川崎市麻生区岡上〜町田市三輪町
鶴見川河畔
(岡上〜三輪)
Visited in February 2025

すっきりと晴れた二月の初め、小田急線の鶴川駅に降りた。鶴川駅から鶴見川沿いに下流側へと歩いてみたいと思ったのだ。この辺りは何度か訪れたことがあるが、今回は鶴見川に焦点を当てて麻生川が合流する辺りまで辿ってみよう。
小田急小田原線鶴川駅を南口に出て、南へ100mほど辿ると鶴見川の河岸だ。川井田人道橋という人道橋が架かっている。川井田人道橋から河岸の道を150mほど下流側に下ると睦橋だ。睦橋は1986年(昭和61年)の架橋、PCプレテンション単純中空床版橋という型式の橋だそうだ。橋のすぐ下流側に河川管理境界を示す標識が立っている。ここから上流側は東京都南多摩東部建設事務所、下流側は神奈川県横浜川崎治水事務所川崎治水センターの管轄とのことだ。大きな河川の合流点というわけでもないのに、なぜここが管理境界なのだろうと興味を覚える。ちょうどこの辺りが東京都町田市と神奈川県川崎市麻生区との都県境に当たっているからかもしれない。この辺り、鶴見川の南側は川崎市麻生区の飛び地である岡上なのだが、ちょうど睦橋のすぐ下流側から真光寺川の合流点付近まで、岡上の町域は鶴見川の北側にも広がっている。そうしたことが関連しているのだろう。
睦橋のすぐ下流側の左岸部では何やら工事が行われていた。何のための工事かわからなかったが、河岸部が大きく抉られているところを見ると、ただの河岸改修工事ではなさそうだ。調べてみると、どうやら鶴川駅南口の区画整理事業(鶴川駅南土地区画整理事業)に伴う調整池の設置工事の一環のようだ。おそらく鶴見川の増水時に一時的に貯水するための調整池が設けられるのだろう。そのための導水部の設置工事だろうか。鶴川駅南口の再開発が終了すると、この辺りの景観も変わるのだろう。鶴川駅南土地区画整理事業は2032年(令和14年)3月31日に終了予定のようだ。再開発事業が終了した頃に、また訪ねてみたい気がする。
睦橋からさらに下流側へ辿っていこう。河川管理境界の標識を過ぎると鶴見川の河岸は川崎市麻生区岡上の町域だ。睦橋から200m近く歩いて本村橋が近付いた辺り、河岸の道脇に馬頭観音が祀られていた。傍らには岡上町内会と岡上に親しむ会(郷土誌会)の連名で2022年(令和4年)に設置された解説板がある。それによれば、この馬頭観音は1839年(天保10年)に岡上村の「馬持講中」によって運送業務の繁栄と安全を祈願して建てられたものと思われるとのことだ。元々は本村橋の袂にあったということだが、鶴見川の改修に伴って現在地に移されたものだそうだ。
馬頭観音から30mほどで本村橋だ。「本村」は「ほんむら」と読む。「本村」はこの辺りの古い地名のようだ。現在は本村橋のすぐ東側で岡上跨線橋が鶴見川と小田急線の線路を一跨ぎにして東京都道・神奈川県道139号真光寺長津田線を通しているが、跨線橋が完成する以前、本村橋は鶴見川を跨ぐ重要な橋だったに違いない。古くから存在する橋だが、現在の本村橋は1986年(昭和61年)の架橋。睦橋と同じだから、おそらく鶴見川の改修工事に伴って掛け替えられたのだろう。本村橋はPCポストテンション単純ブロック桁という型式だそうだ。
本村橋からは鶴見川の左岸を辿ろう。本村橋のすぐ横で岡上跨線橋が鶴見川を跨いでいる。岡上跨線橋はちょうど改修工事の最中だった。2025年(令和7年)3月31日までの予定で、跨線橋の“長寿命化工事”が行われているそうだ。跨線橋の橋桁の道路に面した側面には桜の絵が施されていた。景観が殺風景にならないようにとの工夫だろうか。跨線橋のすぐ東側には宝殿橋が架けられている。「宝殿」もまたこの辺りの古い地名のようだ。宝殿橋は1985年(昭和60年)の架橋、おそらく岡上跨線橋とほぼ同時に架けられたものではないか。宝殿橋はPCポストテンション単純ブロックT桁という型式だそうだ。
