佳景探訪
東海道品川宿
東京都品川区、京浜急行北品川駅付近から青物横丁駅付近にかけて、江戸時代には東海道の品川宿として賑わったところだ。往時と同じ道幅という旧東海道には古い建物も残り、さまざまな史跡が点在する。秋晴れの十月下旬、東海道品川宿を歩いた。



東海道品川宿

東海道品川宿

東海道品川宿

東海道品川宿東海道品川宿

東海道品川宿

東海道品川宿東海道品川宿

東海道品川宿
東海道は五街道の中で最も重要な街道だったと言っていい。江戸と京を繋いでいたのだ。その東海道の宿場の中で最も江戸に近かったのが品川宿だ。すなわち「品川」という土地は江戸時代には「江戸」ではなかったということだが、現在の東京に於いて「品川」が比較的中心部に位置する街という感覚が強いことを思うと、時代の変遷による東京の発展というものにおもしろみを感じるところだ。

品川宿は日本橋から京の都へ向かう東海道の最初の宿場だった。ということは西から東海道を辿って江戸に入るときには最後の宿場だったわけで、江戸へ入る者はたいてい品川宿で休憩を取り、身支度を調えて江戸入りしたのだという。長旅をしてきた者は履き物が傷んでいるから、品川の宿で新調して江戸入りしたものらしく、品川には履き物を商う店が多かったという。傷み汚れたままの履き物で江戸に入ると“田舎者”と見透かされてしまう。“生き馬の目を抜く”江戸で、それは避けたいというわけだ。まさに“足元を見られる”という慣用句のとおりなのだと、品川で今も昔ながらの履き物の店を営む方がテレビで話しておられるのを聞いたことがある。

品川宿は江戸に近い宿場ということで人々の往来は多く、たいへんに賑やかだったらしい。特に参勤交代の時期(大名が自国に戻る時期は決められていたという)には品川の本陣や旅籠は多忙を極めたという。江戸時代も中期以降になれば世の中も安定し、“お伊勢参り”や“大山詣で”といった寺社参詣を目的とした“物見遊山”の旅が庶民の間にも浸透したが、そうした人々が品川宿で見送りの人たちと酒宴を開いて、それから旅へと出発したものらしい。江戸に近い品川の宿は、“宿場”としての本来の目的より、江戸に入る直前の休憩と身支度を整えるための場所として、あるいは江戸を発つ者が見送りの者と名残を惜しむための場所として機能してきたのだろう。

その品川宿の賑わいを今に伝えて、かつての東海道が品川の街に「旧東海道」として残っている。JR品川駅の南方、併走する国道15号線(第一京浜)と京浜急行の線路の東側、西側には「海岸通り」と呼ばれる国道357号線が走り、その間に挟まれて「旧東海道」は今では“裏通り”といった様相だ。決して広いとは言えない道だが、この道幅は往時と同じなのだという。

かつての品川宿は概ね現在の京浜急行の北品川駅付近から青物横丁駅付近にかけての範囲に広がっていた。今でも街道沿いには飲食店などが建ち並び、人々の往来も多い。「旧東海道」は車両の通行のある一般道(北から南への一方通行のようだ)だが、東西に大きな道路があるからか、通り抜ける車は多くないようで、行き交う人たちも気楽な様子だ。町の佇まいはもちろん往時の品川宿のままというわけではないが、歴史ある町であることを物語るように古そうな建物も軒を並べている。道沿いには寺社も多く、観光客のための案内板なども設置され、かつての品川宿の姿を想像しながらの散策は楽しい。
品川浦舟溜まり


東海道品川宿/品川浦舟溜まり

東海道品川宿/品川浦舟溜まり
京急北品川駅を降り、旧東海道を少し南へ進んですぐに東側へ路地を抜けると、古い時代の漁師町の面影を残す一角がある。「品川浦の舟溜まり」として知られているところだ。埋め立てが進んだ今ではまるで運河のような様相だが、かつてはこの辺りまで海だった。“品川浦”である。品川浦は江戸時代から海苔の産地として知られ、やがて海苔の養殖は大森、羽田方面へと広がっていったのだという。

