横浜線沿線散歩公園探訪
八王子市堀之内
堀之内北八幡緑地
Visited in October 2021
堀之内北八幡緑地
八王子市堀之内の西南部に堀之内北八幡神社が鎮座している。周辺は堀之内北八幡緑地として整備され、昔ながらの風景が残されている。2007年(平成19年)に供用開始となった都市緑地だ。
堀之内北八幡緑地
堀之内北八幡緑地は堀之内北八幡神社周辺の環境を昔のままに保存し、近隣の人たちの憩いの場として整備したものだろう。5700平方メートルほどの面積を有する緑地だ。おそらくこの面積には堀之内北八幡神社の境内地は含まれていないと思うが、どの範囲が神社の境内地なのかは判然とせず、ほぼ一体化して緑地であり、神社の境内地であるように感じられる。

堀之内北八幡緑地
堀之内北八幡緑地、すなわち堀之内北八幡神社は小高い丘の上の立地だ。社殿のすぐ東側を都道155号町田平山八王子線(平山通り)が南北に通っている。平山通りは神社の鎮座する丘の裾をトンネルで抜けている。位置的には切り通しで道路を通すこともできたはずだが、それでは神社の丘が道路脇に“孤島”のように残されてしまうわけで、こうして道路をトンネルで通し、その上を緑地として残したのだろう。トンネルの南側、平山通りの歩道から緑地に登る階段状の小径がある。小径を上って振り返ると、京王堀之内駅付近の風景がよく見える。なかなかの眺望である。
堀之内北八幡緑地
堀之内北八幡神社は八幡神社であるから応神天皇(誉田別尊、ほんだわけのみこと)を祀る神社だ。境内地に設置された案内パネル「北八幡神社の歴史」によれば、滝山城を拠点としていた大石定久(道俊)の弟である大石宗虎(後の定基)が、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を分祀して堀之内寺沢の宮嶽山に祀り、神社を建立したのが始まりという。大石宗虎(後の定基)は松木に屋敷を構え、由木周辺の地域を治めていた。その後、神社は現在地に遷座、堀之内村、松木村、越野村の三村の鎮守として、開運、厄除、家内安全、必勝祈願などの守護として人々の篤い信仰を受けてきた。現在の社殿は1994年(平成6年)に改築されたものだが、木々に包まれて土地の鎮守らしい風格を漂わせている。
堀之内北八幡緑地
堀之内北八幡神社社殿横には甘酒地蔵尊が祀られている。甘酒地蔵尊とは興味深い名だが、傍らにその由来を記したパネルがある。幕末に横浜が開港されて八王子宿から横浜へと生糸が運ばれるようになると、八王子から横浜に通じる街道には多くの人々が行き交った。北八幡神社に通じる街道も人々の往来が多かったので茶屋の主人が甘酒を売り出したのだが、いっこうにお客が寄りつかなかったという。店主が悩んでいると、夢の中で「神社を崇拝せよ」とのお告げを受けた。それから毎日欠かさず神社に参拝したところ、日増しに客が増え、商売は大繁盛したそうである。これも信仰の賜物と、この地に地蔵尊を建立したと伝えられているという。
堀之内北八幡緑地
社殿の裏手は丘の頂上で、展望所のように整備されてベンチなども置かれている。一角には標高約108.5mである旨を記した標柱が立てられている。“展望所”からは西に視界が開け、堀之内の住宅街が眼下に広がっている。その向こうに低く連なる緑の丘陵は都立大の建つ丘から由木の辺りか。その向こう、遥かに遠く青く霞んで連なる高い山々の稜線は丹沢の山々だろうか。さらにその山々の向こうには富士山の頂上が小さく見えている。素晴らしい眺望である。
堀之内北八幡緑地
社殿の正面はトンネルの上で、なだらかな斜面が東へ降りて散策路が辿っている。この部分はこの辺り一帯が宅地造成される際に緑地として整備されたところだろう。かつては“鎮守の杜”の一角で、鬱蒼と木々が茂っていたに違いない。今は実質的にここが神社の参道の役割を担っている。緑地の北側では生活道路がトンネル上を東西に抜けて都道155号(平山通り)の東西を繋いでいる。
堀之内北八幡緑地
堀之内北八幡緑地は堀之内北八幡神社とその境内地を残すためにその周辺を緑地としたものだろう。体感的には堀之内北八幡緑地と堀之内北八幡神社は同一であると言っていい。新年などには地域の人が参拝に訪れるようだが、普段は人の姿もなく、ひっそりとしている。

遠方から訪れたくなるような特徴はないが、神社巡りの趣味の人なら訪ねておきたいだろう。また小高い丘という地形は楽しく、特に社殿裏からの眺望の素晴らしさは特筆しておきたい。周辺には堀之内こぶし緑地や堀之内芝原公園といった公園もあり、さらに北へ足を延ばせば堀之内の里山風景も残っている。それらと併せて散策を楽しむのもお勧めだ。
堀之内北八幡緑地 堀之内北八幡緑地