長野県木曽町の中心部はかつて中山道の福島宿として栄えたところだ。町の一角には今も往時の面影を残す家並みが残っている。山々が紅葉に染まった十一月上旬、木曽福島を訪ねた。
木曽福島
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長野県木曽町の中心部、木曽川の河岸に広がる町並みはかつて木曽郡木曽福島町だったところだ。木曽福島町は1967年(昭和42年)、当時の西筑摩郡福島町と新開村とが合併して発足、2005年(平成17年)に木曽郡日義村、開田村、三岳村と木曽福島町が合併、木曽町が発足して木曽福島町は廃止となった。

木曽福島の中心部はそもそもは中山道の福島宿として栄えたところだ。福島宿は中山道六十九次のうち、江戸から37番目、木曽十一宿に数えられる宿場のひとつである。宿の延長は三町五十五間(約430m)、関所が設けられ、代官が在住していた。規模の大きな宿場で、木曽谷の中心として発展した土地柄だ。しかし残念ながら1927年(昭和2年)の大火で町のほとんどが焼失、今は「上の段」と呼ばれる地区にわずかに江戸時代末期に建てられた建物が残るのみという。

今回、木曽福島を訪ねたのは十一月上旬、木曽の山々が紅葉に染まる季節だった。あいにくの天候で、降りしきる雨の中、傘を差しての散策だったが、しっとりと雨に濡れた町の風景はなかなか風情のあるものだった。
木曽福島
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上の段
「上の段」はその名が示すように、木曽川河岸を辿る道路沿いの町並みからは一段高みとなった丘の上にある。この丘には、古くには木曽義仲から数えて十九代目に当たる木曽義昌の居城「上之段城」があったという。

本町地区の町並みから「中山道」を示す案内標識に従って細道を辿ってゆくと、やがて坂道になって、坂を登ったところには高札場跡がある。高札場とは法度や掟書など(現代での「法令」に当たる)を木の札(高札)に記し、広く周知を図るために高く掲げておいた場所のことだ。高札場は各宿場に設けられ、距離の基準点としての役割も持っていたようだ。現在の高札場は1838年(天保9年)に8枚の高札が掲げられている様子を再現したものだそうで、「福島より上松への駄賃銭」、「駄賃荷物の定め」、「きりしたん禁制」といった内容の高札が実際の三分の二の大きさに縮小して再現してあるという。高札場に植えられたモミジが真っ赤に紅葉し、美しい景観を見せていた。
木曽福島
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高札場の上で道は大きく屈曲し、「上の段」の中心部だ。宿場には敵の侵入を阻むために道を折り曲げた「鍵の手」や石垣に囲まれた「枡形」が設けられていたが、「上の段」の両脇に見られる道の屈曲はそうしたものの名残だ。

「上の段」の中心となる通り沿いには風情ある建物が並ぶ。「卯建」や「千本格子」、蔵の壁に用いられた「なまこ壁」などが往時を偲ばせる。通り沿いに並ぶすべての家々がそうした建物であるわけではないが、古い時代の面影を残して風趣に富んだ通りである。

「上の段」に鎮座する清明社は平安時代の陰陽師安倍晴明を祀った神社だそうだ。1776年(安永5年)に大通寺内に祀られ、1872年(明治5年)に町内の水無神社に遷座、安倍晴明没後千年に当たる2004年(平成16年)、上の段の氏子によって現在地に祀られたものだそうだ。
木曽福島
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「上の段」の通り沿いには懐かしい赤い丸形ポストが残されている。現在では箱形のポストに切り替わり、丸形のポストは目にする機会も減ってきているが、ここでは近代化遺産のひとつとしてこれからも活用していくという。

「上の段」の中心の通りには細い小路がいくつも直交している。これらは木曽義昌の居城があった時代の名残で、江戸時代から残っているものもあるという。「西の小路」と呼ばれる小路は上之段城郭の西の外れの通りに当たり、小路脇の乱れ積みの石垣は武家屋敷の名残だそうだ。「山口小路」と呼ばれる小路は宿場を通らずに関所へ通じるルートだったらしい。随所に簡単な解説パネルが設置されており、それらを見ながらそれぞれの小路に足を踏み入れてみるのも楽しいひとときだ。
木曽福島
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昭和の町並み
福島宿の町は1927年(昭和2年)の大火でそのほとんどが焼失、現在の町並みはそれ以後に建てられたものだ。江戸時代の宿場の面影を残す町並みは失われてしまったが、今の町並みも昭和の風情を漂わせて魅力的だ。いわゆる“昭和レトロ”感が漂い、古き良き時代への郷愁を誘うような佇まいだ。銀行や服飾店、薬店、精肉店など、地元の人たちのための店に混じって木曽漆器の店が並ぶあたりは土地柄をうかがわせる。町歩きの好きな人なら、ぜひこの昭和の風情漂う町並みの散策を楽しむといい。

