横浜線沿線散歩街角散歩
町田市原町田〜金森〜金森東
境川から成瀬駅へ
Visited in April 2016
境川から成瀬駅へ
ソメイヨシノも散って新緑の季節を迎えた四月の中旬、横浜線を町田駅に降りた。境川の河岸を少し歩いてから、金森山ふるさとの森や金森杉山神社などに立ち寄りつつ東へ辿り、松葉谷戸公園を経て成瀬駅を目指そうと思ったのだった。松葉谷戸公園などは横浜線の車窓から幾度となく見てきた風景だが、訪ねてみたことがなかった。新緑の季節を迎え、木々の茂る公園を訪ねるには良い時期だ。いろいろと寄り道をしながら、のんびりと歩いてみたい。
横浜線を町田駅で降り、南へ出る。駅前の道を東南の方角へ400メートルほど歩くと境橋の交差点だ。交差点北側のケヤキ並木が新緑に輝いている。境橋から境川左岸の遊歩道を辿ってゆこう。季節は春、遊歩道脇にはツツジが咲いている。そうした風景を楽しみながら歩く。

境川親水広場
境橋から200メートルほど行くと、河岸の遊歩道から河原近くへ降りて行けるように整備されたところがある。ちょっとした親水広場だ。降りてみよう。この辺りでは境川はそれほど広い川幅ではないが、それでも川の中央部には土砂が堆積し、“中州”を形作っている。そこに菜の花が咲き誇っている。上流から流れてきた土砂の中に種が混じっていて、それがこのように増えたのだろう。珍しい光景ではないが、やはり見る度に自然の生命力というものを思わずにはいられない。

原町田あおぞら広場
親水広場のすぐ東側、住宅地の中に「原町田青空ひろば」という公園が設けられている。その名のように「広場」を中心に構成された小公園だ。外縁部には木々が植栽され、その中に桜もあるが、もうすっかり花は散ってしまっており、わずかに花弁を残しているだけだった。2003年(平成15年)に東急田園都市線南町田駅から町田駅まで境川の河岸を歩いたときに立ち寄ったことがあった。園内の様子はあの時とあまり変わっていないように思える。広場脇に設置された遊具では子どもたちが遊んでいる。

金森山ふるさとの森
原町田青空ひろば」を後にし、住宅地の中の道を南へ辿る。家々の中を縫うように400メートルほど進むと木々の茂った一角が見えるようになる。「金森山ふるさとの森」だ。以前は「金森山市民の森」という名だったのだが、2011年(平成23年)10月に条例が改正され、「市民の森」が「ふるさとの森」に変更されたものだ。「金森山ふるさとの森」にも2003年(平成15年)に境川の河岸を歩いたときに立ち寄った。あの時はまだ「金森山市民の森」だった。名が変わっても風景は昔のままだ。新緑の雑木林の中を抜けてゆこう。

金森公園
金森山ふるさとの森」を南東の角から出て、地図を頼りに金森杉山神社を目指して住宅地の中を東へ辿る。途中、「金森公園」という公園があった。住宅地の中の四角い敷地に設けられた公園で、草はらの広場に各種の遊具を配して構成されている。特筆するような設備はなく、近隣に暮らす人たちの“共同の大きな庭”のような役割を担っているのだろう。地図の上では「金森山ふるさとの森」と隣接しているが、直接の行き来はできないようだ。訪れたのは土曜日のお昼過ぎだったが、公園内には人の姿はなかった。例えば平日の午後などには子どもたちの遊ぶ姿があるのかもしれない。
金森杉山神社
金森公園」からすでに金森杉山神社が近い。公園東側の道を南へ数十メートル進んで丁字路交差点を折れると、金森杉山神社の姿が見える。東へ進んで正面から金森杉山神社を訪ねることにしよう。金森杉山神社は金森七丁目の北端に位置している。神社北側の道が町の境になっている。

