佳景探訪
観音崎公園
神奈川県横須賀市の「観音崎」は三浦半島を代表する景勝地のひとつだ。一帯は神奈川県立観音崎公園として整備され、自然を満喫できる行楽地として人気を集める。新緑の五月上旬、観音崎公園を訪ねた。



観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園
神奈川県横須賀市の「観音崎」は三浦半島の最東端に位置する岬だ。付近一帯は神奈川県立観音崎公園として整備され、豊かな自然に触れることのできる行楽地として人気を集めている。

岬の海岸に、海食洞がある。傍らに設けられた案内板等によれば、古代、洞窟に大蛇が棲み、航海の邪魔をして人々を苦しめていたという。聖武天皇の御代、741年(天平13年)、諸国修行の途中でここに立ち寄った行基がこの大蛇を退治し、その霊を鵜羽山権現として祀った。船の安全のため、行基は十一面観音を刻んで洞窟内に安置したといい、それが「観音崎」の名の由来だという。その後、その辺りに観音堂が創建され、江戸時代には本殿や般若堂が建ち並び、「船守観音」と呼ばれて村人や漁民、船乗りたちの厚い信仰を集めていたそうだ。1880年(明治13年)、そこに陸軍砲台が築造され、翌年、観音寺は鴨居の亀崎に移されたが、その鴨居観音寺は1986年(昭和61年)の火災によって焼失、行基が彫ったという観音像も今は無い。

観音崎公園は観音崎周辺の丘陵地と東京湾に臨む海岸部一帯を公園として整備したものだ。面積は約70haに及ぶ(計画面積は77.9ha)という広大な公園で、1975年(昭和50年)に開園している。一帯の丘陵地は標高50mほど、照葉樹林が鬱蒼と茂っている。その中に日本で最初の洋式灯台という観音埼灯台が建ち、明治期に築かれた砲台跡が残り、それらを巡るように園路が辿っている。観音埼灯台や砲台跡などは、観音崎公園を訪れた際にはぜひとも見ておきたいものと言っていい。

海岸部からはもちろん眼前に東京湾を臨む。行き交う船影を眺めながらのんびりと潮風に吹かれて過ごすのも楽しいひとときだ。海岸には三軒家とたたら浜の二箇所に小さな浜辺があるが、ほとんどは磯辺だ。北側海岸の三軒家浜の周辺は「観音崎園地」と名付けられ、国道16号を南下して公園に訪れた際にはエントランスの役割を担うところだ。丘裾には草地の広場も設けられ、バーベキュー場も備えられている。岬の突端部分は「海岸園地」と名付けられたエリアで、崖下には前述の海食洞がある。海岸は磯辺で、磯遊びを楽しむ家族連れの姿も多い。南側の海岸には観音崎自然博物館やレストランが建てられ、その横手には「展望園地」が設けられている。その名のように眼前に望む東京湾の展望が素晴らしい。その横手、西側にはたたら浜が横たわっている。たたら浜は小さな浜辺だ。三軒家の浜に比べれば訪れる人の姿が少なく、のんびりとした雰囲気が魅力であるかもしれない。

公園の中央部は海岸部を離れ、もはや“丘陵公園”の様相だ。丘の上には「花の広場」と名付けられた草地の広場が設けられている。丘の上の広場は緑濃く、開放感に富んでいる。臨海公園としての観音崎公園とは別の魅力と言っていい。広場の横手には「うみの子とりで」と名付けられた一角があり、子どもたちのための遊具が備えられている。フィールドアスレチック風に工夫を凝らした複合遊具で、子どもたちの冒険心をくすぐる造りだと言っていい。この辺りは南側に鴨居三丁目の住宅地が近く、普段はそこに暮らす人たちの日常的な憩いの場としても機能しているのだろう。

「花の広場」から北側に降りてゆけば「三軒家園地」で、その横手には東京湾を望んで横須賀美術館が建っている。横須賀美術館はその建物自体も意匠に凝っており、特に北側の国道16号側から眺めると木々の茂った丘を背負って建つ姿がたいへんに美しい。海側にはレストランが併設され、東京湾を眺めながら食事が楽しめるとあって人気を集めている。