その頃の面影を辛うじて残す水路は、今は“舟溜まり”として屋形船も多く停泊している。屋形船の発着所となっているのだ。水路を跨ぐ「北品川橋」の歩道に建って北方を視線を向ければ、停泊する屋形船や岸辺に建つ古い建物の向こうには現代的な高層のビル群がそびえる。品川の新旧の姿がひとつの視界に収まるのが何とも興味深い。
横町


東海道品川宿
品川宿には東海道から横へ延びる路地、すなわち“横町”が数多くあった。それらの横町にはそれぞれ「台場横町」や「陣屋横町」、「大横町」、「虚空蔵横町」といった名があり、地元の人たちは今でもその名を使っているという。主な横町には横町の名とその名の由来を記した案内板が設置されている。手作り感のある案内板だが、これは地元の有志によるものらしい。ひとつひとつ目を留めてゆくのも楽しい。
品川小学校発祥の地


東海道品川宿/品川小学校発祥の地
北品川駅から旧東海道を300メートルほど南へ辿った西側に法禅寺という寺がある。その門脇に、「品川小学校発祥の地」の碑が建っている。品川小学校は品川区で最も古い小学校だそうだ。そもそもは1873年(明治6年)に都築幾三郎という人物が始めた寺子屋塾が前身で、それを東京府の認可を受けて公立学校に転用したものが品川小学校の発祥という。当時は「第一大学区第二中学区第六番公立小学品川学校」という名称だったそうだ。その寺子屋塾のあった場所が、この法禅寺というわけだ。現在の品川小学校はここから数百メートル西の、東海道本線の線路脇に位置している。
聖蹟公園(品川宿本陣跡)


東海道品川宿/聖蹟公園
旧東海道と山手通りとの交差点近く、旧東海道の東側に聖蹟公園という小公園がある。旧東海道に面した公園入口が小さいから見落としがちだが、山手通りに面して広場が設けられている。この公園は品川宿の本陣跡であるという。本陣とは大名や旗本、公家などが宿泊するための施設だ。江戸初期には北品川宿と南品川宿にひとつずつ本陣があったそうだが、江戸中期以降は北品川宿のみになったという。明治になって宿駅制度が廃止になった後は警視庁病院などに利用され、現在はこうして公園になって人々の憩いの場になっている。ちなみに「聖蹟公園」という名は、1868年(明治5年)の明治天皇の行幸の際、行在所となったことからの命名であるらしい。
品川橋と目黒川


東海道品川宿/品川橋

東海道品川宿/品川橋から見る目黒川
山手通りとの交差点を過ぎて100メートルほど南へ進むと品川橋だ。旧東海道が目黒川を跨ぐ。目黒川は北品川宿と南品川宿との境に当たっていたため、「境橋」とも呼ばれていたという。「行合橋」、あるいは「中の橋」とも呼ばれていたというから、人によってさまざまな呼び方をしていたのだろう。現在の品川橋は西側の歩道が広く取られ、四阿なども設けられて小公園のように整備されている。

昔の目黒川は大雨が降る度に氾濫を繰り返し、流域の村々に多大な被害をもたらしてきたという。品川橋から見る現在の目黒川は真っ直ぐに流れているが、大正末期から昭和初期にかけて川筋や川幅の改修が行われたからで、それ以前はもちろん蛇行して流れていた。品川橋のやや上流側の河岸には荏原神社が建っているが、かつての目黒川はこの荏原神社の北側を流れていた(現在は荏原神社の南側を流れている)という。

品川橋の袂に「南品川宿河岸」の案内板がある。江戸時代の品川領の村々では年貢米をこの河岸(かし)まで運び、幕府の浅草御蔵に送っていたという。この南品川宿河岸のことを俗に「百足河岸(むかでかし)」と呼んだと、案内板には記されている。近くに「百足屋」という大きな旅籠があったからだそうだ。
荏原神社


