幻想音楽夜話
Prelude / Deodato
1.Also Sprach Zarathustra (2001)
2.Spirit Of Summer
3.Carly & Carole
4.Baubles, Bangles And Beads
5.Prelude To Afternoon Of A Faun
6.September 13

Eumir Deodato : piano, electric piano
John Tropea : electric guitar
Jay Berliner : guitar
Hubert Laws : flute
Marvin Atamm : trumpet
Ron Carter : bass
Stan Clarke : electric bass
Billy Cobham : drums
Airto Moreira : percussion
Ray Barretto : percussion

Arranged and Conducted by Eumir Deodato
Produced by Creed Taylor
Recorded Sep 1972
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 「ツァラトゥストラはかく語りき」というタイトルのクラシックの楽曲をご存じだろうか。リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した「交響詩」で、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの同名の著作にインスパイアされて創作されたものという。原題は「Also sprach Zarathustra」といい、日本では「ツァラトゥストラはかく語りき」、あるいは「ツァラトゥストラはこう語った」といったように訳されている。リヒャルト・シュトラウスの作曲した交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」は全9部から成り、30分を少し越えるほどの時間で演奏される楽曲だが、その序奏部分が1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」において印象的に使用されたことでクラシック音楽ファン以外の人々にもよく知られるところとなった。ちなみにスタンリー・キューブリック監督による「2001年宇宙の旅」はSF映画の傑作として知られ、「ツァラトゥストラはかく語りき」の他にも「美しく青きドナウ」などのクラシックの楽曲が効果的に使用されている。その音楽と映像との見事な同調性が話題になったものだ。

 この「ツァラトゥストラはかく語りき」が、大胆なジャズ・アレンジによる演奏でヒット曲となったことがある。アメリカでは1973年の春頃に大ヒットし、日本でも同年夏頃になかなかのヒット曲になった。クラシックの楽曲をジャズにアレンジしたインストゥルメンタル曲がヒット・チャートにも登場するような大ヒット曲になるというのは、当時でもかなり珍しいことだった。このジャズ・アレンジの「ツァラトゥストラはかく語りき」を制作したのが、ブラジル出身のミュージシャン、エウミール・デオダートだ。

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 エウミール・デオダートは1943年、リオデジャネイロに生まれている。ブラジル国内での音楽活動を経て1967年に渡米、アメリカの音楽シーンで作編曲者として頭角を現した。1960年代末から1970年代初頭にかけて、エウミール・デオダートはフランク・シナトラやアレサ・フランクリンといった錚々たるミュージシャンの作品の数々に携わり、またCTIレーベルを主宰するクリード・テイラーに見込まれ、彼の元でもアントニオ・カルロス・ジョビンやポール・デスモンド、ウェス・モンゴメリーらの作品でその手腕を発揮している。クリード・テイラーの勧めもあったのか、そのエウミール・デオダートが自らのリーダー・アルバムを制作、CTIから発表するのが1972年のことだ。

 エウミール・デオダートの初リーダー・アルバムはタイトルを「Prelude」という。大ヒットとなった「ツァラトゥストラはかく語りき」を収録したアルバムであるからか、日本では「ツァラトゥストラはかく語りき」がタイトルとして使用されている。「Prelude」というタイトルは、エウミール・デオダートのその後の活躍を見ればなかなか暗示的だが、収録された「Prelude To Afternoon Of A Faun(牧神の午後への前奏曲)」から取られたもののようだ。アルバムの名義はシンプルに「Deodato(デオダート)」とされ、この後も彼は「Deodato(デオダート)」名義で数々の作品を発表、日本でもフルネームの「エウミール・デオダート」より単に「デオダート」として、広くジャズ/フュージョン・ファンにその名が浸透している。

 アルバムのタイトル・トラックとなった「Prelude To Afternoon Of A Faun(牧神の午後への前奏曲)」はクロード・ドビュッシーの作曲による有名曲、「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」は、前述したがリヒャルト・シュトラウス作曲の楽曲に題材を求めたものだ。ちなみにアルバムに収録された「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」は9分ほどの演奏時間だが、これをクリード・テイラーがシングル用に5分ほどに編集し、このシングル・ヴァージョンが大ヒットとなった。このアルバムでデオダートがクラシックの楽曲を題材に選んでいるのは、クリード・テイラーの意向が大きかったのだろう。ジャック・ルーシェやオイゲン・キケロなど、クラシックの楽曲をジャズ・アレンジで演奏するミュージシャンは少なくはないが、クリード・テイラーもまたクラシック曲のジャズ・アレンジによる演奏というものに積極的だったようで、同時期、CTIレーベルからヒューバート・ローズによる「春の祭典(1971年発表)」やジム・ホールによる「アランフェス協奏曲(1975年発表)」といった作品が発表されている。

