いわゆる「奧多摩湖」は多摩川の流れが小河内ダムによって堰き止められてできた「ダム湖」だ。正式には「小河内貯水池」といい、「奧多摩湖」というのはあくまで通称なのだが、一般には広く「奧多摩湖」の名が浸透し、「小河内貯水池」などと言ってもおそらくわからない人の方が多いに違いない。
小河内ダムは1938年(昭和13年)に建設工事が始まり、1943年(昭和18年)から戦争激化のために中断、1948年(昭和23年)から工事が再開され、竣工したのは1957年(昭和32年)のことだ。ダムの名の小河内(おごうち)はダム建設地の当時の地名「小河内村」に由来している。小河内村は1955年(昭和30年)に周辺町村と合併して奥多摩町が誕生したが、旧小河内村の大部分はダム建設によって水没、945世帯が移転を余儀なくされたという。小河内ダムは東京都民の水道用水確保を目的に計画されたもので、東京都の主水源が利根川水系となった現在でもその重要性は変わっていない。
小河内ダムは1938年(昭和13年)に建設工事が始まり、1943年(昭和18年)から戦争激化のために中断、1948年(昭和23年)から工事が再開され、竣工したのは1957年(昭和32年)のことだ。ダムの名の小河内(おごうち)はダム建設地の当時の地名「小河内村」に由来している。小河内村は1955年(昭和30年)に周辺町村と合併して奥多摩町が誕生したが、旧小河内村の大部分はダム建設によって水没、945世帯が移転を余儀なくされたという。小河内ダムは東京都民の水道用水確保を目的に計画されたもので、東京都の主水源が利根川水系となった現在でもその重要性は変わっていない。