神奈川県愛甲郡愛川町中津に山十邸という明治期の豪農の住居が保存されている。周辺の町並みには古い時代の佇まいが残っており、中津川も近い。五月の半ば、古民家山十邸を訪ねた。
山十邸
山十邸はこの地方の豪農だった熊坂家の住居として、明治初期、熊坂半兵衛の代に建てられたものという。ちなみに「山十(やまじゅう)」は屋号である。愛川町はその建物と庭園を修復、保存し、「古民家山十邸」として一般に公開している。「かながわの建築物100選」のひとつとしても選定されているものだ。
追記 2009年(平成21年)、山十邸の主屋と門が国の登録有形文化財の指定を受けている。
山十邸
山十邸
山十邸
山十邸の建物は堂々とした立派なものだ。半原の宮大工、矢内家の右仲、左仲、左文治の三兄弟によって建てられたものらしい。ケヤキ材を用いた入母屋造り、茅葺屋根の多かった時代には珍しく瓦葺で、細部に渡って当時の宮大工の技術が活かされているという。十五畳の奥座敷をはじめ、十畳を超える広さの部屋が六室、書院などを設けた座敷の造りは格調高い佇まいで、当時の豪農の暮らしぶりを偲ばせる。囲炉裏を置いた一角や土間などにも当時の暮らしぶりが想像できて、建築に詳しくない身でも、ついつい興味を覚えて見入ってしまう。
山十邸
山十邸
山十邸
建物内部を見学した後は建物の周囲を巡って庭園の散策も楽しい。庭にはさまざまな樹木が植えられ、建物の周りは緑濃い様相だ。奥座敷の前には枯山水の庭園が往時のままに残されている。庭園の隅には見事な百日紅の木があった。夏の花期には美しい姿を見せてくれるに違いない。東側の庭では梅の木が葉を茂らせていた。これも早春の花の時期の様子を見てみたいものだ。東側の庭に残された井戸や南側に建つ蔵なども見ておきたい。白壁造りの蔵は現在の駐車場辺りにあった米蔵で、往時は米蔵が二棟、物置二棟、馬屋があったという。
山十邸
山十邸
山十邸
山十邸の建物は1944年(昭和19年)に熊坂家から大川周明の所有となり、大川の晩年の住居として使用されていたという。大川周明は戦前の思想家として知られ、東京裁判では「A級戦犯」として起訴されている。精神障害を理由に免訴されて後、戦後はコーラン全文翻訳や農村復興などに取り組んでいる。1957年(昭和32年)12月、ここ旧山十邸で生涯を終えている。
中津往還
山十邸の門前を通る狭い道路は「中津往還」と呼ばれる旧街道だ。中津川の河岸段丘の端に沿って延び、西方には木々の隙間に中津川を見下ろしている。道は狭く、車一台がようやく通れるほどの幅だが、それだけに普段は車の通行もほとんどなく、静けさに包まれている。さすがに古い時代の景観がそのままに残るというわけではないが、旧街道の佇まいがうまく残っており、散策は楽しい。
中津往還
山十邸から少し北へ行くと竜福寺という寺が建っている。1616年(元和2年)に開かれた寺という。この寺の山門は1778年(安永7年)に建立されたもので、愛川町の指定文化財になっている。特徴的な意匠の山門で、訪れたときにはぜひ見ておきたいものだ。