 他の収録曲中、「Baubles, Bangles And Beads」はGeorge ForrestとRobert Wrightのコンビによって書かれたスタンダード・ナンバーで、さまざまなミュージシャン、シンガーによってカヴァーされてきた有名曲、「Spirit Of Summer」、「Carly & Carole」、「September 13」の3曲はデオダート自身の作曲による楽曲だ。ちなみに「Carly & Carole」の「Carly」はカーリー・サイモン、「Carole」はキャロル・キングのことであるらしい。カーリー・サイモンは1971年にデビューしたシンガー/ソングライターで、1972年暮れから1973年初頭にかけて「You're So Vain(うつろな愛)」が大ヒットしている。キャロル・キングはリトル・エヴァが歌ってヒットした「ロコモーション」の作者としても知られているが、1970年代以降はシンガー/ソングライターとして名を馳せ、1971年には名盤「Tapestry(つづれおり)」を発表、その中の「It's Too Late(心の炎も消え)」が1971年夏の大ヒット曲になっている。「Carly & Carole」は、デオダートが彼女たちへの敬意を込めて作った楽曲なのだろう。

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 デオダートという人は作曲と編曲の才能に長けた人だが、キーボード奏者としてもとても優れたプレイヤーだ。この「Prelude」でも彼の多才ぶりが存分に発揮されている。アルバム制作のために集められたミュージシャンたちは、ジョン・トロペイ、ジェイ・バーリナー、ヒューバート・ローズ、マーヴィン・スタン、ロン・カーター、スタンリー・クラーク、ビリー・コブハム、アイアート・モレイラ、レイ・バレットといった錚々たる顔ぶれだ。すべての楽曲にすべてのミュージシャンが参加しているわけではなく、楽曲によって参加ミュージシャンが異なっているようで、楽曲それぞれに微妙に表情が異なっている。どのミュージシャンも技巧的にも一流の人たちだから仕上がった音楽もプロフェッショナルな印象のとても洗練されたものだ。

 「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」がヒットした頃、その中で聞かれる歯切れの良いギターのカッティングが話題になったものだ。そのギターを弾いているのがジョン・トロペイだ。「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」のヒットとアルバム「Prelude」は、それまで数々のミュージシャンの作品に参加していながらも「裏方」的な存在だったデオダートの名を広く知らしめることになったが、ジョン・トロペイというギタリストについても同じようなことが言えるかもしれない。ジョン・トロペイもまた、これによって一躍名を馳せた。彼が自身の初リーダー・アルバムを発表するのは1976年になってからだが、彼がセッション・ミュージシャンとして参加した作品は数知れず、後のニューヨーク・フュージョン・シーンの隆盛を支えたミュージシャンのひとりとして広く知られている。

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 アルバム「Prelude」の音楽、すなわち当時のデオダートの音楽は、ひどく大雑把な言い方をするなら「ジャズ」だが、「ジャズ」というものの一般的な概念を超えてさまざまな音楽のスタイルを内包したものだったと言っていい。例えば「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」だ。クラシックの楽曲に題材を求め、ブラジル音楽の風味を織り込みながらロックのスパイスを利かせ、ジャズとして昇華させながらもポップな聞き易さを併せ持っている。他の楽曲もすべてそうしたアプローチによって音楽の形を成している。ブラジル音楽の味わいが濃いのはリオデジャネイロ出身の彼なら当然のことだが、ジャズからロック、ポップ、R&Bといったさまざまな音楽スタイルの要素が無理なく取り込まれ、それでいて難解さとは無縁の心地よさを感じさせるのは、それまでの彼の多岐に及ぶ音楽経験と才能の為せるものだろう。デオダートの音楽はとても心地よく響き、どちらかと言えば「イージーリスニング」的なスイートさを持っているが、「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」のシングルがヒットしたことの背景には、その音楽の聞き易く心地よい味わいがあったのは間違いない。

 そうしたスタイルの音楽は、1970年代後半になって「フュージョン」として確立し、「ジャンル」として成立するのだが、デオダートの「Prelude」が発表された1972年当時、「フュージョン」はおろか、それに先立つ「クロスオーヴァー」さえ、まだその萌芽が芽生えたに過ぎなかった。マイルス・デイヴィスの記念碑的作品「ビッチェス・ブリュー」が発表されたのは1969年、ウェザー・リポートのデビュー・アルバムは1971年、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」が1972年、ハービー・ハンコックの「ヘッドハンターズ」は1973年の発表だ。クロスオーヴァー/フュージョン・シーンの黎明期に於いて極めて重要なスタンスにある作品群が発表されたのが、この時期だった。1960年代末から1970年代初頭にかけて、ジャズ・シーンはそのような時代を迎えていたのだ。