宝殿橋から鶴見川の左岸の道をさらに下流側へ辿ろう。この辺り、鶴見川は緩やかに蛇行しながら流れていく。河岸の道にはところどころ緑地スペースが設けられており、河岸を辿っていくだけでも景観に変化があって楽しい。宝殿橋から200m近く歩くと岡上橋だ。岡上橋の型式は合成桁だそうだ。現在の岡上橋は1983年(昭和58年)の架橋のようだが、岡上橋も本村橋と同様に古い橋で、古地図などを確認すると1900年代の初期にはすでにあったようだ。おそらくもっと古い時代から鶴見川を跨いで街道を通していたのだろう。
岡上橋から左岸の道を250mほど下流側に辿ったところで、鶴見川に北から真光寺川が合流している。真光寺川は今はここで鶴見川に合流しているが、1980年代初期頃までは、この少し北側の辺りで東へ流れ、麻生川に合流していた。真光寺川の改修工事は1980年代から1990年代前半にかけて行われたが、1983年(昭和58年)にショートカットの流路が造られ、鶴見川へ合流するようになった。旧流路は今(2025年現在)も大部分が残されており、昔日の風景を偲ぶことができる。以前、麻生川から三輪町北部にかけて歩いた際、それとは知らずに旧真光寺川の流路脇を歩いたことがあった。これが旧真光寺川だということは後で知った次第だった。
鶴見川と真光寺川との合流点は「開戸親水ひろば」という親水空間として整備されている。「開戸(かいと)」はこの辺りの古い地名だ。合流点を見下ろすように四阿が置かれ、その横手から水際まで降りていくことができるようになっている。水際に設けられた“広場”には花や鳥を象ったレリーフが設置され、鶴見川右岸側とを繋いで飛び石も設けられている。水際まで降りて、飛び石を歩いてみれば視界も変わり、鶴見川の景観の印象も変わって楽しい。2月初めの水辺は寒々しい印象だが、初夏から夏にかけては涼やかな風情を存分に楽しむことができるだろう。
「開戸親水ひろば」のすぐ北側で真光寺川を跨ぐ川内橋を渡って、鶴見川左岸を下流側へ辿ろう。真光寺川との合流点のすぐ下流側に都県境がある。ここまで神奈川県川崎市麻生区岡上を流れていた鶴見川は東京都町田市三輪町を流れていく。都県境の辺りに河川管理境界を示す標識がある。下流側は東京都南多摩東部建設事務所、上流側は神奈川県横浜川崎治水事務所川崎治水センターの管轄だそうだ。なるほど、東京都内を流れているか、神奈川県内を流れているかで、当然のことながら管轄も違うというわけだ。
都県境から100mほど下流側で精進場(しょうじんば)橋が鶴見川を跨ぐ。現在の橋は1979年(昭和54年)の竣工だが、これもかなり古い時代からあった橋のようだ。「精進場橋」とはなかなか歴史的な由来を感じさせる名だ。この橋を渡る街道は大山参りの街道のひとつで、大山参拝の際にこの辺りで身を清めていたのだそうだ。そもそも大山は雨乞い信仰の山だったから、雨乞い神事なども行われていたのだという。そうした土地柄が橋の名として残っているというわけだ。
精進場橋から鶴見川の右岸側の道を下流側へと辿っていこう。精進場橋のすぐ下流側に「精進場橋子どもの遊び場」という名の町田市立の公園がある。供用開始は2009年(平成21年)、面積1000平方メートルほどの小さな公園だ。河川改修で生じた蛇行跡を活用して設けられた公園だろうか。精進場橋子どもの遊び場は河岸に設けられた小さな広場という様相で、広場の脇にブランコや滑り台、鉄棒などの遊具類が設置されている。近くに暮らす人たちの日常的な遊び場として親しまれているのだろう。
