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神奈川県鎌倉市はかつて源頼朝の開いた鎌倉幕府のあった町だ。市街地の北方には鎌倉の町を見守るように鶴岡八幡宮が鎮座している。鎌倉時代以降の武家社会に於いて関東の総鎮守として人々の崇敬を集めた神社だ。新緑も眩しい五月の半ば、鶴岡八幡宮へ参拝した。 |
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「いいくに(1192)つくろう、鎌倉幕府」という語呂合わせで、昔は鎌倉幕府成立の年号を暗記したものだ。1192年は源頼朝が征夷大将軍に任官された年で、かつてはこれをもって鎌倉幕府の成立としていたわけだが、最近では1192年の鎌倉幕府成立という学説はあまり支持されていないらしい。それ以前にすでに源頼朝による統治支配体制が確立していたからで、何年をもって鎌倉幕府成立とするのかは、諸説あって定まっていないようだ。いずれにしても源頼朝が東国の支配権を確立した1180年頃から征夷大将軍に任官される1192年にかけて、鎌倉幕府政権が確立されていったということだろう。
その百年余り前の1063年(康平6年)、奥州を平定して鎌倉に戻った源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して由比ヶ浜の浜辺に祀り、加護を祈願して源氏の氏神とした。やがて1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝が由比ヶ浜の八幡宮を現在地に遷座、1191年(建久2年)には上下宮を整えた。これが現在の鶴岡八幡宮である。 以後、鶴岡八幡宮は関東の総鎮守として広く人々から信仰を集めてゆく。特に武家から崇敬され、武家社会に於ける精神的な拠り所、武家の守護としての意味合いも大きかった。鶴岡八幡宮への信仰心を基に培われた質実剛健の気風が、いわゆる「武士道」の精神性の基盤になっているのだという。鎌倉幕府が滅んだ後は一時衰退したらしいが、江戸時代には徳川幕府の庇護を受け、さまざまな社殿や伽藍が築かれて規模も大きくなる。武家からの崇敬を集める鶴岡八幡宮を手厚く庇護し、その祭祀を重要視することで、幕府の権威を高める目的もあったのだろう。 現在の鶴岡八幡宮はその境内と参道である若宮大路共に文化庁が定める国の「史跡」に指定されており、観光名所としての役割も大きい。年間を通じて大勢の参拝客が訪れ、その中には修学旅行生や外国人観光客の姿も少なくない。源頼朝が征夷大将軍の任について以後、大政奉還までの670年余続いた武家社会の、その象徴とも言える神社に、訪れた人たちはどのような思いで参拝するのだろう。 |
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若宮大路と段葛 |
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鎌倉駅東口からそのまま東へ数十メートル進めば若宮大路だ。駅入口交差点のやや北方に二の鳥居が建ち、そこから北へ有名な段葛が延びる。若宮大路は鶴岡八幡宮の参道で、由比ガ浜から八幡宮までほぼ真っ直ぐに鎌倉の市街地を貫いて延びる。源頼朝は鶴岡八幡宮とその参道である若宮大路を中心に、その周囲に町を造っていったのだという。
その若宮大路の中心部にあるのが段葛だ。段を設けて葛石を並べて造られたことからその名がある。段葛は北条政子が懐妊したとき、安産を祈願して造営されたもので、御家人たちと共に頼朝自らも土石を運んで築いたという。造営された当時の段葛は由比ガ浜の一の鳥居から延びていたということだが、現在は二の鳥居から三の鳥居までの部分を残すのみだ。現在の段葛は若宮大路の真ん中に延びる舗道という佇まいで、両脇の車道を行き交う車を横目にのんびりと散策することができる。段葛は春は桜の名所として知られ、またツツジも見事なものだが、訪れたのは五月の半ば、緑濃い桜の葉に覆われて木漏れ日が美しかった。この段葛、鶴岡八幡宮に近づくにつれて狭く、遠ざかるほど広く造られている。遠近法を利用して実際以上に長い道のように錯覚させようという、軍事的目的があったと言われている。 若宮大路の両脇には飲食店や土産物店が建ち並び、行き交う人の姿も多く、いかにも観光地的な賑わいを見せる。建ち並ぶお店の中にはなかなか古そうな建物もあって良い風情だ。 |
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表参道 |
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段葛を北端まで歩いたら交差点を渡って三の鳥居をくぐり、鶴岡八幡宮の境内へと歩を進めよう。目前には左右の源平池を繋ぐ水路を跨いで太鼓橋が架かっている。向かって右手、東側の大きな池が源氏池、左手、西側の少し小さめの池が平家池だ。両者をまとめて源平池と呼ぶことも多い。残念ながら太鼓橋は渡れないようで、横に設けられた別の通路を通らなくてはならない。
