幻想音楽夜話
浅い夢 / 来生たかお
1.浅い夢
2.赤毛の隣人
3.晴れのち曇り
4.痛手
5.雑踏
6.悪い夜
7.待ち人来たらず
8.ボートの二人
9.夏まどい
10.不幸色のまなざし

musicians
渋井博 : piano, synthesizer, clabinet, glockenspiel, castanets
栗林稔 : piano
今井裕 : piano
富樫春生 : piano
是方博邦 : electric guitar
長井充男 : electric guitar, 12 string guitat
椎名和男 : electric guitar
大村憲二 : electric guitar
高中正義 : electric guitar
安田裕美 : acoustic guitar
高水健司 : electric bass
岡沢章 : electric bass
後藤次利 : electric bass
小原玲 : electric bass
村上秀一 : drums
高橋ユキヒロ : drums
市原康 : drums
斉藤伸雄 : percussion
浜口茂外也 : percussion
星勝 : wooden block, tree bells, cubula bells, simbal
山川恵子 : harp

All songs written by 来生たかお & 来生えつこ
Arranged by 星勝, 高中正義, 福井崚
Produced by 多賀英典
1976 Kitty Music Corp.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1980年の夏だったか、大学が夏休みに入り、郷里に帰って地元の友人を訪ねたときだった。その友人が「何か、いい音楽はないか」というので、「あるよ」と返事をして高中正義の「JOLLY JIVE」を教えてやった。説明だけではよくわからないからと、その足で友人とふたりでレコード店に行き、「これだよ」と「JOLLY JIVE」を手に取って見せてやると、友人はそのままそれを買い求めた。友人宅に戻ってふたりで「JOLLY JIVE」を聴いた。どうやら友人は気に入ってくれたようで、そのお礼にというか、代わりにというか、彼は一枚のレコードを取りだしてターンテーブルに乗せ、その音楽を聴かせながら「知っているか」と言う。聴いたことがなかった。「来生たかおだよ」という友人の言葉に、「ああ、これが来生たかおなのか」と、それまでバラバラだったパズルがはめ込まれるように自分の中で形を成したことを覚えている。

 来生たかおの名は、1977年にしばたはつみが歌って大ヒットになった「マイ・ラグジュアリー・ナイト」の作者として、あるいは松任谷由実の「流線型'80」に収録された「Corvett 1954」でのデュエットの相手として、他にもさまざまな細切れの情報の断片からその名を知ってはいた。作詞を担当する姉の来生えつことのコンビで、さまざまなシンガーへの楽曲の提供が増えていった時期だったから、その名を耳にすることも多かったのだ。しかしあまり興味もなく、来生たかお自身のアルバムを聴いてみたことはなかった。セピア調の写真をあしらったレコード・ジャケットを眺めながら、その穏やかで優しく、奇妙に懐かしさと新鮮さを伴った音楽に引き込まれた。友人宅で聴かせてもらった「浅い夢」をすっかり気に入ってしまい、それまで気にとめずに「素通り」していたのを後悔したものだった。

 そんなふうにして来生たかおの音楽と出会った。夏が過ぎて大学に戻ると、1979年に発売されていた来生たかおのベスト・アルバム「BIOGRAPHY」を購入し、大学の友人たちに聴かせた。ジャズの好きな者も、ロックの好きな者も、あまり音楽に興味のない者も、来生たかおの音楽を気に入ってしまい、仲間内で時ならぬ「来生たかおブーム」が起こってしまったことを懐かしく思い出す。「浅い夢」や「ジグザグ」といったオリジナル・アルバムを買い求めた友人もあった。当時はいわゆる「AOR」やフュージョンなどが流行し、仲間内でもそうした都会的で洒脱な穏やかさを持った音楽が好まれていたから、来生たかおの音楽もそうした嗜好に合致したのかもしれない。そうしたこともあって、来生たかおの名と、その初期の作品群は忘れられない。

 棚の中から「浅い夢」のCDを引っぱり出してプレイヤーにセットすると、今でもあの頃のことを思い出す。あの頃にはあまり気にせずにその音楽だけを楽しんでいたのだが、よくよく見てみると「浅い夢」のサポート・ミュージシャンの中に高中正義の名がある。あの夏の日に「JOLLY JIVE」を勧められた代わりに「浅い夢」を聴かせてくれた友人は、おそらくそんなことに気づいてはいなかっただろう。おもしろい巡り合わせだと思ったりもする。

節区切

 来生たかおは1950年東京生まれ、「来生」と書いて「きすぎ」と読み、本名は「たかお」を「孝夫」と書く。10代の頃にヴェンチャーズやビートルズを聞いて音楽を始めたというあたりは、彼の年代としては一般的なものだろう。1970年頃に、まだ「アンドレ・カンドレ」と名乗っていた井上陽水と知り合い、その縁でディレクターの多賀英典に出会った。作曲を独学で学び、デモテープを作っては多賀に聞いてもらう日々が続いたという。やがてそうした楽曲のひとつ、「酔いどれ天使のポルカ」が亀淵友香のアルバムに収録されることになり、来生たかおと来生えつこのふたりは作家デビューを果たす。1974年のことで、その年のうちに今度は来生たかお自身のシンガーとしてのデビューの話が具体化する。書き溜めた中から楽曲を厳選し、来生たかおのデビュー・アルバム「浅い夢」が発表されたのは1976年10月のことだった。来生たかおはこのときすでに26歳目前、日本の音楽シーンの傾向から言えば、かなり「遅い」デビューだった。

