神奈川県葉山町の東部に位置する上山口地区には小規模ながらも美しい棚田がある。周囲には美しい里山の風景が広がっている。田植えの終わった六月半ば、「葉山の棚田」を訪ねた。
葉山の棚田
葉山の棚田
葉山の棚田
神奈川県葉山町と言えば、リゾート感溢れる海辺の町という印象が強い。しかし葉山町のほとんどを占めるのは山地で、長閑な山村風景の名残を見つけることもできる。葉山町の東部に位置する上山口地区は、まさにそうしたところだ。中央部を貫くように県道27号が通り、県道に寄り添うように下山川が流れ、その川沿いの平地に家々が点在、その背後には三浦の山々が重畳する。その上山口地区の南部の一角、丘の斜面に築かれた小さな水田が棚田を成して美しい景観を見せるところがある。「葉山の棚田」として知られるところである。

県道27号を通るバスを「上山口小学校」バス停で降り、「上山口小学校入口」交差点から南側へ入り込んでゆくと、すぐに杉山神社が鎮座している。「葉山の棚田」は、この杉山神社の背後の斜面に横たわっている。杉山神社の前から道を辿って南へ、丘の上へ登ってゆけば棚田の上を辿る道に抜け出る。棚田の風景は、やはり上から見下ろすように眺めるのが美しい。まずは、やはり上からの棚田の景観を楽しんでおきたい。

「葉山の棚田」は規模としてはそれほど大きなものではないが、その素朴な姿は日本の農村の原風景とでも言うべきものだ。不規則な形状の小さな田圃が丘陵の斜面に不規則に並ぶ。丘の斜面の元来の地形に委ねられた結果の景観だ。その“不規則さ”が何とも美しい。上から眺める棚田の景観は、場所を変えれば表情が変わって飽きない。田圃の形状は当然のことながら横に長いものが多いが、その輪郭は緩やかな曲線を描き、角も丸い。農作業には不便な水田だが、そのお陰でこうして美しい棚田の風景を織り成しているというわけだ。
葉山の棚田
葉山の棚田
葉山の棚田
上から眺める景観を堪能したら、棚田横の小径を辿って、棚田の近景を楽しみたい。近くから見る棚田はまた違った表情を見せて美しい。今回訪れたのは6月半ば、棚田は田植えが終わったばかりで、水を張った田圃に若い稲が頼りなく風に揺れている。あと半月もすれば逞しく育って緑濃い景観を見せてくれることだろう。

田圃の畦道の端には「立入禁止」の立札が設けられているところもある。言うまでもないことだが、敢えてここに記しておきたい。こうした里山散歩の際、間違っても農地に立ち入ってはいけない。「立入禁止」の表示が無くても、農地は私有地であり、農家にとって大切な場所なのだ。特に田圃の畦(あぜ)には絶対に足を踏み入れてはいけない。稲作に携わったことのない人にはわかりにくいかもしれないが、部外者が不用意に畦を歩くと、畦は簡単に壊れてしまい、農家にたいへんな迷惑をかけてしまうことになる。畦は農地の一部なのであり、“公道”ではないのだ。
葉山の棚田
葉山の棚田
葉山の棚田
「葉山の棚田」で稲作を営む農家は3軒だけだそうである(2014年現在)。田植えや稲刈りなど、人手が必要な作業のときには有志のボランティアも手伝い、さらに小学校の子どもたちも手伝って、この美しい稲作の風景が守られているのだという。この風景がいつまでも残って欲しいと思うが、部外者の立場でそんなことを望むのは無責任でおこがましいことかもしれない。せめてこの美しい風景を写真に捉え、記憶に留めておきたいと思う。

「葉山の棚田」を含む上山口の里山風景は「にほんの里100選」のひとつに選定されている。「にほんの里100選」は朝日新聞社と公益財団法人森林文化協会の主催、農林水産省、国土交通省、環境省の後援によって選定されたもので、2009年(平成21年)1月に発表されている。「集落とその周辺の田畑や草地、海辺や水辺、里山などの自然からなる地域」を対象に、「人の営みが育んだすこやかで美しい里」が選定されているという。神奈川県で「にほんの里100選」に選定されているのは、この上山口と藤野町佐野川のみである。
上山口の里山風景
キジ
キジ
棚田の周辺には丘の斜面を活用した畑地も多い。作物の育つ畑と背後の木々が美しい里山の風景を織り成している。