太鼓橋を背にして立ってみると、参道が真っ直ぐに伸び、その向こうに遠く、緑の木々に包まれるようにして社殿が見える。鶴岡八幡宮の本宮は一段高くなったところに建っており、その手前の広場に舞殿と呼ばれる社殿が建っている。太鼓橋付近から見るとその二つの社殿がまるで二階建てのように二層に重なって見える。鶴岡八幡宮の特徴的な景観だと言えるのではないだろうか。 参道には参拝の人たちが大勢行き交っている。参道の脇には露店も出て、時折立ち寄る人の姿がある。参道の両脇には鬱蒼と木々が葉を茂らせている。クスノキが多いようだ。どの木も見事に大きい。 |
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流鏑馬馬場 |
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しばらく進むと、参道と直交して東西に真っ直ぐに延びる道がある。これは有名な流鏑馬神事に用いられる流鏑馬馬場であるらしい。流鏑馬は毎年9月16日に行われる神事だが、そもそもは源頼朝が興したものだという。すでに800年を超える歴史を持っていることになる。八幡神に奉じて執り行われる神事であることはもちろんだが、当時の流鏑馬は武士の士気を高め、そしてまたある種の娯楽の意味合いもあったのかもしれない。
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舞殿 |
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社務所の横を過ぎて手水舎でお清めを済ませると、いよいよ舞殿だ。下拝殿とも言われる。周囲は広場になっており、向かって右手には若宮や祈祷受付所、直会殿といった建物が並んでいる。
舞殿は若宮回廊の跡地に建てられており、その若宮回廊でかつて源頼朝に捕らえられた静御前が義経との別れを舞った。舞殿の名はその逸話に由来するのだろう。頼朝に追われることになった義経と吉野山で行き分かれた静御前はやがて頼朝に捕らえられ、鎌倉へ送られる。頼朝から鶴岡八幡宮での舞の奉納を命じられた静御前は、初めは固辞していたもののついに断り切れず、若宮回廊で舞を披露する。静御前は義経への思慕を自らの舞に託し、「吉野山峰の白雪踏みわけて入りにし人のあとぞ恋しき」、「静や静しずのおだ巻きくり返し昔を今になすよしもがな」と、義経との別れの思いを歌に詠む。見事な舞だったということだが、頼朝は激怒し、それを北条政子が取りなしたという。やがて静御前は京へ返されるが、その後の消息は定かでなく、さまざまな伝説が残っている。 静御前を偲んでか、毎年4月に開催される「鎌倉まつり」ではこの舞殿で「静の舞」が奉納されるという。 |
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大石段と大銀杏 |
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舞殿の奥には大石段があり、本宮はその上に鎮座している。大石段は61段あるそうで、下から見上げてもなかなか高さがある。その大石段の西側には見事なイチョウの木が聳えている。樹齢は千年を超えるという御神木の大銀杏で、青々と葉を茂らせて樹勢に溢れ、堂々とした立派な姿だ。秋の黄葉はたいへんに美しいらしい。また大石段の東側に大銀杏と対を成すように枝を広げる樹木は梛(なぎ)の木で、梛(なぎ)が“凪”に通じることから航海安全の信仰の対象となったという。
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本宮 |
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大石段を上がりきると見事な朱塗りの楼門が建ち、その奥に鶴岡八幡宮の本宮がある。楼門の奥は写真撮影禁止とのことで、撮影は遠慮しておこう。鶴岡八幡宮はそもそもは1191年(建久2年)に源頼朝が建立したものだが、現在に残る本宮社殿は1828年(文政11年)に徳川家斉が造営したものという。社殿を前にひととき厳かな気持ちで手を合わせ、家内安全や無病息災を願って参拝してゆこう。
本宮社殿は若宮などと共に国の重要文化財に指定されている。また、宝物殿には鶴岡八幡宮に伝わる種々の国宝や国指定重要文化財、あるいは神奈川県指定、鎌倉市指定の重要文化財の数々が展示されている。宝物殿は拝観料が必要だが、有名な国宝「籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがききくらでんまきえすずりばこ)」など、訪れたときにはぜひ見ておきたい。 鶴岡八幡宮は言うまでもなく「八幡宮」であるから八幡神(「はちまんしん」とも「やはたのかみ」とも読む)である応神天皇を主神とし、神功皇后と比売神の三柱の神を祀る。八幡信仰の神社は全国に数多く、大分の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮、福岡の筥崎宮の三社を通常は「日本三大八幡」と呼ぶが、このうちの筥崎宮を鶴岡八幡宮に換えて「日本三大八幡」とすることもある。鶴岡八幡宮は日本の八幡宮を代表するもののひとつなのだ。 |
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白旗神社 |