精進場橋を過ぎると鶴見川は比較的真っ直ぐな流路で流れていく。鶴見川の右岸には三輪町の丘陵地が迫り、崖地の上に住宅が並ぶところもある。精進場橋から500mほどで子の神(ねのかみ)橋、さらに子の神橋から500m近く辿ると四ツ木橋だ。四ツ木橋まで来ると右岸側の丘陵地も遠のき、河畔の景観も開けてくる。四ツ木橋からさらに300mほど辿ると都県境だ。ここから先は川崎市麻生区下麻生になる。当然、河岸の道には河川管理境界の標識が立っている。
都県境を越えた右岸側、恩廻公園調節池が設けられている。大雨で鶴見川の水量が増大した際、川の水量を調整するために一時的に水を溜めておくための施設だ。河岸に設けられた窪地という様相だが、実は調整池の“本体”とも言える部分は東に隣接する恩廻公園の地下に巨大なトンネルとして設けられている。このトンネルは約11万立方メートルの貯留容量があるという。普段の恩廻公園調節池は河岸に設けられた広場という印象だ。窪地の広場は正式には「取水庭」というらしい。訪れたとき、“取水庭”で遊ぶ親子連れの姿があった。
恩廻公園は鶴見川の旧流路跡を活用して設けられた公園だ。公園内を都県境が辿っているのは、かつて鶴見川は都県境だったことの名残だろう。公園の木々も今は葉を落とし、園内は冬枯れの風景だ。恩廻公園はその由来を考えれば当然のことだが、細長い敷地で横たわっている。西口から東口まで、公園の全エリアを歩いてみるのも楽しいが、それはまた別の季節を選ぶことにしたい。
恩廻公園調節池と恩廻公園西口との間の道を北へ抜ければ麻生橋が鶴見川を跨いでいる。そのすぐ北側では亀井橋が麻生川を跨ぐ。それらの東側が鶴見川と麻生川との合流点だ。両河川に挟まれた部分は親水広場として整備されており、“先端部”には階段が設けられて水際まで降りていくことができる。今はここが鶴見川と麻生川との合流点だが、改修工事が施される以前、1960年代頃までは麻生川に架かる耕地橋から三上橋の辺り、現在ショッピングセンターが建っている辺りで両河川は合流していたようだ。改修工事の施された現在の鶴見川の景観を眺めながら、古い時代の景色に思いを馳せるのも楽しい。今回はこの合流点を折り返し点として、ここからまた鶴川へ向かって戻っていこう。
合流点から鶴見川左岸を上流側へ戻っていこう。道脇の畑地や民家の庭先ではすでに梅が咲き始めている。視線を落とすと道脇にはホトケノザが咲いている。厳しい寒さが続いているが、春が近付いていることを感じさせてくれる。麻生橋から500mほど上流側へ戻れば四ツ木橋だ。四ツ木橋を渡って右岸側へ移動し、ここから河岸を離れ、三輪町の丘陵部へと歩を進めたい。四ツ木橋のすぐ南側に「三輪小入口」交差点がある。交差点の角、緑地スペースの中に「三輪町内案内図」が立てられている。案内図に目を通し、交差点から西へ進んでいこう。
「三輪小入口」交差点から西へ辿る道は、かつて鶴見川の河岸を辿っていたものか。道は緩やかな上り坂で、三輪町の丘陵部へと上っていく。三輪小学校の校庭の横を過ぎれば周辺は住宅地だ。地図を頼りに住宅地の中の道を抜けていくと、谷戸の奥に沢谷戸自然公園という公園が設けられている。沢谷戸自然公園に少し立ち寄っていこう。沢谷戸自然公園も今は冬枯れの風景だ。谷戸を取り囲む丘陵地の落葉樹は葉を落とし、晩冬の日差しを浴びている。谷戸は風が無く、日差しを集めて暖かかった。
