東京都三鷹市下連雀、玉川上水の辺に三鷹市山本有三記念館という施設がある。「路傍の石」などで知られる作家、山本有三が一時期家族と共に暮らした家を記念館として公開しているものという。春まだ浅い二月半ば、三鷹市山本有三記念館を訪ねた。
三鷹市山本有三記念館
東京都三鷹市下連雀、JR中央線三鷹駅から数百メートル南東に辿った玉川上水の辺に三鷹市山本有三記念館は建っている。「路傍の石」や「真実一路」、「女の一生」などで知られる作家、山本有三が家族と共に暮らした家を記念館として公開しているものという。
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館
山本有三は1887年(明治20年)、栃木県下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に生まれた。本名は「勇造」、実家は呉服商を営んでいたという。高等小学校を卒業した後は浅草の呉服商に奉公に出されたが、奉公先を逃げ出して郷里に戻ったという。上級学校への進学を希望したが許されず、一時期は家業に就いていたらしい。

山本の郷里である栃木市には中心街である「蔵の街大通り」沿いに「山本有三ふるさと記念館」が建てられている。江戸時代に建てられたという見世蔵(店舗として使用するために建てられた蔵)を改修、整備したもので、山本有三の生家ではないようだが、生家の呉服店も立派な見世蔵の店舗であったらしい。ちなみに栃木市街からほど近い大平山には「路傍の石」の一節を記した碑が建てられているが、1963年(昭和38年)に行われた除幕式には当時78歳の山本有三本人も出席したという。

1905年(明治38年)、ようやく進学が許された山本有三は神田正則英語学校に入学、翌年には東京中学校に編入、その後には第一高等学校へと進学、一高時代の同級生には近衛文麿や土屋文明らがいたという。1912年(大正元年)、東京帝国大学独文科選科に入学、在学中に久米正雄、豊島与志雄、松岡譲、芥川龍之介、菊池寛らと第三次「新思潮」を興している。

東京帝国大学卒業の後は舞台監督や大学講師などを務めていたが、1920年(大正9年)に戯曲「生命の冠」で文壇デビューを果たす。1926年(昭和元年)には菊池寛、芥川龍之介らと文芸家協会を結成している。大正の末期頃からは小説の執筆にも注力し、朝日新聞への連載などを務めるようになる。代表作である「真実一路」を主婦之友に連載開始したのは1935年(昭和10年)、朝日新聞に「路傍の石」の連載を開始したのは1937年(昭和12年)のことだ。1941年(昭和16年)には帝国芸術院会員に推挙されている。

戦後は参議院議員を六年間務め、政治家としても名を残しているが、生涯文筆家であり続け、また当用漢字の制定などの国語問題にも携わり、文化財保護法の制定などにも尽力したという。1965年(昭和40年)に文化勲章を授与され、1967年(昭和42年)には文芸家協会名誉会員に推薦、1972年(昭和47年)には日本近代文学館顧問に推挙され、その職に就いている。1974年(昭和49年)1月11日、山本有三は湯河原で生涯を終えている。享年86歳。「濁流」を執筆中だった。
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館の建物は実業家であり、東京高等商業学校の教授も務めた清田龍之助の住宅として建てられたものという。清田は1918年(大正7年)に土地を購入、1926年(大正15年)からここに暮らしたが、やがて清田は実業界から退き、1931年(昭和6年)に家は競売に出された。それを、当時吉祥寺に住んでいた山本有三が1936年(昭和11年)に購入、移り住んだ。家は運良く戦火を免れたが戦後は米軍に接収され、転居を余儀なくされた。1951年(昭和26年)に接収は解除されたが、山本一家がこの家に戻ることはなく、国立国語研究所三鷹分室として利用されていたという。土地と建物が山本有三から東京都に寄贈された後は東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」として使われていたが、1985年(昭和60年)に東京都から三鷹市へ移管され、1996年(平成8年)、「三鷹市山本有三記念館」として公開されている。「路傍の石」の連載開始は1937年(昭和12年)、名作「路傍の石」は、まさにこの家での執筆活動の中で生まれている。
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館の建物、すなわち清田龍之助が住宅として建て、後に山本有三が暮らした家は、大正末期に建てられた洋風建築として貴重なものという。1994年(平成6年)に三鷹市の文化財に指定されている。三鷹市教育委員会によって設置された解説板には、特に外部の暖炉煙突の石積みは日本では珍しい表現であると記されている。

庭園部分は「有三記念公園」として整備されている。1987(昭和62年)に開園したものという。山本有三は竹を好み、自宅の庭などに竹を植えたそうだが、ここでも庭奥には竹林の築山が設けられている。竹林の傍らの池の周りに配された石は、郷里である栃木から運ばせたものだそうだ。園内にはベンチや四阿も設けられており、瀟洒な邸宅の外観を眺めながらのんびりとしたひとときを過ごすことができる。
三鷹市山本有三記念館
山本有三は1958年(昭和33年)に三鷹市の名誉市民に推挙されている。その山本有三の業績を顕彰し、文化財としての建物を保存する三鷹市山本有三記念館、山本有三のファンはもちろん、建築に興味のある人にも魅力あるものに違いない。かつて山本有三もそうしたであろう、庭園の園路をゆっくりと巡りながら、在りし日の山本有三の姿を偲んでみるのも一興というものだろう。
参考情報
三鷹市山本有三記念館は公園への入場は無料だが、館内の見学には入館料が必要だ。入館料や休館日など、詳細については三鷹市の公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
三鷹市山本有三記念館へはJR中央線で訪れるのが便利だ。三鷹駅で降り、南東の方角へ、玉川上水に沿った「風の散歩道」を辿れば10分ほどで着く。またはJR中央線吉祥寺駅、京王井の頭線吉祥寺駅からも徒歩で20分ほどだ。

三鷹市山本有三記念館には来館者用の駐車場は無く、車で訪れる場合は民間の駐車場を利用しなくてはならないが、記念館の近くには見あたらない。三鷹駅周辺の民間駐車場に車を置き、徒歩で訪れるのがよいだろう。

飲食
三鷹市山本有三記念館にはレストランなどは併設されていない。食事は三鷹駅や吉祥寺駅の周辺に移動して楽しもう。

周辺
三鷹市山本有三記念館の北側には玉川上水が流れている。玉川上水の岸辺は「風の散歩道」と名付けられた舗道だ。玉川上水に沿って散策を楽しむのもよいものだ。

玉川上水に沿って東へ辿れば300メートルほどで井の頭恩賜公園だ。公園散歩を楽しむのもお勧めだ。南側の端に近い一角には「三鷹の森ジブリ美術館」も建っている。入館には予約が必要だが、外観だけなら自由に見学できる。公園内を通り抜けて北東側へ出れば吉祥寺の街だ。賑やかな吉祥寺の街を歩いてみるのもいい。
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