幻想音楽夜話
Rickie Lee Jones
1.Chuck E's In Love
2.On Saturday Afternoons In 1963
3.Night Train
4.Young Blood
5.Easy Money
6.The Last Chance Texaco
7.Danny's All-Star Joint
8.Coolsville
9.Weasel And The White Boys Cool
10.Company
11.After Hours

Produced by Lenny Waronker and Russ Titleman.
1979 Warner Bros. Records Inc.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代も終わりに近づいた頃、「恋するチャック」という曲がヒットした。日本ではそれほどの「大ヒット」というわけではなかったと記憶しているが、この曲がFMなどでよくオンエアされていたことを印象深く憶えている。それまでの自分の音楽の嗜好から言えば、その曲は決して「好みのタイプ」の音楽ではなかったのだが、どうにもその曲が耳について離れない。「恋するチャック」は、どうやらリッキー・リー・ジョーンズという名のアメリカの女性シンガー/ソング・ライターのデビュー曲であるらしかった。その曲が収録されたデビュー・アルバムも発表されているという。リッキー・リー・ジョーンズという名の、その女性シンガーについてまったく何も知らなかったが、どうにも「恋するチャック」が気になって仕方がない。けっきょくレコード・ショップで見かけたそのアルバムを衝動買いしてしまった。それが、リッキー・リー・ジョーンズの音楽との出会いだった。

 当時、そのようにしてリッキー・リー・ジョーンズと出会った人は多かったのではないかと思う。「恋するチャック」に「一目惚れ(一耳惚れ、か)」して、それ以来、リッキー・リー・ジョーンズの音楽を愛し続けているという音楽ファンは決して少なくないように思える。自分もまたそうだった。リッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバムはとても魅力的だった。すっかり彼女の世界に引き込まれ、以来、そのアルバムは大切な宝物のようなアルバムになってしまった。

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 1979年にデビューしたリッキー・リー・ジョーンズは、この時すでに二十五歳であったという。決して早いデビューではない。リッキー・リーはシカゴの出身で、かなり波乱に富んだ青春時代を過ごした女性であるらしい。やがて彼女は西海岸へ流れ着くようにやってきて、シンガーとしてのデビューの機会を得ることになった。デビュー前の彼女はトム・ウェイツと恋仲だったなどといったエピソードが伝えられたものだが、あまりシンガーとしての経歴が語られることはなかったような気がする。特に日本の音楽ファンにとっては経歴不詳の、大仰な言い方をすれば「謎の」女性シンガーだったように思う。そもそもこれほどの実力を持つシンガーが、なぜこれまでまったく知られていなかったのか、それが不思議だった。

 1970年代、アメリカ西海岸はいわゆる「ウエスト・コースト・サウンド」がシーンのメインにあった。リンダ・ロンシュタットやカーラ・ボノフといった女性シンガーが活躍していたのもこの頃だ。そうした「ウエスト・コースト・サウンド」には、やはり明るく爽やかな陽光や潮風のイメージがあったが、リッキー・リーの音楽はそうしたイメージとはまるで違ったものだった。ジャズの匂いを感じさせ、倦怠感の漂うリッキー・リーの音楽は、「ウエスト・コースト・サウンド」の中に似ているものを見つけることはできなかった。まったく別種の音楽だった。

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 彼女のデビューに際して、契約したワーナー・ブラザースはプロデューサーに名手レニー・ワロンカーとラス・タイトルマンを充て、バックには錚々たるメンバーを起用した。ジャケットに記された内容にざっと目を通しただけでも、スティーブ・ガッド、ジェフ・ポーカロ、ランディ・ニューマン、トム・スコット、マイケル・マクドナルド、ニック・デカロ、ニール・ラーセン、バジー・フェイトンといった人たちの名を見つけることができる。皆、ロック/ポップ、ジャズ/フュージョンの垣根を超えて活躍する有能なミュージシャンたちだ。これによって、リッキー・リーのデビュー・アルバムはその演奏の点でも都会的で洒脱な、非常に良質のアメリカン・ミュージックとして結実することになった。それぞれに卓越したミュージシャンたちによる演奏に支えられ、リッキー・リーの歌唱はさらに美しさを増し、彼女の音楽を高みへと導いている。

