幻想音楽夜話
Out Of The Mist / Illusion
1.Isadora
2.Roads to Freedom
3.Beautiful Country
4.Solo Flight
5.Everywhere You Go
6.Face of Yesterday
7.Candles Are Burning

John Hawken : piano, Fender Rhodes, Mini-Moog, mellotron & organ
Louis Cennamo : bass
Jane Relf : vocals
Jim McCarty : vocals, accoustic guitar & percussin
John Knightsbridge : guitars
Eddie McNeil : percussion & drums

Produced by Doug Bogir and The Band
1977
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1968年にヤードバーズを脱退したキース・レルフとジム・マッカーティのふたりは、クラシカルな音楽性を指向し、新バンドを結成して活動を開始する。バンドの名は「ルネッサンス」という。ルネッサンスは1970年にファースト・アルバム「ルネッサンス」を、翌1971年にはセカンド・アルバム「イリュージョン」を発表するが直後に解散してしまう。契約上の問題から、「ルネッサンス」の名はアニー・ハズラムをヴォーカリストに擁した別のバンドに引き継がれた。アニー・ハズラムのルネッサンスもまたクラシカルなロックを演奏するバンドで、後に商業的にも成功を収めることになる。こうしたロック・ミュージックを好きなファンの間では、キース・レルフの結成したルネッサンスを「オリジナル・ルネッサンス」、アニー・ハズラムのルネッサンスを「アニー・ハズラムズ・ルネッサンス」と呼び分けている。

 キース・レルフは1975年になってハード・ロック・バンド「アルマゲドン」を結成してアルバムを発表するが、すでに時期を逸した観があり、成功を収めることはできなかった。アルマゲドンを解散させたキース・レルフは「オリジナル・ルネッサンス」再結成へと向かう。「ルネッサンス」の名が使えないために、新バンドの名は「ナウ」と決まった。しかし「ナウ」は実現することなく幻のバンドになってしまった。1976年5月14日、キース・レルフは自宅で感電事故のために死去してしまうのだ。

 1977年、残されたメンバーはキースの遺志を継ぐべく新バンドを結成する。バンドの名は「オリジナル・ルネッサンス」のセカンド・アルバムのタイトルをそのまま使い、「Illusion(イリュージョン)」とされた。イリュージョンのメンバーは「オリジナル・ルネッサンス」のメンバーだったジム・マッカーティ、ジェーン・レルフ、ジョン・ホークン、ルイス・セナモの四人に新メンバーのジョン・ナイトブリッジ、エディ・マクニールのふたりを加えた六人だった。イリュージョンは「オリジナル・ルネッサンス」の音楽性を継承し、夢想的で叙情的な味わいのクラシカルなロック・ミュージックを指向した。そしてその年のうちにイリュージョンのファースト・アルバムが発表される。タイトルを「Out Of The Mist(日本では「醒めた炎」と題された)」という。

 イリュージョンのメンバーたちにとって、この作品はキース・レルフへ捧げた追悼の意味もあったのだろう。イリュージョンの「Out Of The Mist(醒めた炎)」という音楽作品は、希にみる傑作となった。収録された楽曲、アルバム全体の構成、メンバーの演奏、どれをとっても素晴らしく、怜悧な知性を感じさせながら叙情的な佇まいの中から静かに匂い立つように音楽の感動が湧き上がる。

節区切

 アルバムはクラシカルなピアノの響きに導かれて「Isadora」で幕を開ける。ジムがリード・ヴォーカルを担当し、ジェーンがコーラスをつけている。透明感溢れる演奏はその響きの中に終始深い哀しみを湛え、深い味わいを醸し出している。静謐さの中に浮かび上がるようなメロディの何と美しいことだろうか。7分ほどの演奏時間を持つ長い楽曲だが長さを感じさせない。「名曲」と言っていい。深い余韻の中で「Isadora」がエンディングを迎えると、アコースティック・ギターの響きに印象的にピアノが加わり、「Roads to Freedom」が始まる。リード・ヴォーカルを担当するのはジェーンだ。ゆったりとたゆたうような曲調は広大な海原を往くかのようなイメージを想起させる。「Roads to Freedom」というタイトルが示すように、自由の地を目指す航海のようだ。静けさの中に決然とした力強さを感じさせる曲想が素晴らしい。「Beautiful Country」はスローな楽曲で、安らぎと穏やかさの中に哀感を滲ませた曲想が少しばかり夢想的な郷愁を誘う。この楽曲もジェーンがリード・ヴォーカルを担当する。「Solo Flight」はイントロからエッジの効いたギターが響く。少しばかりハードな感触の演奏の楽曲だ。リード・ヴォーカルはジムが担当している。

 「Everywhere You Go」は演奏時間は短いが、雄大な広がりを感じさせる楽曲だ。リード・ヴォーカルはジェーンだ。メロディも美しく、晴れやかな印象の曲想が素敵だ。「Face of Yesterday」は「オリジナル・ルネッサンス」時代のセカンド・アルバムに収録されていた楽曲の再演で、今回故キース・レルフに捧げられた曲という。クラシカルなピアノ演奏とジェーンの歌声が過ぎた日の思い出のようにせつなく哀しく美しく響く。「Candles Are Burning」は演奏時間7分を超え、楽曲の構成も凝った造りになっており、アルバムのエンディングを飾るに相応しい「大作」だ。前半部分では力強さに満ちた演奏が展開され、やがて終盤では曲調が変化し、静けさの中から徐々にクライマックスへと向かい、雄大な広がりの中でエンディングを迎える。ドラマティックな楽曲だ。