 前述のようなクロスオーヴァー/フュージョンの先駆的作品群は、どこか実験的で挑戦的な香りを孕んでおり、まさに時代を牽引した作品という印象があるのだが、デオダートの「Prelude」にはそうした印象が薄い。当時の音楽シーンに於いては充分に実験的で挑戦的であったはずだが、音楽の佇まいにそうした匂いが感じられない。デオダートはさまざまなスタイルの音楽に精通したアレンジャーであり、決して新しい音楽の創造に挑戦しようとしていたジャズ・ミュージシャンではなかった。彼のそうしたスタンスが音楽の佇まいに表れているのかもしれない。今になって「Prelude」を聴けば、種々の音楽の要素を無理なく融合させて聞き易く仕上げたフュージョン・ミュージックそのものに思えるが、そう聞こえてしまうことこそ、この作品が時代に先んじていたことの証左に他ならない。

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 しかし当時、個人的にはデオダートの「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」をジャズ/クロスオーヴァー/フュージョンといった観点とはまったく異なった方向から聴いていた憶えがある。「Prelude」が発表された1972年、そしてシングルとして発売された「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」がヒットした1973年、ロック・シーンでは「プログレッシヴ・ロック」が全盛期を迎えていた。EL&Pがクラシックの楽曲を大胆にロック・ミュージックにアレンジして演奏して見せた「展覧会の絵」が発表されたのが1972年のことだ。ジョン・ハイズマンを擁したコロシアムや、徐々に音楽性を変化させていたソフト・マシーンがジャズとロックを融合させたような音楽を創造しようとしていたのもこの頃だ。「プログレッシヴ・ロック」のファンにとって、ロックがクラシックやジャズとの融合を試みるのは常識的なことだったと言っていい。一部の「プログレッシヴ・ロック」のファンにとっては、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラやウェザー・リポートなどもいわゆる「守備範囲」だったし、ラベルやドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、さらにはマーラーといったクラシック楽曲まで興味の対象となり得た。そのような中で、デオダートの「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」がどのように聞こえたのか、言うまでもない。

 あの頃、「プログレッシヴ・ロック」の先鋭的で実験的な音楽性に酔い、そこからさらにその向こうにある音楽へと手を伸ばそうとしていた。根っからの「ロック・ファン」であることを標榜しつつも、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」やリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」にまで食指を伸ばして聴いていたものだ。そのような中で、ラジオから聞こえてきたデオダートの「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」に同じ匂いを感じ取ったのは確かだ。ビリー・コブハムのタイトなドラム、ジョン・トロペイの切れ味鋭いギター、デオダートの流麗なエレクトリック・ピアノ、それらがリヒャルト・シュトラウスの名曲を奏でている。軽やかで心地よく、少しばかり幻惑的な味わいを携え、ジャズでありながらロックのグルーヴを感じさせつつ、洗練された中に知的なスリルを孕んで絶妙な編曲で演奏される「ツァラトゥストラはかく語りき」、その音楽に魅了されないはずはなかった。その音楽は「プログレッシヴ・ロック」の「向こう側」にある音楽そのものだった。当時、同じようにデオダートの「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」を聴いていたロック・ファンは少なくなかったのではないか。

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 あれから30年以上の時を経て、久しぶりにデオダートの「Prelude」を聴く。あの頃と比べればすいぶんとこちらの「耳」も変化した。あの頃は「Also Sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)」ばかりが強く印象に残ったものだが、今になってようやくアルバム「Prelude」を冷静に俯瞰することができるような気がする。あらゆるジャンル、さまざまなスタイルの音楽を分け隔てなく抵抗なく聴くことができるようになってようやく、このアルバムの本当の良さが見えてきた気がする。洗練された編曲の妙、卓越したミュージシャンたちの見事な演奏の粋、リラックスして心地よい表情の中に潜む知的なスリル、そしてその中から香りたつ音楽の感動、すべてが素晴らしい。ミュージシャンたちの演奏を追いながら、その音のひとつひとうに酔うのもいい。ぼんやりとその音楽に身を預け、浸るように聞くのもいい。部屋の中でじっくりと耳を傾けるのもいい。車に持ち込んでドライヴのBGMに流すのもいい。どんな聴き方にも応えてくれる。ジャズとロックが互いを意識しながら刺激しあっていた頃、時代を遙かに先んじて造り上げられた見事なフュージョン・ミュージックだ。名盤である。