畑の横を歩いていると、畑の中に何やら動くものを見つけた。キジ(雉)のメスのようである。キジは日本の“国鳥”、九州から四国、本州にかけて広く分布する留鳥である。東京近郊では見る機会が減ってしまったが、それでも郊外の自然豊富な場所に行けば遭遇することがある。

キジはそれほどこちらを恐れるふうでもなく、かなり近くから写真を撮らせてくれた。里山歩きの際にときおり訪れる、楽しい出会いである。
上山口の紫陽花
上山口の紫陽花
6月半ば、上山口の里山風景を紫陽花が彩る。道脇や畑の隅などに植えられた紫陽花が緑濃い風景の中に鮮やかな色彩を添えて、季節の情趣を漂わせている。紫陽花を目当てに訪れるほどの数が咲いているわけではないが、棚田の田植えが終わった頃に訪れれば、紫陽花の咲く風景を楽しむこともできる。
杉山神社
杉山神社
杉山神社
杉山神社
棚田を背負うように、丘裾には杉山神社が鎮座している。境内地に設置された由緒に依れば、創建の年代はよくわからないらしい。昔、土地の者が海中から神像を得て、それを祀ったのが始まりなのだという。それが折しも大晦日のことであったため、人々は忙しく、急ぎ杉葉を集めて社の形にして鎮座したとのことで、そこから杉宮大明神の名で信仰されてきたらしい。杉山神社に名が改められたのは1875年(明治8年)のことという。

ちなみに横浜市緑区、都筑区、港北区辺りを中心に、「杉山神社」という名の神社が多いのだが、それらの杉山神社と、この葉山の杉山神社とは(あくまで個人的推測だが)おそらく関連はないように思われる。

社殿はそれほど大きなものではないが、素朴さの中に風格を漂わせ、丘を背負って村の鎮守としての歴史を感じさせる。北北西の方角を向いて建っているところが興味深い。社殿向かって左手には御神木の大銀杏が緑濃く葉を茂らせている。

立ち寄ってお参りし、土地を歩かせていただくことへの感謝を込めて、散策の無事を祈願していきたい。
西浦賀道(古東海道)
西浦賀道(古東海道)
西浦賀道(古東海道)
西浦賀道(古東海道)
県道27号の北側、下山川の北に広がる山々の裾を辿って旧道が延びている。この道は、かつての西浦賀道である。

1720年(享保5年)、江戸湾防備のために伊豆の下田にあった奉行所が浦賀に移転、それに伴って江戸と浦賀との間で人々や物資の往来が盛んになり、東海道から分かれて東西2本の道が整備されている。これが浦賀道である。東浦賀道は東海道保土ケ谷宿から浦郷を経て十三峠を越え、逸見、汐入、大津等を通って浦賀に入った。江戸から17里半(約69km)の道である。西浦賀道は東海道戸塚宿から鎌倉道に入り、鎌倉、葉山、平作、衣笠を経て大津に至り、東浦賀道に合流した。江戸から20里(約79km)の道のりである。この西浦賀道は、さらに古代の東海道だと推定されている。

今はほとんど車の通らない旧道だが、道沿いには古い時代からの街道であったことを物語るように庚申塔が建ち、興趣のある風景を見せてくれる。かつてここを通って戸塚と浦賀を行き来した人々を思い浮かべながら川沿いの道を辿ってみるのも一興だろう。6月半ば、下山川沿いにも紫陽花が咲いていた。
参考情報
交通
葉山町上山口へはバスを利用しなくてはならない。JR横須賀線逗子駅、あるいは京急逗子線逗子・葉山駅から、汐入駅行きや衣笠駅行きのバスに乗り、「上山口小学校」バス停で降りればよい。

周辺に時間貸駐車場は無く、車での来訪は避けた方がいい。どうしても車を使いたい人は、逗子駅周辺に車を駐め、バスを利用するのが賢明だ。棚田周辺の道路への路上駐車は決して行うべきではない。

飲食
棚田の下方(北側)に「和か菜」という飲食店がある。なかなかの人気店のようだ。また県道27号を少し西へ行くと、沿道に「角車」というレストランがある。他にも周辺に食事の可能なカフェなどがある。

棚田の周辺には残念ながらお弁当を広げられるような場所は見つけられない。食事は気に入ったお店で楽しもう。

周辺
「上山口小学校入口」交差点から西へ、県道27号から国道134号を辿れば約4kmで葉山町一色の町の中心部だ。神奈川県立近代美術館葉山館や葉山しおさい公園などがある他、一色海岸を散策するのも楽しい。バス移動では途中で乗り換えが必要だが、併せて訪ねるのもお勧めだ。
田園散歩
神奈川散歩