 「Isadora」から「Candles Are Burning」まで、全部で7曲、演奏時間はトータルで36分ほどだが、その内容の濃さゆえに36分という演奏時間に物足りなさを感じることはない。音楽の感動に満ちた36分間だ。「Roads to Freedom」、「Beautiful Country」、「Solo Flight」の3曲はジム・マッカーティとジョン・ホークンの共作だが、他の4曲はジム・マッカーティのペンによる楽曲だ。どの楽曲もそれぞれに素晴らしい。この、各楽曲そのものの質の高さは、「Out Of The Mist」という作品の魅力に於ける重要な要素のひとつだ。そしてそれらの楽曲の魅力を存分に表現したアレンジとバンド演奏も素晴らしいものだ。演奏という点で言えば、「Out Of The Mist」での全体的な音像の印象を決定しているのはジョン・ホークンの奏でるピアノだろう。クラシック音楽の要素を取り入れた彼のピアノ演奏こそは、「Out Of The Mist」という音楽作品に無くてはならないもののひとつだ。彼の奏でるピアノのリリカルな響きの美しさは広大な英国ロック・シーンの中でも屈指のものではないかと思える。「Out Of The Mist」という音楽作品に無くてはならないもの、を、もうひとつ挙げるとすれば、それはやはりジェーン・レルフの歌唱の魅力だ。彼女の歌声はどこか少し翳りを含み、陰影に富んだ豊かな表情を見せる。素晴らしい歌声だ。

節区切

 イリュージョンの「Out Of The Mist」は、一般的な認識で言えばいわゆる「プログレッシヴ・ロック」の範疇に属する音楽だが、インプロヴィゼーションを多用した器楽演奏の緊張感を中心に据えた音楽ではなく、あるいは音楽的実験を試みた前衛的なものでもなく、そしてまた壮大な音楽空間を構築してその中に神話的な物語性や絵画的な映像性を想起させるような音楽でもない。楽曲そのものは一般的なポップ・ミュージックの楽曲として「真っ当な」ものだし、アレンジは少々凝った部分があるにしてもバンド演奏自体も奇をてらったところのないオーソドックスなものだ。しかし、クラシック音楽の要素を取り込んだ音楽の佇まいは格調高く気品に満ちており、穏やかで安らかな印象の中に叙情的で夢想的な哀しみを湛えている。知的に抑制された歌と演奏は怜悧な印象もあるが、その感触の奥底に静かな熱情を秘めている。日本語での「醒めた炎」という秀逸なタイトルが、この音楽のそうした感触を見事に象徴している。

 「Out Of The Mist」という音楽作品を一言で形容するなら、それはやはり「美しい音楽」だということだ。旋律の美しさ、ジェーン・レルフの歌声の美しさ、ジョン・ホークンの奏でるピアノの響きの美しさ、バンド演奏自体もジムのヴォーカルも、すべてが「美しい」響きを持っている。そしてそれらがひとつに織り込まれて形を成した音楽の佇まいそのものが、たいへんに美しい。その透明感に満ちた美しさは、精緻なガラス装飾のような繊細さを持っているが、その煌めきの中に凛とした力強さを併せ持っている。叙情的で哀感に満ちた音楽だが、決然とした潔さがある。これほど気品に満ちた静謐さを感じさせる美しいロック・ミュージックはなかなか他に類例がない。

 「Out Of The Mist」のそのような魅力が、聴く者に深い感動を呼ぶ。心の奥底から甦る遠い記憶のように、音楽の感動が静かにゆっくりと聴き手を包む。その透明な美しさに導かれ、聴き手の心もまた清涼な地平に解き放たれてゆくようだ。この音楽は決して感情の表層へと直接訴えかけるような無粋なことをしない。優しく手を差し伸べ、闇の中の一条の光のように安らぎと哀しみに満ちた透明な音楽世界へと聴き手を誘(いざな)う。その音楽世界は遠い日への郷愁や過ぎ去った夢への憧憬が結晶となって輝いているかのようだ。その静謐な煌めきのひとつひとつが、哀しみと安らぎを携えて聴き手の心に降り積もる。そしてその中から深く大きな音楽の感動が静かに湧き起こってくる。その感動は何物にも代え難い、心の中の宝物だ。

節区切

 「Out Of The Mist」が発表された1977年、ロック・シーンはパンクの台頭によって激動の時代を迎えていた。すでに「プログレッシヴ・ロック」の隆盛は終焉を迎え、こうした音楽が広く受け入れられる状況にはなかった。遅すぎたのだ。1978年にセカンド・アルバムを発表したイリュージョンは、1979年、サード・アルバム制作に取りかかった時点で解散に至ってしまう。時代は「パンク」から「ニュー・ウェイヴ」へと移行しようとしていた。ロック・シーンを激変させた荒波の陰で、イリュージョンというバンドもその作品も時代に埋もれるようにして一部のファンの間でのみ語られるに過ぎなかった観もある。

 しかし、発表から30年を経てもなお、「Out Of The Mist」という音楽作品の凛として気品に満ちた美しさは些かも衰えていない。時代の変遷の中で風化することのない、普遍的な美しさを持った音楽作品なのだ。クラシック音楽の要素を取り込んだ叙情的で夢想的なロック・ミュージックというものはこのようにあれ、とでも言うような、ほぼ理想形に近い音楽作品だと言っていい。そのようなロック・ミュージックを愛するファンであるなら必聴必携の名盤である。1970年代英国ロックを象徴する傑作中の傑作、1970年代英国ロックの遺した、まさに「至宝」のひとつである。