日南海岸散歩
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「わかば」に見る宮崎
第5週〜第26週(第19回〜第24回)
2004年10月25日〜2005年3月26日放送
神戸での若葉は井川造園で働き始める。辛い作業が続き、失敗もしながら努力を重ねる毎日だ。亡き父にそっくりの木之下との出会い、準一との別れ、光の家出騒動など、さまざまなエピソードを重ねて物語りは綴られてゆく。井川造園の正社員となった若葉は仕事にも慣れ、夢へ向かって努力を重ねる高校を卒業を卒業した光はパティシエになると決意して神戸へと出てくる。母詩子だけは頑なに神戸へ行こうとしない。公一の父、高原栄造と詩子は、互いに公一を死なせたのは自分だと気に病み、顔を合わせることができずにいたのだ。やがて若葉は亜紀の兄である藤倉雅也からプロポーズを受ける。自分もまた雅也を好きになっていたことに気づいた若葉は雅也との結婚を決意する。神戸で結婚式を挙げるふたりのため、ようやく詩子が神戸にやってくる。これでやっと高原家の人々も過去の辛い思いを清算できたようだった。2005年春、若葉と雅也との間に女の子が産まれた。雅也は独立し、若葉とふたりで「緑に囲まれた家」という夢の実現に向かうのだった。
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第38回(11月9日放送)
若葉は神戸の井川造園の見習いとして忙しい日々を送っているが、父によく似た木之下という男性に出会い、気になって仕方がない。そんな若葉の様子を見て繁美たちは「五月病」ではないかと心配している。

若葉を心配した繁美が宮崎の詩子に電話をかけたのだろう。詩子が電話を受けている。そのシーンに続いて、浩太朗、幸恵、のぶ、詩子の四人が居間でくつろぐ様子が登場した。久しぶりの村上家のシーンだ。「どんげしたと」と若葉を心配する幸恵の言葉に、詩子はいつものように答え、幸恵は「またそんな突き放したような言い方をして」と言う。それを受けて詩子は「(光の)三者面談の時に担任の先生にも同じことを言われた」と言う。浩太朗に促されて詩子が先生に対して言ったことを口にするが、それを聞いた浩太朗は「そら言わるっわ」と呆れたような口調で言う。「そら言わるっわ」は「それは言われるよ」という意味で、「言われて当然」というニュアンスを含んでいるわけだが、宮崎では「〜られる」という言葉が「るっ」と詰まることが多い。この例のように「言われるよ」が「言わるっわ」となるし、「できるよ」が「でくっが」となったりする。宮崎では「叱られる」を「がられる」と言うが、子どもの頃に悪さをして、友だち同士で「そんげなこつすっと先生にがらるっど(そんなことをすると先生に叱られるぞ)」などと言い合ったものである。

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第39回(11月10日放送)
若葉は少し元気を取り戻したようだ。一方、宮崎の村上家では息子たち、光と啓太の進路問題が懸案事項だ。啓太は大学進学するほどの学力はないようだが、跡を継ぐと親に言っていないために幸恵は悩んでいる。光も大学進学するかどうか、悩んでいる様子だ。

幸恵が啓太の三者面談から血相を変えて帰宅する。先生の対応に恥ずかしい思いをしたと、啓太を怒る。「(恥ずかしくて)顔から火がでるごつあった」と幸恵が言う。「顔から火がでるようだった」というのを、宮崎ではこのように言う。一般に「〜ようだ」、「〜のような思いだ」、「〜のような気がする」というニュアンスで、「〜ごつある」と言う。「〜の如くある」が訛ったものなのだろうか。「夢のようだよ」は「夢のごつあっど」と言い、「(標本などが)生きているようだね」というときには「生きちょっごつあっが」と言う。「言わなくてはいけないような気がするよね」というような言葉は「言わんならんごつあっがな」などと言う。些細な方言だが、ちょっと気に留まって、ここに「書いちょかんといかんごつあった」。

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第43回(11月15日放送)
2001年7月になった。若葉は相変わらず草引きに精を出す毎日だ。一方、宮崎では光が神戸への「家出」を決行しようとしている。