東海道品川宿/荏原神社

東海道品川宿/鎮守橋
目黒川の河畔、品川橋より少し上流側の左岸に荏原神社が鎮座している。709年(和銅2年)、大和国(現在の奈良県)の丹生川上神社から高龗神(たかおかみ)を勧請して創建されたことに始まるという古社である。現在は高龗神、豊受姫之命、天照皇大神、須佐男之神、手力雄之神といった神々を祀る。かつては品川総鎮守だったそうだが、現在は北品川が品川神社の氏子域で、荏原神社の氏子域は天王洲、東品川、南品川辺りだそうだ。

歴史の古い神社だけあって境内は鬱蒼と木々が茂り、ビルの建ち並ぶ市街地の中にあって神域らしい佇まいを見せる。散策の途中に立ち寄り、厳かな気持ちでお参りしてゆくのもよいものだ。

神社の参道入口の辺り、目黒川に鎮守橋という橋が架かっている。赤い欄干が印象的で、南側から見ると橋の向こうに荏原神社の木々の緑が見える。なかなか美しい風景で、「しながわ百景」のひとつにも選ばれているものだ。
城南小学校創立之地


東海道品川宿/常行寺
目黒川を渡ると南品川だ。旧東海道を300メートルほど南へ進んだ辺りに、常行寺という寺がある。この常行寺の門脇に、「城南小学校創立之地」と記された碑が建っている。城南小学校は1874年(明治7年)、この常行寺で開校した。品川区内では品川小学校に次いで二番目に古い小学校だという。現在の城南小学校は常行寺と路地を挟んだ南側に隣接して建っている。この「城南小学校創立之地」は1994年(平成6年)に開校百二十周年を記念して建てられたもののようだ。おそらく卒業生有志によって建てられたものなのだろう。
品川寺


東海道品川宿/品川寺

東海道品川宿/品川寺

東海道品川宿/品川寺

東海道品川宿/品川寺
常行寺の入口からさらに200メートルほど南へ進むと「ジュネーブ平和通り(都道421号線)」との交差点だ。品川区と友好都市提携を結んだスイスのジュネーブ市から「Avenue de la Paix(平和通り)」の標識が送られたことから、この通りに「ジュネーブ平和通り」の名が付けられたものという。この通りを西へ少し進むと京浜急行青物横丁駅だ。

「ジュネーブ平和通り」を渡って旧東海道を数十メートル進むと西側に品川寺(「ほんせんじ」と読む、「しながわでら」ではない)がある。大同年間(806年〜810年)に弘法大師空海を開山として創建された寺という。長禄年間(1400年代中頃)に太田道灌によって伽藍が建立され、大円寺と号したが、その後の戦乱によって荒廃、承応年間(1600年代中頃)、弘尊上人の中興により寺号が品川寺と改められたものという。水月観音と聖観音を本尊とし、「品川観音」の名で人々の信仰を集めてきた寺である。

境内は木々が茂って歴史の古さを物語っている。山門脇にあるイチョウは樹齢300年だそうで、品川区の天然記念物に指定されている。入口横に立派なお姿で坐しておられるお地蔵様は江戸六地蔵一番として1708年(宝永5年)に造られたものという。像の高さは2.75mあるそうで、なかなか堂々としたお姿である。「銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵第一番)」として東京都の有形文化財に指定されている。