 その後の来生たかおは、さまざまな有名曲の作曲者としてその名を馳せたと言えるかもしれない。その名声が、彼自身のシンガーとしての評価をも高めていった傾向があるかもしれない。1977年にしばたはつみが歌った「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は当時の車のCM曲に採用され大ヒットになった。それをきっかけに来生たかおと来生えつこのコンビへの楽曲の依頼が急増、1970年代末以降に彼らが曲を提供したアーティストはあまりに多く、例を挙げることすらままならない。そんな彼の名を一般に広く知らしめたのは、やはり1981年に発表した「夢の途中」が、映画「セーラー服と機関銃」のテーマ曲となり、薬師丸ひろ子が歌って大ヒットになったことだったかもしれない。中森明菜の「スローモーション」や「セカンド・ラブ」なども来生たかおと来生えつこのコンビによる楽曲なのだと説明すれば、少し驚きを感じる人もあるかもしれない。そのような来生たかおの、シンガーとしての第一歩が、アルバム「浅い夢」である。

節区切

 何しろ冒頭に収録されたタイトル曲「浅い夢」がいい。素晴らしい。歌詞の内容は、下世話な言い方をすれば男女の出会い、恋の始まりを題材にしたもののようにも聞こえるが、深く解釈するとどうやらそれほど単純なテーマではないような気がする。繊細な情感を封じ込めた歌詞世界とその情感に呼応する美しく穏やかなメロディーが紡ぎ出す音楽世界は唯一無二のものと言っていい。夏の海辺の喧噪の中に潜む一瞬の静寂、その中に真実を見つけた瞬間、その一瞬の心の在り方が、「浅い夢」というタイトルが意味するように夏の午睡の夢のような淡い色彩の中に現出する。夏という季節の持つ情感に呼応させて、これほど儚く美しい音楽世界を造り上げた作品はなかなかない。気の利いた短編小説を読むような、あるいは抑制の効いた色彩で描かれた美しい水彩画を見るような、深い味わいがある。静かで穏やかな演奏に乗せてゆったりと歌われる楽曲のイメージは、後の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」とも共通するものとも言えるだろう。来生たかおと来生えつこのコンビによる楽曲に「名曲」と呼べるものは数多いが、「浅い夢」もまた、そうした「名曲」のひとつと言って間違いない。個人的には来生たかおと来生えつこのふたりによる楽曲の中でいちばん好きだ。この楽曲の描き出す世界こそは、来生たかおというアーティストの音楽世界のすべてを象徴しているのではないかと思う。

 もちろんアルバムに収録された他の楽曲が駄作だというわけではない。すべての楽曲は来生たかおと来生えつこのコンビによって書かれたもので、この後名を馳せることになるふたりの作品であるわけだから悪かろうはずがない。やはり来生えつこによる歌詞が紡ぎ出す世界は楽曲の大きな魅力のひとつで、その歌詞と来生たかおのメロディーの想起させる印象とが見事に合致して独特の音楽世界を造り上げる。歌詞と旋律のイメージの見事な一致は、やはり姉弟という間柄の為せるものなのかもしれない。来生たかおの穏やかな歌声と歌唱は、どちらかと言えば素朴で淡々とした印象だが、それがまた彼の音楽世界を造り上げる上での重要な要素だと言えるだろう。歌詞の魅力、旋律の魅力、歌声の魅力、それらが一体となって来生たかおの音楽世界を形作り、聴く者を魅了する。

 冒頭の「浅い夢」のイメージで聴き進んでしまうと意外に思うが、他の楽曲はリズミカルなものが多く、多彩なミュージシャンたちによる演奏はけっこうロックっぽいものであったりもする。演奏をサポートするミュージシャンたちは楽曲によってそれぞれ異なっているが、錚々たるメンバーが揃っている。どのミュージシャンも当時の日本のポップ・ミュージックを支えた人たちだ。来生たかおのシンガー・デビューに当たって並々ならぬ期待と評価があったことを物語るものではないかという気がする。

 このアルバムの制作に当たって、来生たかお本人はやはり自信満々というわけではなかったろう。ようやく掴んだチャンスに対する自信と不安とが綯い交ぜになって、このアルバムの音楽世界に織り込まれているような気もする。人気と評価を得た後に自信に満ちて造り上げた充実した作品とは違って、やはりどこか不安げで「慣れていない」印象がある。しかしそんなところもこのアルバムの魅力だ。後に圧倒的な評価を得ることになるアーティストの、出発点としてのフレッシュな魅力がある。そんなところもまた、聴く者を惹きつけるのではないか。

節区切

 来生たかおはギルバート・オサリヴァンの楽曲に触発されて作曲を志したのだという。確かに楽曲の持つイメージや、彼自身の歌唱、声質さえも、ギルバート・オサリヴァンを彷彿とさせるところがある。楽曲の持つ私小説的な感触や、穏やかで淡々とした中の繊細な情感といったものは、確かにギルバート・オサリヴァンの音楽と共通するものであるような気がする。ファンの中には来生たかおとギルバート・オサリヴァンの双方のファンだという人もあるかもしれない。

 来生たかおというシンガー/ソング・ライターを最近になって知って、彼の若い頃の作品も聴いてみたいという人があったなら、初期のベスト盤である「BIOGRAPHY」などもきっかけとして悪くないが、個人的にはやはりこの「浅い夢」を推したい。このアルバムの一曲目、名曲「浅い夢」こそは、希有のシンガー/ソング・ライター、来生たかおの原点であると信じて疑わない。あるいは「来生たかおの名は知っているが聞いたことはない、聞いてみようかと思う」という人があったなら、迷わずこのアルバムを聞いてみて欲しい。最初に耳にする来生たかおの音楽が「浅い夢」であることは、おそらくとても幸福なことだと思う。