横浜線沿線散歩街角散歩
相模原市中央区上溝
鳩川
(山谷橋〜与次右ェ門橋)
Visited in May 2015
鳩川(山谷橋〜与次右ェ門橋)
新緑の眩しい五月の半ば、JR相模線の上溝駅に降り、「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」と名付けられた散策ルートを歩いた。姥川に沿うように「てるて姫の里 ロマン探訪の小路」を辿ってゆけば横山丘陵緑地姥沢地区の最奥部に至る。その辺りは上溝地区の北端部、国道129号が県道508号を立体交差で越えてゆく「作ノ口」交差点が近い。「作ノ口」交差点から、帰路は鳩川に沿って上溝駅へと向かうことにしたい。鳩川は河岸の散策路などが整備されているわけではないが、川に沿うようにルートを選び、鳩川に架かる橋を訪ねるなどして下流側へと辿ってみたい。
山谷橋から鳩川上流側を見る
「作ノ口」交差点から県道508号を南へ辿る。200mほど進むと鳩川の方へと道が辿っている。入り込んでゆくと道は「山谷(さんや)橋」という橋で鳩川を跨いでいる。鳩川は護岸工事が施されて巨大な溝のような様相だ。橋の上から上流側を見ると国道129号が鳩川を越えてゆく様子が見える。

山谷橋の袂、左岸下流側には公園がある。「上溝川辺公園」という名だ。鳩川河岸に細長く設けられた公園で、桜やメタセコイアなどの樹木が園内に木陰を落としている。春の桜や秋の紅葉が美しいのだろう。

寒蓼橋付近の風景
公園からそのまま鳩川の河岸を辿ってゆくことはできないようだ。公園の南端部からいったん東側の住宅地へ抜け出て、住宅地の中の小さな交差点から西へ辿る道へ歩を進める。「寒蓼(かんたで)橋」という橋が鳩川に架かっている。橋から鳩川上流部を見ると上溝川辺公園の木々の緑が鳩川に覆い被さるように茂っている。

興味を覚えてそのまま寒蓼橋を渡って右岸側へ移動してみた。昔からの農家なのだろうか、道脇に何やら広い敷地のお屋敷があり、西側の道路に面して風趣に富んだ塀が延びている。その見事な塀に沿って南へ辿ると「長瀞橋」だ。「長瀞」という橋の名から推測するなら、昔はこの付近での鳩川の流れは緩やかだったのだろうか。鳩川は昔は「旗川」と呼ばれ、地域によっては「長瀞」とも呼んでいたらしい。その名残が橋の名になっているのだろう。

住宅地の中の畑
長瀞橋の袂から鳩川左岸に沿った道が延びているが、河岸に建つマンションの私有地らしく、「通り抜け厳禁!」との注意書きがあった。東側を回り込むことにしよう。長瀞橋から東へ向かい、住宅地の中の交差点を折れて南へ向かう。

少し行くと住宅地の中に畑地が横たわっていた。美しく耕作された畑で、道路に近い辺りではネギやナスが育っているようだった。畑地脇の交差点を西へ折れ、少し進むと「久保(くぼ)橋」が鳩川を跨いでいる。

「久保橋」の袂、左岸上流側には「鳩川あじさい公園」という小さな公園があった。その名のように園内には紫陽花が植栽されているようだが、それほど数は多くないように見えた。

妙見橋付近の風景
久保橋からさきほどの畑横の交差点に戻り、住宅地の中を南へ辿る。200mほど進むと道は鳩川の河岸に出た。さらに100mほどで「妙見(みょうけん)橋」が鳩川に架かっている。妙見橋から100mほど進めば県道54号に出る。「鳩川新橋」が鳩川を跨いで県道54号を通している。何やら鳩川の橋巡りのような様相になってきたが、それはそれで楽しい。

県道54号は県道503号の延長のように「上溝」交差点から西へ延びて国道129号と交差した後、田奈方面へと繋いでいる。交通量も多い。鳩川新橋西側に設けられた横断歩道で県道を横断しよう。県道の南側に横断した後は、また鳩川の左岸を下流側へと辿ってゆこう。

