横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市青葉区あざみ野〜新石川〜荏田
早渕川
(あざみ野〜中荏橋)
Visited in March 2024
早渕川(あざみ野〜中荏橋)
春まだ浅い三月半ば、東急田園都市線あざみ野駅に降りた。あざみ野を拠点に早渕川の河岸を歩いてみようと思ったのだった。以前、都筑区のセンター南駅付近から中荏橋まで早渕川の河岸を歩いたことがあった。今回はあざみ野駅付近から下流側に辿って中荏橋まで歩いてみたい。空気はまだ冷たさを残しているが、空は晴れて散策には良い日だ。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) あざみ野駅を西側に出て、「あざみ野駅北側」交差点から北へ200mほど進むと和田橋という橋が早渕川を跨いでいる。和田橋は1976年(昭和51年)3月の竣工という。橋の歩道脇に「準用河川 早渕川」と記した銘板が設置されている。

駅に近いこともあってか、川の両岸には建物が建ち並び、その間を流れる早渕川は巨大な溝のような様相だ。和田橋から下流側を見れば、高架で川を跨いでいる田園都市線の線路も見える。いかにも市街地を流れる川という風情である。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 和田橋から50mほど北へ進むと「あざみ野駅入口」交差点、東西に抜ける道路は神奈川県道13号横浜生田線、この付近では日吉元石川線と呼ばれる道路だ。交差点から日吉元石川線を西へ進もう。数十メートル進んだところで早渕川が日吉元石川線に入り込む。

川が道路に“入り込む”とは奇妙な表現だが、この表現が相応しい気がする。南側から日吉元石川線の西行きの車線をくぐった早渕川は、そのまま道路の中央分離帯と化して、西行きの車線と東行きの車線の間を流れている。言い換えれば、早渕川の両岸に西行きと東行きの、それぞれの一方通行路が沿っている形だ。初めて車で走るときには、少し戸惑いを覚える道路である。このまま上流側へ早渕川を遡ってみたい気もするが、それはまた次の機会にしたい。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) 「あざみ野駅入口」交差点から日吉元石川線を東へ進めば田園都市線の高架をくぐって、すぐに「西勝寺北側」交差点だ。日吉元石川線に交差して南北に抜ける道路は新横浜元石川線だ。「西勝寺北側」交差点から新横浜元石川線を南へ200mほど進むと早渕川だ。早渕川を跨いでいるのは中村大橋、これも1976年(昭和51年)3月の竣工という。おそらく、この辺りの早渕川の護岸工事が行われたのがその頃なのだろう。

中村大橋の袂に河川管理境界を示すパネルが設置されている。中村大橋の西側の端が境界で、下流側は神奈川県横浜治水事務所の管轄、上流側は横浜市道路局河川管理課青葉土木事務所の管轄だ。管轄の違いにより、下流側は「一級河川 早渕川」、上流側は「準用河川 早渕川」である。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) 中村大橋から下流側は早渕川の両岸に道が沿っている。左岸の道は車両の通行も可能なようだが、右岸の道は歩行者専用のようだ。「あざみ野駅東側」交差点で新横浜元石川線を横断し、早渕川の河岸を辿る道へ進もう。中村大橋の袂に、「一級河川 早渕川 神奈川県」と記したパネルが設置されている。

河岸の道はそれほど人通りが多いわけではないが、あざみ野駅(あるいは駅周辺)へと行き来する人の姿がちらほらとある。道脇では菜の花や雪柳などの花が咲いている。のんびりと下流側へと辿っていこう。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 中村大橋から100mほど辿ったところで中村橋という橋が架かっている。なるほど、中村大橋とは別に中村橋という橋があるわけだ。中村橋からさらに200mほど辿ると渕上橋、1982年(昭和57年)3月竣工の橋だ。渕上橋から150mほどで向根(むかいね)橋、向根橋は1979年(昭和54年)3月竣工という。さらにそのすぐ東側には新石川橋が架かっている。新石川橋も1979年(昭和54年)3月竣工だ。

河畔は基本的に住宅地だ。長閑とは言いがたい風景だが、喧噪を感じるわけでもなく、のんびりとした河岸散歩が楽しめる。歩きながら振り返ると、あざみ野駅周辺の繁華な街並みが少しずつ遠ざかっていく。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 早渕川も昔は“暴れ川”だったそうで、江戸時代から幾度かの改修工事が行われてきたようだ。最後の改修工事は1967年(昭和42年)から1982年(昭和57年)にかけて行われた。港北ニュータウンの開発を見据えてのものだったようだ。早渕川に架かる橋の多くが1970年代の終わり頃の竣工なのはそのためである。

ちなみに港北ニュータウン事業は1965年(昭和40年)に発表、1974年(昭和49年)に基本計画が策定されて着工、1996年(平成8年)に終了している。横浜市港北区は1939年(昭和14年)に都筑郡の町村が横浜市に合併した際に発足、1969年(昭和44年)になって当時の港北区から緑区が分区、さらに1994年(平成6年)になって行政区の再編成が行われ、緑区から青葉区が分区、港北区から都筑区が分区する形で現在の形になっている。都筑区に位置しているにもかかわらず「港北ニュータウン」という名称なのは、基本計画が策定された当時、都筑区が発足する以前の港北区だったからである。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) 新石川橋の100mほど東で東名高速道路が早渕川を跨いでいる。そのすぐ東側、右岸の道から川原まで降りていけるように整備されているところがあった。ちょっとした“親水広場”といったところか。川原まで降りてみると、河岸の道から見る景観とはまた違った印象だ。上流側に目を向ければ、東名高速道路が上部を覆う様子がよくわかる。