飫肥の町を俯瞰する風景が映し出され、物語の舞台が宮崎へ移る。詩子と幸恵、のぶの三人がラベル貼りの作業としているところに、頼まれた配達を終えた光が帰ってくる。夏休みになって、光は毎日工場を手伝い、啓太は遊び呆けているらしい。それを幸恵が嘆く。幸恵が光に「てげてげでいいとよ、工場の手伝いは」と言う。「てげてげ」という言葉は宮崎の方言の代表的なもののひとつと言っていいだろう。「てげ」は「たいがい」が訛って転じたものか。標準語で言えば「ほどほどに」といった意味合いだが、「そんなに熱心にやらなくても」とか「そんなに張り切らなくても」といったニュアンスが付加されている。

光のもとに級友の山下厚子が訪ねてくる。どうやら光の「家出」のことを啓太に聞かされて心配してやってきたようだ。そこへ啓太が帰ってくる。なかば冗談のように啓太は光をけしかける。啓太は光のいちばんの理解者である。「家出」のことを口にしながらいっこうに実行に移さない光に対して、啓太は啓太なりに応援しているのだ。煮え切らない光に対して啓太が「おまえを相手にしちょると、てーげだり」と呆れる。「だり」は「だるい」の訛ったものだ。「てーげ」は「てげ」と短く発音することが多い。この場合の啓太の台詞の「てーげだり」では「(おまえの相手をしていると)ほんとに疲れる」といった意味合いだ。前述の「てげてげ」とは意味が違って、この「てげ」は強調するときの接頭語と言っていい。「てげ言う」などと言えば、「よく(たびたび)口にする」といった意味になる。

光の「家出」をけしかける啓太は、山下厚子に対して「えーか、山下、誰かに言うたらくわらすぞ」と口止めする。「くらわす」は「殴る」という意味で、さらに短く「くらす」と言ったりもする。だからこの啓太の台詞は、直訳すれば「いいか、山下、誰かに言ったら殴るぞ」となるわけだが、それほど直接的な意味はなく、「絶対に誰にも言うなよ」という意味合いの、いわば「脅し文句」である。子どもの口喧嘩などで、よく「くらすぞ」と口にする。受け身の形で「くさらるっぞ」などとも言う。

一夜明けて、いよいよ光の「家出」決行の日、村上酒造の玄関が映し出され、ウォーキングに出かける詩子を啓太が見送る。その背景に「わしわしわし」とクマゼミの鳴く声が聞こえている。詩子は田ノ上八幡神社の参道でふと足を止めてふりかえる。詩子なりに光と啓太が何かを企てていることを察しているのかもしれない。光は啓太の手配で啓太の先輩のバイクに乗って飫肥の町を後にする。光を乗せたバイクが走っているのは、酒谷川の河岸、前鶴橋の下流側のあたりだ。

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第67回(12月13日放送)
秋になった。井川造園の正社員となった若葉は仕事に打ちこむ日々が続いている。一方宮崎では詩子に見合いの話が持ち上がっている。

飫肥城下祭りを控えて浩太朗は泰平踊りの練習に余念がないようだ。飫肥城下祭りは10月の第三土曜日と日曜日に開催される。今年(2004年)は10月16日と17日に開催された。市中パレードでは武者行列や田ノ上八幡宮に伝わる「弥五郎どん」の人形などが練り歩き、大いに盛り上がる。泰平踊りは江戸期から飫肥に伝わる伝統芸能で、県指定無形民俗文化財にもなっている。もともとは地元の盆踊りに上方の歌舞伎踊りが合体したものに武芸十八般を織り込んだものという。江戸中期に町人の盆踊りに武士が加わることが許され、以来、泰平踊りは武士と町人が一緒になって踊ったという。まさに「泰平」の世を謳歌する踊りである。折り編み笠に着流しという装束や優雅な身のこなしが印象的な踊りで、温暖なこの地方の風土を象徴しているようにも感じられる。鶴組と亀組とに分かれてそれぞれ保存されており、その踊り方にはわずかな違いがあるらしい。

浩太朗も詩子の見合いに積極的になり、詩子も乗り気なように見える。光は浩太朗に相談されて「うん」と答えるがやはり胸中は複雑であるようで、神戸の若葉に相談の電話をかける。そこへのぶが現れる。のぶはこのところ体調を崩しがちだったようだが、このときはずいぶん体調が悪そうだ。心配する光に、のぶは「なんだか、およばんとよ」と言う。「およばん」は「身体の具合が悪い」という意味だ。他に「大変なつらい思いをする」というような意味で「およばん」という言葉を使うこともあるが、基本的に「およばん」は「(身体の)具合が悪い」ことを意味する。「具合悪いんじゃないの」という問いかけは、だから「およばんちゃねか」とか「およばんとか」と言うのだ。のぶの台詞は抑揚などの点で少々違和感はあるが、日南では具合が悪いときにはまさにあのように「およばんとよ」と言う。この「およばん」も宮崎の代表的な方言のひとつと言っていい。

