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公園を出て、公園南側の下り坂となった道路を東へ降りてゆく。道路はユリノキ並木だ。すぐに「吹込(ふきこみ)」交差点に至る。交差する尻手黒川道路を信号を待って横切り、さらに南へ向かう。道は今度は上り坂だ。道脇には白山西緑地があり、ヒマラヤスギやシイノキなどが茂っている。坂を上りきると丘を越えて今度は下り坂だ。右手に公園がある。「むじなが池公園」という名がなかなか素敵だ。むじなが池公園は、その名が示すように池を抱えた公園で、鬱蒼とした木立に覆われた中に沢が流れ、この辺りが住宅地に変貌する以前の風景を偲ばせる。
「むじなが池公園」横から南へ遊歩道が延びている。遊歩道脇は沢になっているようだ。遊歩道は桜の並木で、春には美しい景観になることだろう。やがて白山神社へと出た。加賀(現在の石川県)の白山神社の末社として勧請されたもので、祭神は白山姫命(しらやまひめのみこと)、真福寺谷戸の鎮守で、王禅寺村の鎮守五社のひとつであるとの解説が設けられている。社殿は1851年(嘉永4年)に再建されたものという。神社の前は広々としているが、鳥居の向こうに狭く急な石段が上っており、一段高くなって社殿が建っている。散策の無事を願ってお参りしてゆこう。
白山神社から東へ坂道を上り、王禅寺東四丁目の住宅街を抜けてゆく。王禅寺中学校の横からバス通りを越えると王禅寺五丁目の住宅街だ。気ままに道を選んで進んでゆくと住宅街の端に小さな公園があった。「化粧面谷(けしょうめんやと)公園」という名が何やら古い言い伝えがありそうだ。公園内に「化粧面谷戸公園とお江与の方」という解説板が設けてあった。1762年(宝暦12年)の絵図によれば王禅寺村中央部の尾根道の東側に「けわいめん谷」という小字が記されており、現在では「化粧面」と表記され、「けしょうめん」、あるいは「きわめん」と発音されているという。江戸時代初期に二代将軍徳川秀忠の夫人であったお江与の方の御化粧領(嫁入りの際に与えられた領地)であったことからこの名があるらしい。
化粧面谷公園を後にしてさらに東へ進もう。整然とした住宅街を出て、坂道を降りてゆくと目の前には緑濃い丘が横たわっている。王禅寺ふるさと公園のようだ。王禅寺ふるさと公園は次の機会にゆっくりと散策してみよう。今回は王禅寺ふるさと公園西側のバス通りを南へ辿ろう。少し歩くと琴平神社がある。残念ながら本殿改築中とのことだった。琴平神社は王禅寺村の名主だった志村文之丞が1826年(文政9年)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請して神明社を合祀したものだと、解説板が設けてある。現在は「柿生のこんぴらさん」と呼ばれて信仰されているという。琴平神社にお参りするのもまた次の機会にしよう。
琴平神社の傍らを通り過ぎ、南へ進む。周辺にはのどかな里山の風景が広がっている。この付近は柿生駅を拠点にして柿生の寺社などを巡る「柿生の里散歩道」のルートにもあたっており、散策する人の姿も少なくないところだ。次の機会には、この「柿生の里散歩道」のコースをなぞって歩いてみるのも悪くない。緑濃い風景を楽しみながら歩いていると「石橋」交差点に至る。道を真っ直ぐに南へ辿れば早野で、ここものどかな風景の楽しめるところだが、今回の散策はそろそろこの辺りで終わりにして、「王禅寺口」バス停で柿生駅行きのバスを待つことにしたい。
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