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参拝を済ませたら大石段を下り、舞殿の建つ広場から東へ歩を進めよう。柳原神池を小さな橋で渡ると北側に木々に包まれて白旗神社が建っている。白旗神社は源頼朝と源実朝を祀っている。黒塗りの社殿は虚飾を廃して“質実剛健”の気風を漂わせているようだ。平家を滅ぼして武家政権を興した頼朝を祀る神社らしく、心願成就や必勝の御利益で信仰されているという。頼朝公に敬意を表してお参りしてゆこう。
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源平池 |
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白旗神社の参道を南へ下ってゆき、流鏑馬馬場を横切って鶴岡幼稚園の横を抜けると源氏池の北側の岸辺に出る。休憩所があり、池を眺めながらのんびりとしたひとときを過ごすことができる。夏になると池には蓮が咲く。今はまだ五月、水面には緑の葉が浮いているだけだ。池には鯉がいるようで、休憩所の売店で“鯉のエサ”を売っている。買い求めて鯉に餌をやるのも楽しいかもしれない。
この源平池は1182年(寿永元年)に北条政子が平家滅亡を祈願して掘らせたものという。池が掘られる以前は水田であったらしい。東側の源氏池の島には三つの島があり、西側の平家池には四つの島があるが、これは「三」が「産」、すなわち繁栄に通じ、「四」は「死」、すなわち滅亡に通じるからだという。源氏の白旗、平家の赤旗に因み、源氏池には白い花の蓮が、平家池には紅い花の蓮が植えられたということだが、800年余を経た現在では紅白の花が混じってしまっている。源平の戦いもすでに歴史の彼方だ。 |
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旗上弁財天社 |
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源氏池に浮かぶ三つの島のうちの最も大きな島には旗上弁財天社が祀られている。この弁財天もそもそもは池が造営されたときに北条政子が建立したものらしいが、明治の廃仏毀釈で失われ、現在の社殿は1980年(昭和55年)に鶴岡八幡宮創建800年を記念して江戸時代末期の古図に基づいて再建されたものという。平家を滅ぼした源氏の旗揚げにあやかろうということか、“源氏の白旗”を模した旗に願を掛けて奉納する人も多いらしい。その願掛けの小旗が境内には無数と言っていいほどに立てられている。
この旗上弁財天社は鎌倉七福神のひとつで、ここを目指して参拝に訪れる人も少なくない。祀られている弁財天像は鎌倉時代に彫られた見事なもので、現在は鶴岡八幡宮境内に建つ鎌倉国宝館に安置されている。 |
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神苑ぼたん庭園 |
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源氏池の東側から南側にかけての岸辺には「ぼたん庭園」が設けられている。この「ぼたん庭園」も1980年(昭和55年)に鶴岡八幡宮創建800年を記念して開園したものという。「ぼたん庭園」は源氏池の岸辺に沿った回遊式庭園で、園内は木々に包まれて緑濃く、木々の隙間に見え隠れする源氏池の姿も良い風情だ。
園内には約100種、1000株の牡丹が植えられているという。しっとりとした日本情緒の佇まいの中に咲く艶やかな牡丹はひときわ美しい。花の好きな人はもちろん、そうでなくても充分に楽しめる。牡丹の花期は本来は春だが、ここでは冬牡丹も楽しめるという。春は4月から5月中旬、冬は1月から2月下旬が見頃だそうだ。 「ぼたん庭園」は拝観料が必要だが牡丹の花期にはぜひ見ておきたい。入口は源氏池の西南側の角、すなわち正面の大鳥居をくぐってすぐの太鼓橋手前右手と、源氏家北側の岸辺、休憩所の横手の二カ所に設けられている。どちらかの入口から入り、ゆっくりと見学しながら散策を楽しみ、反対側の入口から出るといい。 |
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観光地的性格も強く、大勢の観光客が訪れるとは言っても、鶴岡八幡宮は神々を祀る神域、境内は厳かな気持ちで歩きたい。境内は広く、さまざまな発見があって散策は楽しいが、訪れた時にはまず本宮への参拝を済ませておこう。
鶴岡八幡宮の例大祭は9月15日だが、年間を通じてさまざまな祭事が執り行われる。そうした祭事に合わせて鶴岡八幡宮を訪ねてみるのもお薦めだ。また当然のことながら鶴岡八幡宮では「家内安全」や「心願成就」、「商売繁盛」、「無病息災」といった種々の御祈祷も執り行っている。厄年の人は厄除け、交通安全を願っての車両のお祓い、子どものいる人は初宮詣や七五三など、人生の節目に御祈祷をお願いするのもよいものだ。 鶴岡八幡宮の境内は緑濃く、歴史ある神社に相応しく大きな樹木も多い。大石段横の大銀杏をはじめ、鎌倉市の天然記念物に指定されている樹木もあり、樹木に興味のある人には見逃せない。また春の桜、秋の紅葉も美しく、夏は源平池の蓮の花が見所だ。冬の雪景色も風情あるものだろう。そうした表情を楽しみに、四季折々に訪ねてみたい。 |
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