段差
鳩川の河岸には住宅が建ち並び、河岸に沿った道はない。住宅地の中を歩く。県道54号から100mほど進んだところで、左手(北東側)へと逸れる道があった。その道脇の風景に興味を覚えて入り込んでみる。

この道を境に北側と南側で小さな段差があるようだ。これも河岸段丘のひとつだろうか。その段差をスロープのように坂道が降りて段差の上下の道を繋いでいる。そのまま進むと道脇にはコンクリートの崖面が続く。地図で確認すると、その上には上溝高校が建っているようだ。

車屋橋から鳩川上流側を見る
少し進むと、南へ向かう道がある。そちらに向かうと「車屋(くるまや)橋」が鳩川を跨いでいた。車屋橋の上から鳩川を眺めてみる。ここでももちろん護岸工事の施された様相だが、左岸側と右岸側とで土地にかなりの高低差があることに興味を覚える。右岸側は左岸側に比べて数メートル高く、左岸側に建つ住宅の二階部分より右岸側の住宅の一階部分の方が高い。だから車屋橋そのものも“坂”になっている。“地形”というものの面白みを感じる。車屋橋の袂、左岸上流側には「鳩川れんげ公園」という小公園がある。狭い敷地に遊具を設けた公園だ。近所の子どもたちの遊び場なのだろう。

右岸側から見る与次右ェ門橋
車屋橋からまた左岸側の住宅地の中を辿る道に戻り、下流側へ向かう。150mほど進むと、また鳩川を越えてゆく道がある。鳩川に架かる橋は「与次右ェ門(よじえもん)橋」という。興味を引く橋の名だ。「与次右ェ門」は1940年代後半から1950年代にかけて相模原町長や市制が施行されて相模原市となった(市制の施行は1954年)後に相模原市長を務めた小林與次右ヱ門のことだろうか。あるいはまた別の与次右ェ門氏なのだろうか。いずれにしても、おそらく架橋に際して尽力した人物の名を冠したものなのではないか。橋の名の由来を知りたいものだ。
鳩川
与次右ェ門橋から東へ向かう坂
与次右ェ門橋で鳩川を離れ、上溝駅へと向かうことにしよう。橋から北東の方角へと道を辿れば河岸段丘と思われる段差を緩やかな坂道で上る。坂道の両脇は石垣だ。昔から坂道を経て与次右ェ門橋で鳩川を渡ってゆく道が通じていたのだろう。坂を上ると、左手に「上溝中央公園」という公園があった。広場の中に遊具を設けた公園だ。2600平方メートルという面積は決して広くはないが、住宅地の中の公園としては広い方だろう。

大鷲神社
公園横の道を東へ進み、交差点を北へ100mほど進むと、交差点脇に大鷲神社が鎮座している。社殿の横に「上溝本町自治会」の名で由緒を書いた案内板がある。そもそもは元和年間(1600年代初期)に秋葉神社が建立されていたようだが、明治の終わり頃に上溝本町在住の商店主が観業会を結成、商売の繁盛と発展を祈願して大鷲神社を建立したものではないかという。大鷲神社は日本武尊を祭り、商売繁盛、開運の神として信仰され、秋には酉の市で賑わう神社だ。この上溝の大鷲神社でも酉の市はたいそう賑わうそうである。簡素な社殿だが地元の人々の信仰を集める神社である。

大鷲神社から東へ進めば県道46号に出る。すぐ北側が「上溝本町」交差点だ。「上溝本町」交差点から県道57号「てるて通り」を数百メートル東へ辿れば上溝駅だ。「てるて通り」沿いの商店の様子などを眺めながら、のんびりと上溝駅に向かうことにしよう。
てるて姫の里 ロマン探訪の小路」を歩いた後の、帰路として鳩川に沿って歩いてみたが、さまざまな風景に出会えた散策だった。特に鳩川に架けられた小さな橋の名に興味を覚える。それぞれの橋の名の由来を詳しく知りたいものだ。次の機会には今回歩いた区間の上流側や下流側へと足を延ばしてみたい。
鳩川(山谷橋〜与次右ェ門橋)
鳩川(山谷橋〜与次右ェ門橋)
鳩川(山谷橋〜与次右ェ門橋)