日南海岸追想
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
JR日南線大堂津駅の現在の駅舎は、2019年(平成31年)の早春に建替工事が行われ、3月に完成したものだ。大堂津駅は1936年(昭和11年)に志布志線が大堂津まで延伸した際に開業したもので、以前の駅舎も開業時に建てられたものだ。以来、長年に渡って使われてきたわけだが、海辺に建つ駅とあって潮風による傷みも大きく、老朽化が進んでいたため、新しい駅舎に建て替えられたのだ。

現在のJR日南線の志布志〜北郷間は、大堂津駅開業時には志布志線の一部だった。志布志線は1923年(大正12年)、都城〜末吉間で開業、1925年(大正14年)には志布志まで延伸する。その志布志線が現在の日南線の前身となる姿となったのは1935年(昭和10年)以降のことである。1935年(昭和10年)、志布志線は志布志〜榎原間が延伸開業、ようやく海岸を辿って現在の串間市へ、さらに山間部を抜けて日南市南郷町方面へと延びることになる。翌1936年(昭和11年)には榎原〜大堂津間が延伸開業、さらにその翌年の1937年(昭和12年)には油津まで延伸、1941年(昭和16年)になって油津〜北郷間が延伸開業する。やがて1963年(昭和38年)、日南線の全線開業に伴って志布志〜北郷間が日南線に編入されるわけである。

開業以来、80余年、大堂津駅は地元の重要な交通拠点を担った。特に日南線が全線開通した頃は高度経済成長期に当たり、鉄道の利用者も多かった。やがて時代は移り、世相も変わり、車での移動が日常的なことになると鉄道の利用客も減っていった。1987年(昭和62年)には国鉄が民営化、日南線はJR九州に引き継がれる。大堂津駅が無人駅となったものも、その頃だったろうか。かつて切符を買い、定期券を購入していた窓口も塞がれ、無人となった駅舎は待合所以上の意味はなくなった。建替前の旧駅舎は80年余の歴史を漂わせながらも、少しずつ時代に合わせて改修が重ねられてきた様子が窺えた。詳細はわからないが、駅舎は幾度もの小さな改修や改築が行われてきたようだ。旧駅舎の姿は、幾枚かの写真と人々の記憶の中に残るのみである。
大堂津駅旧駅舎
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大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
旧駅舎の待合室入り口の上には、大きく駅名を記したプレートが掲げられていた。建替前の最終期には白く塗装された金属板に大きく「大堂津駅」とゴシック系のフォントで印刷されたプレートだった。いつ頃、このプレートに取り替えられたものか、もうはっきりとわからないが、少なくとも2002年(平成14年)までは古い駅名プレートが残っていた。丸ゴシック系の書体で駅名が切り抜かれたものが、木板に少し浮いた状態で取り付けられていた。切り抜かれた駅名の文字は木製ではなかったのかもしれない。土台となる木板は白く塗装されていた様子が窺えたが、2002年(平成14年)の段階では塗装は剥げ、下地が見えていた。時の流れの中で傷みも大きかったが、なかなか風情のあるプレートだった。

その頃まで、大堂津駅前の小さなロータリーの中央にフェニックスの木が立っていた。駅舎の前で葉を揺らすフェニックスは、長年、大堂津駅の象徴的景観だったのだが、これも駅舎の建て替えを待たずに病害虫の被害で立ち枯れてしまい、伐採されてしまった。

フェニックスの前に建つ人魚の像は大堂津の有志によって建造された「海の乙女像」で、竣工は1963年(昭和38年)のことである。「海の乙女像」は現存するが、今では全身が濃紺に塗り直されている。
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
大堂津駅旧駅舎
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ページ内の写真は2002年夏、2012年夏、2018年夏に撮影したものです。本文は2020年8月に作成しました。