 リッキー・リーは自作曲を自身で歌うという点に於いて「シンガー/ソング・ライター」と言ってもよいが、単に「自作曲を自身で歌う」という素朴な在り方より、もっとアーティスティックな音楽世界の創造を目指しているようにも見える。そうした彼女の姿勢が、バックを支えるミュージシャンたちの思いと呼応し、このような素晴らしい音楽作品を創り上げたのではないかと思える。テクニカルで知的な音楽世界が、リッキー・リーの歌唱によく似合い、互いをより魅力的なものにしているように見える。

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 リッキー・リーの音楽には、街の裏通りのバーが似合うような気がする。決して陽光の降り注ぐ海辺などではない。時に呟くように、時に語りかけるような彼女の歌声は、倦怠感と哀感とに包まれ、郷愁に満ち、そして切ない。その少々高い声質はいわゆる「ファニー・ヴォイス」と言ってもいいが、そこがまたいい。繊細な情感を込めた歌唱は、それだけで聴く者の心に何かを訴えてくる。彼女の発音はあまり明瞭ではなく、ネイティヴな英語圏の人でも聞き取りに苦労するらしいが、そうしたことも彼女の音楽の魅力のひとつでさえあるような気がする。

 彼女の音楽は、誤解を恐れずに言えば、「大人の音楽」である。恋の遍歴を重ね、生きることの意味、愛の意味を自問し続け、諦めの中の小さな希望にすがり、哀しみを抱えながら日々を懸命に生きる女性の音楽である。その音楽は、少しばかり自堕落な印象を感じさせつつ知的なクールさがあり、哀感の中にも潔さのようなものがあり、倦怠の中にもポジティヴな陽気さが潜む。彼女の歌声は時にコケティッシュな魅力を放ち、時に女の色香が漂う。リッキー・リーは「大人の女」なのである。

 だから、彼女の音楽は聴く者にも相応の「人生経験」のようなものを要求するかもしれない。聴き手自身の抱える日々の哀しみ、過ぎた日の哀しみ、心の奥底に残る恋の痛み、そのようなものと、彼女の音楽は見事に呼応して聴き手の心にくい込んでゆく。俗っぽい言い方をするなら、「こどもにはわかるまい」と、そのような音楽であるかもしれない。

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 このデビュー・アルバムは、そのジャケットを飾ったリッキー・リー・ジョーンズのポートレートも印象的だった。赤いベレー帽をかぶり、首を少し傾げて、うつむきかげんで煙草をくわえた彼女の姿は一度目にすると忘れられない。このポートレートはノーマン・シーフによる。ノーマン・シーフは南アメリカ共和国の出身であるらしいが、1970年代の初めにアメリカ西海岸に移住し、カメラマンとして成功している。カメラマンとしてだけではなく、アート・ディレクションのすべてをこなし、彼の手によるロック/ポップ系のアルバム・ジャケットは数多い。このリッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバムのジャケットは、ノーマン・シーフの作品の中でも屈指のものではないかと思える。

 このジャケットに映し出されたリッキー・リーの姿は、そのまま彼女の音楽性を如実に物語っていたと言えるだろう。気怠さの中に大人の哀感を感じさせるリッキー・リーの音楽とそのイメージは、このジャケットの印象によってさらに象徴的に表現されていたような気がする。「恋するチャック」が気にかかり、レコード・ショップで手に取ったリッキー・リーのアルバムのジャケットがこれだった。内容をほとんど知らずにジャケットの印象だけで購入してしまうことを「ジャケ買い」などと言うが、この時も似たようなものだった気がする。アルバム・ジャケットに映ったリッキー・リーの横顔に惹きつけられるようにして、そのレコードを購入してしまった気がする。

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 このデビュー・アルバムに収録された楽曲は11曲。ヒット・シングルとなった「恋するチャック」から静かで美しい「アフター・アワーズ」まで、さまざまな曲想の楽曲が並び、どの楽曲も素晴らしく魅力的で甲乙付けがたい。トータルの演奏時間は42分ほどのアルバムだが、至福の42分間である。奥深い音楽世界は聞き終えた後にも味わい深い余韻を残す。時を経てもいささかも色褪せない、今でも宝石のような輝きを放ち続ける、まさに珠玉の名盤である。

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 リッキー・リー・ジョーンズはかなりの美貌の持ち主でもある。リッキー・リーという、聞き慣れない名も印象深かった。あの頃、憧れにも似た思いを抱いて、その音楽を聴いていたような気がする。想いの届かぬ年上の「大人の女性」への淡い片思いにも似ていたかもしれない。