徳川家康は1616年(元和2年)に駿府(現在の静岡)で亡くなり、すぐに久能山に葬られたが、その翌年、日光に改葬され、東照宮に神として祀られることになる。その後、朝廷の勅使が幣帛(祭祀の際に神に奉るもののこと)を奉献するために東照宮に参向するのが恒例となる。この勅使を例幣使といい、例幣使が通った道は例幣使街道と呼ばれた。栃木は、この例幣使街道の宿場として発展した。
町の中心部には巴波(うずま)川が流れ、巴波川を利用した舟運が江戸との交易を結び、栃木の商業は大いに発展した。江戸からは日光御用荷物や塩、鮮魚類などが運ばれ、栃木から江戸へは木材、麻、木綿などが運ばれたという。それらの交易で財を成した木材回漕問屋の蔵が巴波川の岸辺に建ち並び、現在も風情ある景観を残している。
明治を迎え、1871年(明治4年)の廃藩置県によって下野国北部が宇都宮県となり、下野国南部と上野国の一部とで栃木県が誕生した。1873年(明治6年)に栃木県は宇都宮県を合併、県庁は栃木町(現在の栃木市)に置かれた。1884年(明治17年)、県庁は栃木から宇都宮へ移転したが、県名は栃木のままに残された。栃木県の県庁所在地が県名と同じ名の栃木市ではなく宇都宮市であるのは、こうした経緯によるものだ。
町の中心部には巴波(うずま)川が流れ、巴波川を利用した舟運が江戸との交易を結び、栃木の商業は大いに発展した。江戸からは日光御用荷物や塩、鮮魚類などが運ばれ、栃木から江戸へは木材、麻、木綿などが運ばれたという。それらの交易で財を成した木材回漕問屋の蔵が巴波川の岸辺に建ち並び、現在も風情ある景観を残している。
明治を迎え、1871年(明治4年)の廃藩置県によって下野国北部が宇都宮県となり、下野国南部と上野国の一部とで栃木県が誕生した。1873年(明治6年)に栃木県は宇都宮県を合併、県庁は栃木町(現在の栃木市)に置かれた。1884年(明治17年)、県庁は栃木から宇都宮へ移転したが、県名は栃木のままに残された。栃木県の県庁所在地が県名と同じ名の栃木市ではなく宇都宮市であるのは、こうした経緯によるものだ。