アジサイはまだまだ満開の状態ではなく、五分咲きといったところだった。それでも充分に美しく、楽しめるものだったが、満開の時期に合わせて訪ねると、よりいっそう楽しめることだろう。

アジサイだけでなく、「沼津御用邸記念公園」では春の梅や桜、花桃、藤、夏の浜茄子や向日葵、冬の水仙や椿など、四季折々の花々が楽しめるようだ。そうした花々を目的に訪れるのも一興かもしれない。
参考情報
沼津御用邸記念公園は入園料が必要。年末年始以外は年中無休とのことだ。開園時間や料金などの詳細、また沼津御用邸の沿革や建物についての詳細なども沼津市サイトの「沼津御用邸記念公園」コンテンツ(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
沼津御用邸記念公園は沼津市中心部の南方(沼津駅から3kmほどか)、国道414号沿いの海岸部に位置している。有料で駐車場が用意されており(駐車料金も沼津市サイトを参照されたい)、地理的にも車での来訪が便利だ。東名高速道路の沼津ICから30分ほどで着く。

バスを利用して来訪するときには沼津駅から伊豆箱根バスの“沼津駅〜伊豆長岡線”に乗り、「御用邸前」で下車するとよい。沼津駅から「御用邸前」まで15分ほどだ。

飲食
沼津御用邸記念公園内には「主馬(しゅめ)」という名の喫茶室があり、各種の飲み物やいそべ餅、串団子、焼きおにぎりなどをメニューに揃えているが、本格的な食事のメニューはないようだ。他にレストランなどもないから、食事は公園を出て他で楽しむのがよさそうだ。

公園の近くにはあまり飲食店はないようだが、国道414号を沼津市街方面へと辿れば国道沿いなどにさまざまな飲食店が点在している。沼津港方面へ足を延ばして魚料理の店を探してみるのもいいかもしれない。

周辺
沼津御用邸記念公園内には沼津市の歴史民俗資料館が建っている。「奥駿河湾の漁法と漁具」など、地域性豊かな展示がなされている。興味のある人は見学していくといい。

沼津御用邸記念公園前から南へ延びる浜辺は「島郷海水浴場」という海水浴場になっている。家族連れや若いカップルなどには夏の海水浴もお勧めかもしれない。

国道414号を沼津市街方面へ向かえば、海岸には沼津港や千本松原という松林の連なる「千本浜公園」、東側には「香貫山公園」などがある。国道414号を南へ向かえば伊豆、江浦湾で国道から逸れて海岸部を辿れば「あわしまマリンパーク」や「伊豆三津シーパラダイス」などの施設へも遠くない。国道を辿って中伊豆へ向かえば伊豆長岡温泉も近い。
紫陽花散歩
建物探訪
静岡散歩