「花の広場」からさらに西側へ辿れば「ふれあいの森」と名付けられたエリアだ。「走水展望広場」を経てその西には「森の広場」や「アスレチックの森」、「果実の森」といったエリアが設けられている。その名からも容易に推測できるが、辺りは鬱蒼と木々が茂り、すでに“森林公園”の様相だ。「アスレチックの森」には船の形をした複合遊具や丘の斜面を活かして設けられた長いローラースライダーもある。「アスレチックの森」から北側に斜面を降りると「いこいの水辺」と名付けられた一角がある。小さな谷戸地に池が沈み、その周囲を鬱蒼と木々が包む。この辺りになると観音崎公園の一部というより、隣接する別の小公園のようだ。行楽目的で観音崎公園に訪れて、この辺りまで足を運ぶという人はほとんどいないのだろう。

公園の丘陵を貫くように辿る尾根の園路からは、ところどころ木々の向こうに東京湾の眺望を楽しむことのできるところがある。この眺望が絶景と言っていい。木々によって額縁のように切り取られた東京湾の眺望の中を、ゆっくりと船が通り過ぎてゆく。時を忘れて眺めていたくなる風景だ。

観音崎とその周辺の丘陵地一帯を公園とした観音崎公園は、海浜公園としての魅力と丘陵公園、森林公園としての魅力を併せ持ち、その中に日本最初の洋式灯台である観音埼灯台や明治期の砲台跡を抱え、さらに美術館や博物館まで併設する。70ha超という広大さを活かした、たいへんに充実した公園と言っていい。その最大の魅力は、やはり東京湾を望む眺望だろう。磯辺から見渡す東京湾も、丘上から見下ろす東京湾もそれぞれに美しく、そこを行き交う船の姿が旅情を誘うような風情を漂わせる。

子どもたちを連れて行楽に訪れるにも、カメラを携えて散策に訪れるにも、どんな楽しみ方にも応えてくれる。三浦半島でも屈指の観光地であり、景勝地であり、行楽地である。初めて訪れるなら、やはり初夏から夏か。海辺の風情はその季節がいちばん似合うだろう。もちろん他の季節にも楽しめる。素晴らしい公園である。
観音埼灯台


観音埼灯台

観音埼灯台

観音埼灯台

観音埼灯台

観音埼灯台

観音埼灯台

観音埼灯台

観音埼灯台
1854年(嘉永7年)に締結された日米和親条約によって日本はついに西欧諸国に対して開国したが、その12年後の1866年(慶応2年)、日本はイギリス、フランス、アメリカ、オランダの四か国との間で改税約書を結ぶ。

この改税約書の中に、灯明台、すなわち灯台を設置しなくてはならないと謳われていた。その設置場所のひとつとされたのが観音崎である。時代は明治維新前夜だった。その二年後の1868年に幕府は倒れ、明治新政府が誕生、灯台の建設は明治政府に引き継がれることになる。

観音埼灯台の建設を指揮したのは、これも幕府から明治政府に引き継がれた横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)の長を務めていたフランス人技師のフランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)である。観音埼灯台は1866年(明治元年)の9月に建設が始められ、同年12月に完成した。そして翌年1月1日に、日本で最初の洋式灯台が光を発したのである。

ヴェルニーが造った灯台は四角形の洋館の上に灯塔を載せた珍しい形のもので、横須賀製鉄所で焼かれた約6万5千枚のレンガが使われていたという。地上から灯火までの高さは12.12m、フランスのフレネル式3等不動レンズを備え、当初、光源には落花生油やパラフィンなどが使われていた。その光は沖合約25kmまで届いたという。

この日本最初の灯台は1922年(大正11年)4月の地震で被災、翌1923年(大正12年)3月に二代目となる灯台がコンクリート造りで建てられたが、これも同年9月に発生した関東大震災で崩壊した。1925年(大正14年)6月、三代目となる灯台が完成する。これが現在まで残る観音埼灯台である。

観音埼灯台はコンクリート造りの白色、いわゆる“白亜の灯台”である。八角形の塔の頭部に灯火を載せる。地上から頭部までの高さは19m、地上から灯化までの高さは15.15m、平均水面から灯火までの高さは56m、光源は7万7千カンデラの光度を持ち、光達距離は19.0海里(約34km)という。「日本の灯台50選」のひとつである。

観音埼灯台は資料室を併設し、参観事業実施のために必要な経費として「寄付金(大人200円が基準)」を支払い、灯台内部や資料室を見学することができる。1925年(大正14年)に建てられた灯台の内部を見学するのはなかなか楽しい体験だ。塔内部の螺旋階段を登れば灯火の光源部を間近に見ることもでき、興味が尽きない。

頭部外縁部からは眼下に観音崎の磯辺を見下ろし、眼前の浦賀水道を行き交う船舶の姿が見えて、その向こうには房総半島を眺望する。素晴らしい景色である。絶景と言っていい。

