横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市港北区綱島台
綱島公園
Visited in May 2011
綱島公園
横浜市港北区の北部、東急東横線綱島駅の北方、綱島台の町に、その名に“綱島”を冠した「綱島公園」がある。公園の位置する町の名、「綱島台」が意味するように、この辺りは小高い丘陵地になっており、綱島公園はその丘陵地の東端部分を整備して設けられたもののようだ。総面積は3ha弱、特筆するほど広大というわけではないが、住宅地の中に位置する公園としては充分に広い。公園は1944年(昭和19年)に開園されたもののようで、なかなか歴史も古い。
東急東横線綱島駅を西側へ出て、駅前の道路を北へ向けて辿ってゆくと、やがて道は坂道となり、登り坂の向こうに緑濃く木々に覆われた丘が見えてくる。それが綱島公園だ。公園は南北に長く、ここが南端部に当たる。公園の林の中へ散策路が延びている。案内図によればここが公園の「東口」らしい。少し西側へ行ったところに「中央口」もあるようだが、「東口」から公園内に入ってゆこう。

綱島古墳
公園南端部はひときわこんもりとした小高い丘になっている。横浜市指定史跡の「綱島古墳」であるらしい。横浜市教育委員会によって1991年(平成3年)に設置された解説によれば、古墳は径が約20m、高さ約3mの円墳で、5世紀の後半から末にかけての時代に築造されたものらしい。1989年(平成元年)に発掘調査が行われ、埋葬施設から鉄刀や刀子が、また古墳周辺からは土器や埴輪などが出土したという。古墳はこの地域の首長の墓であるらしく、なかなか貴重なものであるようだ。今では木々に覆われた小さな丘にしか見えないが、その姿に古代の人々の営みを想像してみるのも楽しい。

綱島古墳の北側には少し低地となった部分にテニスコートとプールが設置されている。訪れたのは5月で、もちろんプールは使われていなかったが、テニスコートでは地元の人たちがテニスを楽しむ姿があった。公園の案内図には「テニスコートは6月中旬から9月中旬までプールになります」とある。現在テニスコートとして使われている施設が、夏期にはプールに姿を変えるのだろうか。ちょっとおもしろい。

テニスコートとプールの部分を回り込むように北側へ辿ると、丘の上に広場がある。ふたつの広場があり、南側には遊具類を設置した「子供の遊び場」、北側には平坦な地面の「多目的広場」が設けられている。

綱島古墳−子供の遊び場
「子供の遊び場」に設置された遊具はブランコや滑り台、鉄棒などの一般的なもので、特にユニークな遊具が設置されているわけではないが、地元の子どもたちの遊び場としては充分なものかもしれない。広場全体が丘の上に位置し、木々に囲まれて街の喧噪からも離れ、静かで穏やかな空間を成しているのが素敵だ。訪れたときも地元の人たちらしい子ども連れのお母さんたちの姿があった。子どもたちにとっては良い遊び場、お母さんたちにとっては気分転換の散歩道の役割を担っているのかもしれない。「子供の遊び場」の西側の隅には藤棚があった。藤の花期には美しい姿を見せてくれることだろう。

綱島公園こどもログハウス
「多目的広場」は何も設置されていない、文字通りの“広場”だ。地元のお祭りなどのイベントの会場として使われるのかもしれない。この「多目的広場」の北側には木々に抱かれるようにしてログハウスが建っている。「モッキー」という愛称の付けられたログハウスは正式には「綱島公園こどもログハウス」といい、子どもたちのための遊び場として造られたものだ。内部には「つみきのへや」や滑り台、「地下迷路」などが設けられ、子どもたちがさまざまに遊べるように工夫されている。横浜市内には同様のログハウスを設けた公園が他にもあるが、ここもそうしたもののひとつだ。

こどもログハウスの横を抜けて北へ辿ると、そろそろ綱島公園の北端部分だ。脇の道へ降りて北方を見ると、足元は崖になっていてその向こうに綱島西から日吉本町にかけての町並みが広がっている。綱島公園の丘はそのまま西へ連なり、その尾根に残った樹林地は「綱島市民の森」として解放されている。散策の足を延ばしてみるのも楽しい。
綱島公園は、その緑濃い丘の表情が何よりの魅力だ。駅に近い住宅地の中にまるで島のように浮かぶ緑の丘は、地元の人たちにとっては貴重な憩いの場であることだろう。来訪者の立場には綱島古墳の史跡が興味を惹かれるところだ。丘上の広場には桜の木が多く、横浜市内の桜の名所としても名を連ねている。桜の咲く時期にお花見に訪れるのもお勧めだ。綱島公園には駐車場はなく、訪れるときには公共の交通機関を利用しなくてはならない。東急東横線綱島駅から近く、それほど不便ではない。
綱島公園