横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市神奈川区入江〜東神奈川
入江川に沿って
Visited in October 2001
入江川に沿って
横浜線の大口駅を東口に出ると、入江川という小さな川が流れている。この川に沿って南下し、子安通一丁目で西に向かい、浦島町を経て東神奈川駅に至るルートを、気ままに寄り道をしながら歩いてみた。
入江川
横浜線大口駅を東口に出て、駅前から延びる道を少し歩くと入江川を渡る。北側左手は神之木町で、南側右手は入江二丁目になる。入江二丁目という町名はこの入江川から取られたものだという。入江川は町中を縫って流れ、川というより大きな溝のような有り様は特に川として魅力的というわけではないが、周辺の佇まいは昔からの町らしい風情があってそれなりに散策は楽しい。

このあたりは入江川と横浜線が平行するように走り、並ぶ家々の屋根の向こうに横浜線の車両が見え隠れする。ところどころで入江川に架かる橋を渡る道路がそのまま横浜線のガードをくぐって、あちら側とこちら側を繋ぐ。横浜線の西側は大口通商店街だ。

入江町公園
川沿いの道を南へ辿るとやがて国道1号線に出る。「第二京浜」と通称される国道1号線を、横浜線と入江川とが寄り添うように交差する。横浜線は国道の上を越え、入江川は国道の下をくぐる。歩く身では入江町交差点で国道を横断しなくてはならない。国道沿い、少しばかり東に行くと入江町公園がある。周囲からはわずかに高台になった地形に木立の緑が茂っている。木立に囲まれるように広場があり、遊具なども設置されているが、雨上がりだったからか、曇りがちだったこともあってか、公園内に人の姿はない。

入江川河畔の路地
入江町公園を後にして再び入江川近くに戻る。入江川の西側に小さな路地のような道を見つけて入り込んでみた。家々の隙間を縫って迷路のように辿る小道の佇まいが楽しい。途中、猫の出迎えを受けた。近くの家の飼い猫なのだろう。写真を撮ろうかとレンズを向けたのだが、ひどく人懐こい猫で、ニャァニャァと鳴きながら足下にまとわりついて写真を撮るどころではない。先へ進むと一緒に歩いてきた。見送ってくれるつもりでもないのだろうが。
小道の先の視界が広がると橋で入江川を東へ渡った。そのまま辿ると広い道路へと抜け出た。入江町交差点で国道と交差した道路だ。道路向こうに一之宮神社の鳥居が見える。道路を渡って境内に歩を進めた。

一之宮神社
一之宮神社は1561年(永禄4年)に武蔵国の一之宮(現在の埼玉県大宮市)氷川神社の分霊を勧請したという由緒を持つ。明治までは一之宮大明神と称され、かつての子安村と西寺尾の鎮守として人々の崇敬を集めてきた神社だという。素戔嗚尊を中心に事代主命や保食命などの神々を祀っていると、由緒を記した案内板にある。この案内板によれば正式には横浜一之宮神社という名のようだ。

神社の周囲は住宅街で、交通量の多い道路に面して鳥居が立ち、近くをJRと京浜急行の線路が通る立地とあって残念ながらそれほど静謐さを感じさせる環境ではない。それでも鳥居をくぐって参道を辿ると木立に囲まれた境内は神域らしい独特の空気に包まれている。1962年(昭和37年)竣工という社殿はそれほど壮大な印象のものではないが、すでに40年ほどの歴史を経て、時代の変遷を見続けてきた風格を漂わせているように感じる。例祭は八月に執り行われ、なかなか盛大で有名なものであるという。

境内には一之宮幼稚園が併設されている。案内板によれば1951年(昭和26年)に「公共事業幼児教育施設の開設」とあるから、幼稚園の歴史もなかなか長い。幼稚園の子どもたちは神社の境内を園庭として日々の生活を送っているのだろう。訪れた時にはちょうど秋の運動会を控えていたのか、境内で先生に指導されながら練習する子どもたちの姿があった。
第一京浜沿道の風景
一之宮神社から入江川へと降りると眼前頭上を線路が横切っている。JRの東海道本線、京浜東北線、横須賀線、そして京浜急行の線路が入江川を越えて東西に延びているのだ。薄暗いガード下を抜けて南側へと出ると国道15号線、第一京浜が目の前を走っている。第一京浜を横断し、道脇の歩道を少し東に進んでみる。国道沿いにはところどころに少し古びた建物が残っている。その背景には線路の北側に並ぶ高層の建物群が見えている。途切れることなく車が行き交う広い国道と、その沿道に残る古い建物、その向こうに見える高層建築、その風景はこのあたりの有り様のひとつの象徴であるかもしれない。
子安通の風景
国道を西に戻り、入江橋交差点から南へ、子安通一丁目へと足を向けた。すぐに橋がある。富士見橋という。橋の袂には「入江川」の表示があるが、目の前の「川」は東西方向に「川」というよりまるで運河のような佇まいで横たわっている。それも当然で、富士見橋を渡った先の土地は埋め立てられたもので、かつてはこのあたりが海岸線であったのだという。