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第110回(2月7日放送)
2002年の春だ。光はパティシエになるために神戸にやってきている。若葉は亜紀の兄である藤倉雅也(姜暢雄)と結婚することを決め、宮崎の詩子と村上家の人たちに雅也を紹介するために飫肥へと戻るのだが、村上家では浩太朗がどこへ行ったのか、姿が見えない。どうやら浩太朗は若葉の結婚を快く思っていないようだ。

飫肥駅 飫肥駅に到着する下りの日南線の姿が映し出され、若葉と雅也のふたりがホームに降り立つ。駅を出たふたりは鯉の遊泳地区や武家屋敷通りと飫肥の町を観光しながら村上家へと戻ってゆく。ふたりの背後には観光客らしい人たちの散策する姿が映っている。姜暢雄を交えたロケは二回目の宮崎ロケで、2004年10月に行われている。

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第112回(2月9日放送)
雅也との結婚を母詩子や村上家の人たちに祝福される若葉だが、浩太朗だけが頑なな態度のままだ。

一夜明けて、若葉は朝早くに飫肥杉の林を散策している。飫肥城址の旧本丸跡の杉林だ。この杉林や飫肥城址の奥まったところにあり、昔はここを訪れる観光客はほとんどなかった。「わかば」が放送され、杉林が印象的に登場するようになって、足を運ぶ観光客が増えたらしい。中には「あの杉林はどこですか」と、まず杉林へと直行する人もあるらしい。「わかば」効果は大きい。

その日、若葉と雅也は鵜戸神宮へ行ったという設定だ。今回は残念ながら鵜戸神宮の風景は登場しなかった。鵜戸神宮は、のぶの台詞にもあったように、安産や夫婦和合などの御利益で人々の信仰を集めてきた。現在でもそうなのかどうか知らないが、かつて地元の新婚夫婦は必ず鵜戸さん参りをしたものだ。若葉と雅也は結婚前なので少々気が早いが、やはりここは鵜戸神宮にお参りしておかなくてはなるまい。

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第113回(2月10日放送)
浩太朗がようやく若葉と雅也との結婚を認める。若葉は雅也を連れて飫肥の観光に出かけるのだが、飫肥城址で準一と出会う。

次の朝、若葉が庭の掃除をしていると啓太が工場の仕事から戻ってくる。「ひんだれたぁ」と啓太が言う。「とても疲れた」という意味だ。「だれた」が「疲れた」で、「ひん」は強調する意味の接頭語と考えていい。「ひん曲がる」と言うと、「(ちょっとやそっとではなく)かなり大きく曲がる」という意味になる。

詩子に促されて若葉は雅也を連れて飫肥の町の観光に出かける。まず小村寿太郎記念館に立ち寄っている。小村寿太郎は明治期の外交官で、1901年(明治34年)に桂内閣の外務大臣に就任し、1905年(明治38年)のポーツマスに於ける日露講和条約調印で全権大使を務めた。いわゆる「郷土の偉人」的に地元でもその名が知られている。飫肥城大手門前に小村寿太郎の功績を紹介する「小村寿太郎記念館」が建っている。次に若葉と雅也のふたりは四半的をやっている。四半的は飫肥に伝わる弓技で、弓矢の長さが四尺五寸(約1.36メートル)、的の大きさが四寸五分(約13.6センチメートル)、的までの距離が四間半(約8.2メートル)と、すべて「四半」であることからこの名がある。そもそもは島津と伊東が対立した戦国時代に農民が竹製の小弓を持って参戦し、功績を挙げたことから、後々まで娯楽として行うことが許されたものという。正座の姿勢で矢を射るのが特徴で、現在でも競技会などが盛んに行われている。四半的の後に若葉と雅也は飫肥城址を歩いている。ちょうど大手門から入ったあたりだろう。

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- 「わかば」に見る宮崎−INDEX
- 「わかば」に見る宮崎−第1週(2004年9月27日〜10月2日放送)
- 「わかば」に見る宮崎−第2週(2004年10月4日〜10月9日放送)
- 「わかば」に見る宮崎−第3週(2004年10月10日〜10月16日放送)
- 「わかば」に見る宮崎−第4週(2004年10月18日〜10月23日放送)
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