町の中心部の一角に、かつては旧木曽福島町役場庁舎が建っていた。福島宿本陣跡に建てられた建物で、1906年(明治39年)に建てられた初代庁舎が1927年(昭和2年)の大火で焼失した後、1951年(昭和26年)に二代目庁舎が建てられ、木曽町が発足した後は木曽町役場の木曽福島支所として使われてきた。二代目庁舎は木造二階建て、なかなか堂々とした意匠の建物だったようだ。今回訪れたとき(2015年11月)、周辺の再開発事業のため、庁舎は取り壊された後だった。見ることができなかったのが残念だった。
木曽福島
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崖屋造り
本町地区の木曽川河岸、「崖屋造り」という特徴的な家並みを見ることができる。三階建て、あるいは四階建ての建物が河岸の崖上に、一部は川に張り出して建てられている。そうした建物が幾棟も河岸に並び、印象的な景観を生み出している。平地の少ない土地柄、土地を有効活用するための先人の知恵らしいが、今では木曽福島の町の特徴的な景観として“観光名所”的に知られている。

木曽川に架けられた橋の上や対岸から、この「崖屋造り」の家並みがよく見える。木曽川には風雅な意匠の人道橋が架けられており、その橋と「崖屋造り」とが織り成す景観も風情のあるものだ。人道橋の袂には「木曽川親水公園」という小公園が設けられている。公園内には足湯が設けられ、散策中の一休みにいいところだ。人道橋の袂からは河原に降りてゆくこともできる。河原からの景観も見ておきたい。橋上や対岸から見るのとは違う角度で見ると、「崖屋造り」の印象もまた違う。「崖屋造り」、木曽福島の町を訪れたならぜひ見ておきたいものだ。
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福島関所跡
福島関所は福島宿の江戸方入口に設けられていたそうだ。現在は一般道の南側、山裾の斜面に位置する形だが、かつてはこれが中山道だった。福島関所は日本四大関所のひとつと言われる。中山道のほぼ中間に位置し、「入鉄砲」と「出女」を厳しく取り締まった。木曽を治めていた代官山村家が、代々の関守を幕府から任され、関所が設けられてから廃止されるまでの約270年間、その任に当たったという。

福島関所跡は1975年(昭和50年)に発掘調査が行われ、戦国時代の遺構が発見されたそうである。1979年(昭和54年)には「福島関跡」として国の史跡に指定されている。現在の福島関所跡は史跡公園として整備されており、広場となった跡地の周囲に門や柵などが復元され、往時の面影を伝えている。跡地の傍らには往時の番所の建物を模した福島関所資料館が設けられている。興味のある人は見学していくといい。

復元保存された関所跡の様子から、往時の関所の様子を想像してみるのも楽しい。さまざまな人々がさまざまな理由で関所を通り、さまざまなドラマがあったに違いない。
木曽福島
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木曽の紅葉
木曽の紅葉
木曽福島の中心部からやや東方、国道19号から国道361号が北西へと逸れている。国道361号を辿れば開田高原へ至り、そのまま山々を縫ってゆけば高山へと続く。この国道361号を開田高原へと向かうと、沿道の山々の美しい紅葉の景観を見ることができる。カラマツの樹林を中心とした紅葉が山肌を染め上げる景観は見事なものだ。この山肌の紅葉、開田高原側から木曽福島に向かって新地蔵トンネルを抜けて降りてゆく辺りが最も美しい。紅葉の時期に木曽を訪れたなら、国道361号のドライヴを楽しんでおくことをお勧めする。
参考情報
交通
木曽福島の町へはJR中央本線木曽福島駅が最寄りだ。駅から町の中心部まで歩ける距離だ。

木曽福島へ車で訪れるなら、中央自動車道伊那ICから国道361号を西へ辿るのが近い(国道361号は途中から国道19号との重複区間となる)。あるいは塩尻市から国道19号を南下、中津川市から国道19号を北上してもいい。その際、長野自動車道塩尻ICや中央自動車道中津川ICを利用すると便利だ。

「上の段」にも観光客用の駐車場があるが、場所がわかりにくく、周辺の道も狭い。「上町」交差点から北へ100mほどのところにある大手町駐車場が駐車台数にも余裕があり、周辺の道も広いので利用しやすい。

飲食
木曽福島駅前から町の中心部にかけて、さまざまな飲食店が点在している。名物の蕎麦を楽しむのがお勧めだろう。

周辺
木曽福島の町では山村代官屋敷や木曽福島郷土館、興禅寺なども訪ねておきたい。興禅寺近くにある御料館は旧帝室林野局木曽支局庁舎の建物を復元改修したものだそうだ。建築に興味のある人は見逃せない。

木曽福島の町から国道361号を西へ辿れば開田高原だ。「木曽馬の里」までは約20km、車で30分ほどで着く。

木曽路を訪ねたなら、やはり中山道の他の宿場も訪ねてみたい。北へ辿れば宮ノ越宿まで7kmほど、南へ向かえば上松宿まで10kmほどだ。鉄道ならJR中央本線を利用し、それぞれ宮ノ越駅と上松駅を利用するといい。
紅葉散歩
町散歩
長野散歩