金森杉山神社
金森杉山神社は創建についてははっきりとわかっていないようだが、境内の御由緒には1683年(天和3年)12月、「旗本 高木伊勢守の一族が下屋敷内に奉斎」とあり、この時に再建、社殿が造営されたものらしい。現在の社殿は1936年(昭和11年)に造営されたものという。その後、奉賛会が結成され、1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)にかけて改修、修復、建替などが行われて現在に至っている。金森杉山神社は日本武尊を祀り、金森の鎮守として地域の信仰を集める神社だ。例大祭は十月の第一土曜日に執り行われるそうである。

金森杉山神社
神社の参道脇には庚申塔や地蔵菩薩、地神塔、道祖神、日待塔、さらには日露戦争戦勝記念艦砲模擬弾などが整然と並べられて祀られている。かつての金森村の各地に点在していたものをここに集めたもののようだ。「金森文化遺産保存会」の名で、簡単な来歴を記した解説板も建てられており、丹念に目を通していくと興味が尽きない。訪れたときにはぜひ見ておきたい。

社殿は華美なものではないが、村の鎮守としての風格を保って鎮まっている。周辺はすっかり住宅街と化してしまっているが、境内には木々が育ち、神域らしい空気感が漂っている。散策の無事を願ってお参りして行こう。
金森踏切
金森杉山神社の鳥居前から北東へ、金森二丁目の町を横断するように真っ直ぐに延びる道を200メートルほど辿ると町田街道だ。町田街道を100メートルほど東へ進み、丁字路の交差点から北側へと入り込む。町田街道の北側は「金森東一丁目」の町だ。300メートルほど道なりに辿れば横浜線の線路が横切っている。車一台がようやく通れるほどの幅の金森踏切が線路を越えている。「横浜線21K456M巾員3.6M」だそうである。狭い踏切の佇まいに心惹かれる。線路脇で踏切の様子を眺めていると、上り下りの電車が幾度となく行き交う。踏切を越えて行く車は少ないが、ときおり地元の人たちが行き過ぎて行く。地元の人たちは踏切が狭いことを承知しているから、対向車がいても譲り合いはスムースだ。

横浜線と高ヶ坂を見下ろす
踏切を越えて北方へと丘を下れば高ヶ坂だが、今回は踏切を渡らず、線路の南側を東へ辿ろう。線路脇に沿った道はなく、なるべく線路に近い(であろう)ルートを辿って東へ向かう。途中、東京朝鮮学園西東京朝鮮幼初級学校の脇を通る。そこからは横浜線の線路を見下ろすことができる。道からは一段低くなったところを線路が通り、その向こうはさらに低くなって高ヶ坂の町が広がっている。この辺りが台地になっていることがよくわかる。この辺りは境川と恩田川が最も近づくところだ。地図で調べてみると、恩田川から境川まで直線距離で1.5kmほどだ。北側は鶴見川水系、南側は境川水系、地形の面白みを感じるところだ。

松葉谷戸公園
さらに東へ、住宅地の中を抜けて行くと松葉谷戸公園だ。松葉谷戸公園は鬱蒼と木々の繁る樹林地を活かした公園だ。園路を辿ればちょっとした“森林浴”気分が味わえる。松葉谷戸公園を一回りしてゆこう。公園北側端部からは横浜線の線路を見下ろす。線路の向こう側にも同じような樹林地が見える。高ヶ坂地区の南端部に位置する松葉公園だ。松葉公園と松葉谷戸公園は、本来はひとつに繋がった丘だったのだろうということは容易に察しがつく。それが横浜線の線路によって南北に分断され、北側は高ヶ坂の松葉公園、南側は金森東一丁目の松葉谷戸公園になっているということなのだろう。

松葉谷戸公園の散策を楽しんだ後は、東へ抜け出て成瀬駅を目指す。松葉谷戸公園の東側は「成瀬が丘」の町だ。整然と住宅が建ち並ぶ中を抜けて行く。公園から駅まで数百メートルの距離だ。成瀬駅の近くで一休みして、それから帰路を辿ることにしよう。
金森一丁目から金森東一丁目にかけて、以前から歩いてみたいと思っていた。ようやく機会を設けることができた。新緑の松葉谷戸公園を歩くことができて楽しい散策だった。金森一丁目の「澁池弁財天」には立ち寄らなかったが、それはまた次の機会にしよう。
境川から成瀬駅へ