かつて子安は小さな漁村で、その砂浜は海水浴場としても知られていたのだという。現在の京浜急行新子安駅は当時海水浴客誘致のために設けられた駅であったとも聞く。その子安の海岸を明治の終わりに守屋此助が埋め立てた。守屋此助は政治や法律にも通じた実業家だったらしい。子安の漁民にとって埋め立ては死活問題で、当然のように反対運動が起こったらしいが、紆余曲折の末に埋め立て申請は許可され、その土地には後に「守屋町」の名が付けられた。

子安通の風景
守屋町とかつての子安浜とに挟まれた水路のような入江川にはびっしりと船が並んでいる。ほとんどは漁船なのだろうか。釣り客を乗せる船もあるようだし、屋形船なども見える。それらの船と岸辺に並ぶ建物の佇まいは、どことなくかつての子安浜の面影を今に伝えてくれているような気もする。橋に立って眺めると、昔ながらの風情を漂わせる入江川と、それらの向こうに遠く見える高層ビルのシルエットや埋め立て地の上を走る高速道路などとの対比が印象的だ。この新旧の時代が混在する風景は「神奈川区36景」のひとつにもなっている。

子安通の風景
かつては砂浜であった海岸線に沿って、その名も「浜通り」という名の通りが東西に延びている。通常の住宅に混じって水産物加工会社や漁協などの建物が軒を並べているところなどが土地の縁を今に伝えている。ところどころで建物の隙間を辿るように狭い路地が北へ抜けている。路地の向こうは第一京浜だ。第一京浜から浜通りへ向かって緩やかな傾斜を持っているのは、かつての海岸の地形の名残だろうか。

浜通りを歩いてやがて常磐橋、ここから北へ国道沿いへと抜け出れば京浜急行子安駅が近い。さらに進むと町名は子安通一丁目から浦島町へと変わる。その名の通り、浦島太郎伝説の残る土地だという。浦島町の先の埋め立て地はすでに守屋町ではなく新浦島町となる。浦島町と新浦島町とを新浦島橋という小さな橋が繋ぐ。時刻はちょうどお昼時、橋を渡ってやってくるスーツ姿の人々が目立つ。新浦島町地区に勤める人たちが国道沿いのお店で昼食をとるために橋を渡ってくるのだろう。
国道15号新町付近
町名が浦島町から新町へと変わったあたりで国道沿いへと出て、歩道橋を渡る。京浜急行の神奈川新町駅が近い。国道に沿って少し歩くと、良泉寺という寺がある。町名はすでに東神奈川二丁目だ。良泉寺の門の傍らには「神奈川宿歴史の道」と記した案内板が立っている。「神奈川宿」は説明するまでもなく、かつての東海道五十三次の宿場のひとつで、現在の県名や区名の由来ともなっているものだ。震災や戦禍によって神奈川宿の往時を伝えるものはほとんど残っていないということだが、現在の街路の中に歴史の由来を残す場所を繋いで散策路として整備したものが「神奈川宿歴史の道」だ。「神奈川宿歴史の道」は神奈川区台町から新町にかけて約四キロほどの長さで整備され、要所要所に案内プレートが設置されている。「神奈川宿歴史の道」に沿って西に辿れば、京浜急行仲木戸駅、そしてJRの東神奈川駅も目前だ。
大口駅から入江川に沿っての散策はなかなか楽しく、中でもやはり子安通地区の景観が印象に残る。子安の海岸に焦点を絞るならJRの東神奈川駅や京浜急行の仲木戸駅、神奈川新町駅、子安駅などが近い。船の並ぶ景観の中にかつての子安浜の面影を探しながら、じっくりと散策を楽しむのもよいものだろう。
子安通付近