横浜線沿線散歩公園探訪
八王子市松が谷
大塚公園
Visited in April 1999
大塚公園
八王子市松が谷の北西側の端に位置する公園で、テニスコートや野球場、プールなどを併設しており比較的規模も大きい。公園はおよそ東西に長く、南側が松が谷地区のバス通りに面していて、駐車場も道路沿いに用意してある。駐車場の脇には管理事務所があり、テニスコートや野球場の利用の際には事務所に申し込むようだ。管理事務所横の入口の脇には公園の案内図が設置してあるので初めての人は目を通しておくとよいだろう。

大塚公園「芝生広場」
管理事務所横の小道に添って公園内に入って行くと、すぐ右手下方に野球場が見える。小道はそのまま野球場を回り込むように右手へカーブして公園の北側へと降りて行くが、小道の左手の木立の向こう側に広場があるのがわかる。その名も「芝生広場」というその広場は南側から北側に向かって緩やかな傾斜を持っており、ケヤキなどの木々が周囲を取り囲んでいる。木陰のベンチなどは見るからに気持ち良さそうだ。北側の一角には東屋風の休憩所や遊具類を配した小さな子どもたち向けの遊び場が用意されている。広場の南側にも屋根のある休憩所が用意されており、ここは広場全体を見下ろすような印象でくつろいだひとときを過ごすことができる。

「芝生広場」の西側には雑木林があるが、バードサンクチュアリとしてのものであり、フェンスで囲まれた林の中に立ち入ることはできない。林の北側には野鳥観察用のデッキが用意されており、林に集まる野鳥の種類などを記した案内板が設置されている。

大塚公園「敷石住居址」
「芝生広場」から雑木林の北側を回り込むように散策路を進んで行くと、散策路横の「敷石住居址」が目に留まる。傍らに立てられている案内板の解説によれば、この公園の土の下には縄文時代中期の集落址が分布しているということで、昭和46年に行われた付近の鉄塔工事の際に住居址15軒をはじめ、多量の土器、石器が発掘されたのだという。公園に展示されている住居址はその時に発掘されたもののひとつを移設復元したもので、縄文時代中期後半(約4000年前)のものであるという。前述の発掘の際に出土した資料の数々は東京都埋蔵文化財センターに保管されているということだ。 興味のある人は訪ねてみるとよいだろう。

大塚公園「運動広場」横の遊具
「敷石住居址」を後に歩を進めて行くと再び広場だ。「運動広場」と名付けられたその広場はさきほどの「芝生広場」より広く開放感に溢れている。広場の北側には休憩所があり、そのさらに北側は一段下がってテニスコートだ。そもそも松が谷地区はその名に「谷」の字があるにもかかわらず高台にあたるのだが、大塚公園はその高台の北の端に位置しており、この「運動広場」の北側の休憩所からはテニスコート越しに北方の眺望が開けている。「運動広場」の南側の端には木製の大型の遊具が何種類が設置してあり、近所の子どもたちの遊ぶ姿を見かけることも多い。

「運動広場」をひとまわりして雑木林の南側に戻ると横にプールが見える。夏は子どもたちの歓声が響くのだろうがオフシーズンは閑散としている。プールの横の散策路を進んで行くとバス通りを跨ぐ歩道橋の傍らにでる。この歩道橋を渡って行くと「伊勢参り遊歩道」という舗道を経て大塚西公園へと至る。大塚西公園も緑の多い静かな公園なので時間が許せばそちらにも訪れてみるとよいだろう。

散策路をさらに進めばやがて「芝生広場」の南側、管理事務所の裏手に戻る。その一角には中央の花壇を囲むようにベンチの置かれた円形のスペースがある。木立に囲まれた静かな場所だ。花壇は春先にはパンジーが植えられ美しい景観を見せてくれていた。

大塚公園の野外彫刻
公園を一周するのにそれほど時間はかからない。「芝生広場」から「運動広場」にかけてのんびりと散策するのもよいし、どこかに腰を落ち着けてお弁当などを広げてもよいだろう。「芝生広場」や「運動広場」の隅には野外彫刻も置かれており、興味のある人には楽しめるものに違いない。

テニスコートやプール、広場や雑木林などの各種設備のある比較的大きな公園として標準的な姿とも言える大塚公園だが、それだけにこれといった特徴が無いと言えるかもしれない。また公園の中には送電線の鉄塔が立てられており、せっかくの景観を興醒めにしていないとは言えない。とは言うものの、交通量の多い道路に面しているわけでもなく、公園全体はとても静かで穏やかな印象があり、のんびりとしたひとときを過ごすのには魅力的な場所であるには違いない。大塚西公園などの近くの別の公園に足を延ばすのも楽しいだろうし、松が谷地区自体が緑の多い町並みであるのでひととき散策を楽しむのも良いかもしれない。管理事務所横の公園の案内図には松が谷地区の簡単な地図も併記してあるので見ておくと良いだろう。
大塚公園