その“親水広場”のすぐ下流側で、左岸側から小さな川が合流している。川の名はわからなかった。合流点から上流側は暗渠になっているようだ。地図を見ると、新石川桜通りの中央部の歩道が川跡のように思われる。いつか機会を作ってこの川跡も歩いてみたい。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 東名高速道路をくぐって100mほどで関耕地(せきこうち)橋だ。関耕地橋は1992年(平成4年)10月の竣工だそうだから比較的新しい。橋の袂、右岸上流側には荏田関耕地公園という小公園が設けられている。

関耕地とはちょっと興味を覚える地名だが、古くからの地名のようだ。今は「関」の字を当てているが、もともとは「堰」だったのだろう。個人的な推測だが、早渕川に堰が設けられており、その近くに拓かれた耕地という意味合いの地名だったのではないか。あるいは、堰耕地橋の南西側に丘陵地があることを考えれば、「耕地」も「高地」だったか。いろいろと想像を巡らせるのも楽しい。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) 関耕地橋の辺りで、早渕川が大きく曲がっている。あざみ野の辺りからここまで、ほぼ西から東に向かう方向に流れていたのだが、ここで大きく弧を描いて南向きに流れていくようになる。

関耕地橋から50mほど下ったところから200mほど、早渕川は暗渠だ。川の上を国道246号が斜めに横切るのだ。だから正確には“暗渠”というのではなく、巨大な橋が架かっているというべきなのかもしれない。その国道246号のさらに上を、横浜市営地下鉄ブルーラインの線路が東西に横切っている。南側の歩道橋からその様子がよく見える。交通インフラのダイナミズムを具現化したような景観だ。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) 国道246号に架かる歩道橋を降りると、再び早渕川の河岸を歩けるようになる。早渕川はほぼ南向きに真っ直ぐに流れていく。国道246号を離れて100m足らずで宿裏(しゅくうら)橋だ。宿裏橋も1979年(昭和54年)3月の竣工、これも早渕川の改修工事に合わせて架けられたものだろう。

「宿裏」という名にも興味を覚える。そもそも荏田はかつて大山道(矢倉沢往還)の荏田宿があったところだが、その裏手という意味合いの地名だろうか。住所表示では使われなくなった古い地名も、橋の名として残っていることが少なくない。その古い地名について後日調べたり、想像を巡らせたりするのも、川沿い散策の楽しみのひとつだ。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 早渕川はほぼ南向きに真っ直ぐに流れていく。右岸側には緑地のように整備されているところもあったが、これは昔の流路の跡か。緑地の中では早くも白木蓮が花を咲かせていた。川面を覗き込んでみると、小さな堰が設けられていた。

宿裏橋から300mほどで鍛冶橋だ。鍛冶橋も1979年(昭和54年)3月の竣工だ。この橋の名も古い地名だろう。鍛冶橋から北北東の方角に300mほど離れたところに老馬鍛冶山不動堂があるが、これと関係があるのかもしれない。いずれ機会を設けて老馬鍛冶山不動堂を訪ねてみよう。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 鍛冶橋を過ぎると早渕川の流路は緩やかに左手(東方向)へと曲がっていく。鍛冶橋から100mほど下ったところで、右岸側から布川が合流する。布川は荏田西二丁目辺りを源流域とする、2km足らずの短い河川だ。布川を遡ってみるのも楽しそうだ。これもいずれ機会を設けて歩いてみたい。

合流点の近くで、布川に小さな橋が架けられている。荏田管理橋という名の小さな橋で、1982年(昭和57年)3月竣工という。荏田管理橋を渡って、さらに早渕川の右岸を下流側へと辿っていこう。

早渕川(あざみ野〜中荏橋) 布川の合流点から200mほど下流側に辿れば中荏橋だ。中荏橋は1977年(昭和52年)3月の竣工、早渕川に架かる橋の中では架橋が早い方だろう。中荏橋を過ぎると、早渕川は横浜市都筑区を流れていく。実は宿裏橋のやや下流側から左岸側は都筑区になっていたのだが、中荏橋から先は右岸側も都筑区だ。要するに、この辺りが青葉区と都筑区との区境というわけだ。

以前、横浜市営地下鉄グリーンラインのセンター南駅から早渕川を辿って中荏橋まで歩いたことがあった。2014年(平成26年)の5月だった。あのときは中荏橋から早渕川の河岸を離れて北東の方角へと辿り、横浜市営地下鉄グリーンライン中川駅へ向かったのだった。また中川駅へ向かってもいいが、今回は早渕川の左岸を辿ってあざみ野に戻ることにしたい。上流側へと向かえば、また違った風景が楽しめるだろう。
早渕川(あざみ野〜中荏橋) 早渕川(あざみ野〜中荏橋) 早渕川(あざみ野〜中荏橋) 早渕川(あざみ野〜中荏橋)
以前から機会を見つけては早渕川の河岸を歩いている。今回はようやくあざみ野周辺からその下流側を歩く機会に恵まれた。今回は河岸の道を辿るだけにしたが、布川を遡ってみたり、旧大山街道を辿ったり、周辺の散策も楽しんでみたい。
早渕川(あざみ野〜中荏橋)
早渕川(あざみ野〜中荏橋)
早渕川(あざみ野〜中荏橋)