品川寺の梵鐘は1657年(明暦3年)に造られたもので、「武蔵風土記」や「江戸名所図絵」にも記された名鐘という。その梵鐘が、経緯は判然としないようだが、江戸時代の末期に海外に流出してしまった。1867年(慶応3年)のパリ万博や1871年(明治4年)のウイーン万博にも展示されていたと伝えられているようだが、その後は所在がわからなかった。その梵鐘の行方がわかったのは1919年(大正8年)のことだ。当時の住職だった順海和上の努力によってジュネーブ市の「アリアナ美術館」に所蔵されていることが判明したのだ。順海和上は梵鐘の返還を願ってジュネーブ名誉領事ケルン氏こ書簡を送る。外務大臣幣原喜重郎らの尽力もあり、返還交渉の末、やがて梵鐘の返還が実現する。1929年(昭和4年)10月、ジュネーブ市議会は満場一致で梵鐘の返還を決定したという。翌1930年(昭和5年)、梵鐘はジュネーブから日本へ到着、歓迎の式典が盛大に執り行われたという。それから時を経た1991年(平成3年)、新しい梵鐘が造られ、ジュネーブ市に贈られた。それが縁で品川区とジュネーブ市は友好都市となる。品川寺北側の「ジュネーブ平和通り」の名の由来には、品川寺の梵鐘が深く関わっている。


東海道品川宿
京浜急行北品川駅を降りて青物横丁駅まで、要所を巡りながら旧東海道を歩いたのだが、“東海道品川宿”だった町の魅力を充分に堪能したとはとても言えない。今回は訪れなかったが品川神社にも立ち寄りたいところだ。可能であれば“横町”のひとつひとつを丹念に歩いてみたいものだ。有名な史跡だけでなく、人々の暮らしに寄り添う何気ない風景の中にも魅力的なものがたくさん見つかるだろう。それらは再訪の時の楽しみのためにとっておくことにしよう。
参考情報
交通

東海道品川宿には京浜急行を利用して訪れるのが便利だ。北品川駅や新馬場駅、青物横丁駅などを利用するといい。北品川駅で降りて路地を東へ抜ければすぐに旧東海道だ。そこから旧東海道を辿り、青物横丁駅を終着点として品川宿の散策を楽しむのがお薦めだ。もう少し足を延ばして鮫洲駅辺りを終着点に選ぶのもいい。

北品川駅周辺をはじめ、旧東海道沿いにコインパーキングが点在しているが、小規模なものが多く、また旧東海道を辿って散策するという性格上、車での来訪はあまりお薦めしない。

飲食

旧東海道沿いにはさまざまな飲食店が点在している。京浜急行北品川駅付近には特に多いようだ。どこか好みのお店を選んで食事を楽しむといい。ただし、周辺に勤めるビジネスマンが客層に多いからか、日曜日が定休というお店も少なからずあるので、日曜日に訪れる場合は注意が必要だ。

お弁当持参なら聖蹟公園や街道松の広場など、旧東海道沿いの小公園のベンチでランチタイムというのも悪くない。通り沿いであってもあまり喧噪感はないので、のんびりとしたひとときが過ごせるだろう。

周辺

なにしろ東海道だ。かつての東海道に沿ってさらに川崎方面へ、あるいは日本橋方面へと辿ってみるのも楽しい。旧街道を歩くのを趣味として、日本橋から京都三条大橋まで、旧東海道の踏破に挑戦する人も少なくない。そこまで本格的でなくても、日本橋から箱根辺りまでの東海道散歩に挑戦してみるのも楽しいだろう。

品川宿周辺では京浜急行新馬場駅西方に位置する品川神社にも立ち寄ってみたい。南品川一丁目から南品川四丁目にかけての国道15号周辺に点在する海徳寺や妙蓮寺、清光院といったお寺を巡ってみるのも楽しそうだ。海徳寺の本堂は品川区内でも屈指の古い建物だそうだ。

北方は品川駅だ。品川駅は大きな駅で、周辺はたいへんに繁華な街だ。特に東口側には高層のビルが建ち並び、近未来的な風景を見せる。旧東海道との景観の対比も面白い。北品川駅の西方は御殿山だ。江戸時代に徳川家康が鷹狩りの休息のために品川御殿を築いたことからその名がある。品川御殿が焼失した後に桜が植えられ、今も桜の名所として知られる。北品川から山手通りを東へ、橋を渡れば天王洲アイルだ。近代的なビルの建ち並ぶ新しい街を散策してみるのも一興だ。
東海道品川宿

東海道品川宿

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