灯台敷地内には1989年(平成元年)まで観音埼霧信号所で使用されていた「霧信号吹鳴器」や1990年(平成2年)まで神湊灯台(八丈島神湊港)で使用されていた「灯ろう(レンズや電球を風雨から守る部分)」なども展示されている。これらも併せて見ておこう。

ちなみに「観音崎」や「観音崎公園」は「やまへん」の「崎」の字を用いるが、「観音埼灯台」は「つちへん」の「埼」の字を用いている。
砲台跡


砲台跡

砲台跡

砲台跡

砲台跡
観音崎の丘陵には明治期に造られた砲台跡が残っている。観音崎は三浦半島の最東端で、丘の上から東京湾を一望でき、古くから東京湾防備の要衝だったのだ。

北門第一砲台は園内の残る砲台跡のひとつだ。北門第一砲台は1880年(明治13年)6月5日に着工、1884年(明治17年)6月27日に完成した。半円形の砲台が2基、扇形に配置され、口径24cmの巨砲2門が海に向けられていた。二つの砲台はトンネルで通じ、地下には弾薬庫と兵員室などが造られていたという。

観音崎の砲台は日清戦争や日露戦争の際に実戦配備に着いたが、実戦に用いられることはなかったという。やがて技術の進歩によって近代的な砲台が造られるようになると、こうした旧式の砲台は役割を終え、大正期頃には廃止されていったという。

それから一世紀ほどを経て、観音崎の砲台は木々に包まれて自然に還ろうとしているかのようだ。その姿はまるで古代の遺跡のようにも見える。

観音崎公園では「北門第一砲台跡」の他にもいくつかの砲台跡を見ることができる。興味のある人は観音崎公園で「砲台跡巡り」を楽しんでみるのもいいかもしれない。




観音崎公園

観音崎公園
観音崎公園の北側海岸、三軒家浜横の突堤の袂から西にボードウォークが延びている。「観音崎ボードウォーク」だ。「観音崎ボードウォーク」はそのまま海岸に沿って観音崎京急ホテルの北側海岸まで延びている。ボードウォーク脇に植栽された椰子の樹形や観音崎京急ホテルの建物の姿がリゾート感を漂わせている。美しい景観を楽しめるボードウォークだ。足を延ばして散策を楽しむのもお勧めだ。

観音崎公園の猫

観音崎公園の猫
観音崎公園の猫

観音崎公園の猫
参考情報
公園は入園料は必要なく、自由に入園できるが、観音埼灯台や観音崎自然博物館、横須賀美術館はそれぞれに入館料が必要だ。入館料は開館時間など、詳細は公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通

観音崎公園へは京急本線の馬堀海岸駅や浦賀駅が最寄りだが、駅からは距離があり、駅から「観音崎」行きのバスを利用しなくてはならない。JR線を利用する場合はJR横須賀線横須賀駅から「観音崎」行きのバスを利用すればよい。

車で訪れる場合、横浜横須賀道路を南下、終点の馬堀海岸ICからは国道16号を東進すればいい。

来園者用の有料駐車場が数ヶ所設けられているから、空いているところを利用すればいい。駐車場は平日は利用無料だが、土日祝日は有料となる。行楽シーズンの週末休日には混み合うようだ。余裕を持っての来園をお勧めする。

飲食

公園南側の海岸、観音崎自然博物館脇にレストランがある。海を眺めながらの食事が楽しめる。公園北側に位置する横須賀美術館にもレストランがあり、こちらも東京湾を眺めながらの食事が楽しめる。横須賀美術館の向かいには観音崎京急ホテルが建っている。観音崎京急ホテルのレストランで食事を楽しむのも素敵だ。観音崎京急ホテル前から国道16号を西へ辿れば沿道に磯料理の店などが点在している。そうした店を利用するのも楽しい。

お弁当を持参して、海岸にシートを敷いて海を眺めながらのランチタイムもお勧めだ。充分に行楽気分が味わえる。公園内「観音崎園地」の指定エリア内であればバーベキューも可能だ。利用は無料、予約も不要のようだ。詳細は公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

周辺

観音崎から西へ、海岸に沿って走水海水浴場辺りまで散策の足を延ばしてみるのも楽しい。

公園から県道209号を3〜4km西へ辿れば浦賀の町だ。町歩きを楽しむといい。湾の東西に立つ叶神社に参拝するのもお勧めだ。
観音崎公園

観音崎公園

観音崎公園

関連する他のウェブサイト

海景散歩
公園散歩
神奈川散歩