この寺の前は石垣が続き、良い風情を漂わせている。竜福寺の前から中津川河畔の低地へ降りる坂道があり、そのために竜福寺前は西へ視界が開け、中津川上流側の景観を望める。なかなか美しい景色だ。
中津層の露頭
竜福寺前から中津川河岸の低地へと降りる坂道の途中に、「中津層の露頭」がある。解説板が設置されており、それによればこの崖面は中津層と呼ばれる地層の露頭地点のひとつなのだそうだ。中津層は今から300万年〜200万年前、この辺りが浅い海だった頃に堆積した、砂岩、泥岩の地層で、中津台地の基盤を成しているという。解説板の横手の崖面には小さな洞穴があり、仏像が安置されている。中津層の崖面をくり抜いて造られた洞穴なのだと、解説板に記されている。
下谷
河岸段丘下の中津川河畔には家々が並んで集落を成している。この辺りは「下谷」と呼ばれる地域であるようだ。この集落の佇まいがたいへんに素晴らしい。「愛川・八菅橋周辺」として「かながわのまちなみ100選」にもなっているところだ。道沿いには家々の生垣や蔵などが残り、緩やかな曲線を描く道そのものの様子も美しく、道脇には小川が流れている。小川は花菖蒲を植え込んだところもあり、「しょうぶの里」と銘打たれている。六月の花期には美しい景観になることだろう。
下谷
中津川の河岸に出てみると、堤防脇に「下谷弁財天社」の小さな社が建っていた。「江之島神社分霊」と書かれてあるから藤沢の江島神社の分霊を勧請して建立されたものだろう。弁財天は古代インドの水神サラスヴァティが仏教や神道に組み込まれたものだ。水を司る神として、こうして河岸に弁天社が建っていることは多い。水の恵みに感謝し、洪水や旱魃といった災害を免れるための祭神として祀られたものだろう。
下谷
八菅橋近くの河畔には畑地や水田が広がっている。訪れた五月の半ば、水田は田植えを控えて水を湛えている。河岸の堤防道から見下ろすと水田の向こうに家々が点在し、その背後には河岸段丘の崖面に茂る木々の緑が横たわる。少しばかり雲の多い日だったが、ときおり広がる青空を背景に見るその風景はたいへんに美しいものだった。
下谷
竜福寺前から下谷を見る
中津川の対岸には八菅山が木々を茂らせて横たわり、その麓を中津川がゆったりと流れてゆく。山肌の新緑も日増しに濃くなってゆく季節だ。対岸の茂でウグイスが啼いている。その声がずいぶんと近く聞こえる。上流側から下流側へ、ダイサギが悠然と飛んでゆく。八菅橋を渡ってゆく車の音もほとんど届かない。聞こえるのは中津川の流れの水音だけだ。堤防道の脇に腰を下ろしてそのような風景を眺めていると時の経つのを忘れる。

「かながわのまちなみ100選」に選定されているとは言っても、まったく「観光地化」されていない。歩いていても出会うのは地元の人だけだ。町中の喧噪とはまったく無縁の、素朴で穏やかな時間がゆったりと流れている。その時間の中に身を置くのが、とても楽しい。
参考情報
山十邸は入場無料だが、受付に見学の申し込みが必要だ。係の方に挨拶し、来訪者ノートに日時と「どこから来たのか(○○市、といった程度)」を記しておこう。氏名や詳しい住所の記入は必要ない。
開園時間、休館日等については愛川町サイトの施設ガイド(「関連するウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
山十邸は車での来訪が便利だが、場所が少々わかりにくく、道が狭いのが難点だ。県道63号(相模原大磯線)の「一本松」交差点から西へ進み、中津大橋の直前の交差点を北へ、旧中津往還の細い道を入り込んでゆくと道の右手に山十邸が建っている。山十邸に三、四台が駐車可能なスペースが設けられているが、山十邸の前を通る道が旧街道だけあって何しろ狭い。車一台がようやく通れるほどの幅で、地元の人の車でもすれ違いの際には手間取る場面がある。大型の車や運転技術に自信の無い人にはお勧めできない。中津大橋から八菅橋へと降りてゆくと、八菅橋の袂から河川敷に降りることができ、その河川敷に車を停めておくことができるようだ。そちらに車を停めて付近を散策しつつ山十邸にも訪れるというのもお勧めだ。

バスを使うのであれば、小田急線本厚木駅からの三増行バスで、「中津局前」で下車するのが近いようだ。

飲食
山十邸の付近には飲食店などはないが、県道63号(相模原大磯線)沿いには飲食店やコンビニエンスストアが点在している。中津川の河原でお弁当を広げるのも楽しそうだ。

周辺
八菅橋を渡った中津川右岸の八菅山は「八菅山いこいの森」という自然公園として整備されている。また少しばかり距離があるが、中津川の上流側には「箕輪耕地」と呼ばれる水田地帯があり、美しい景観が広がっている。車で訪れたときには立ち寄ってみるといい。山十邸付近の史跡や見どころを紹介したリーフレットが山十邸に用意されていたから、散策するときにはこれを貰っておくと便利だ。
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