沢谷戸自然公園の東端部辺りから北側の丘陵地に上っていく細道がある。上っていく途中に「三輪白坂横穴群」という町田市指定史跡がある。傍らに町田市教育委員会による解説板が設けられている。それによれば、この遺跡は崖面に横穴を掘って遺体を安置した古墳時代の有力者の墓だという。三輪白坂横穴群は2群13基から構成されており、これはその第一群らしい。そのうちの二基が見学可能で、小径から覗き見ることができる。横穴にはフェンスが設けられており、内部に入ることはできない。
三輪白坂横穴群の横を過ぎ、さらに丘へ登っていくと、周囲には長閑な里山の風景が広がる。緩やかに曲がりながら丘を登っていく小径の表情も素敵だ。丘の上には民家が建ち並び、集落を成している。丘の一角には畑地が横たわり、美しい風景を見せる。畑地横を抜ける道脇に「三輪の里 自然との出会いをお楽しみください 三輪七面山」と記されたプレートが立てられていた。地元の人によって立てられたものか。七面山というのはこの丘のことだろう。自然溢れる里山の風景を地元の方々が誇りにされているのだろうということが伝わっている。その風景を楽しみながら歩く。
道はやがて下り坂だ。坂の途中、道の北側に高蔵寺という真言宗の寺がある。1362年(康安2年)、権大僧都法印定有によって開山、足利将軍家代々の武運長久祈願所だったという古刹だ。高蔵寺は「花の寺」として知られ、四季折々に美しい花々を楽しむことができる。特に春の石南花や秋の彼岸花の見事さが名高く、花好きな人や花の写真趣味の人などには広く知られた寺だ。東国花の寺百ヶ寺のひとつだそうだ。
高蔵寺の前を過ぎてさらに坂を下りていくと丁字路となってバス通りに出る。バス通りは精進場橋から南へ丘を登ってきた道路で、丁字路を右手(北方向)へと辿れば300mと少しで精進場橋だ。地図を確かめると、丁字路を左(南方向)へ折れて30mほど進むと右(西方向)へ入り込む道がある。そのルートを選ぶのが良さそうだ。交差点の角に上三輪公園という小公園が設けられていた。面積は375平方メートルほど、小さな街区公園だ。ほぼ長方形をした敷地に遊具類を設置した構成で、近くに暮らす子どもたちの遊び場としての役割を担っているのだろう。
上三輪公園の横から西へ延びる道を辿る。緩やかな下り坂となった道を100mほど進むと都県境を越えて、その先は岡上の町域だ。岡上の町域に入ってすぐ、家々の間を北へ延びる小径があるのに気付く。その様相から考えて、かつて水路だったものに蓋をして暗渠化し、その上を舗道としたもののようだ。この舗道を辿っていこう。舗道は家々の隙間を縫うように延び、途中で道と交差し、さらに延びていく。いかにもかつて水路(あるいは小河川)だったことを窺わせる様相が楽しい。歩いている人の姿はほとんどない。
200mほどで鶴見川の河岸に出た。川を覗き込むと、排水樋管が設けられているのが見えた。わずかながら水が流れ出ている。暗渠の下には今も水が流れているようだ。どの辺りに出たのだろうかと確かめてみると、どうやら岡上橋から100mほど下流の辺りだ。ここから鶴見川の河岸を上流側へ辿り、鶴川駅を目指そう。岡上橋を過ぎ、岡上跨線橋の下をくぐり、本村橋を過ぎて、睦橋だ。睦橋袂では工事が続いている。鶴川駅も近い。今回の鶴見川散歩はこの辺りで終わりしたい。

鶴見川と麻生川の合流点の辺りも、鶴川駅周辺も、これまで何度か訪ねたことがあったが、改めてゆっくりと歩いてみると新たな発見もあって楽しい散策だった。三輪白坂横穴群から高蔵寺の付近は初めて歩いたが、丘の上の美しい里山風景が強く印象に残った。真光寺川を上流側へと辿ってみたり、旧真光寺川の流路を辿ってみたりするのも楽しいに違いない。それはまた次の機会にしたい。






