幻想音楽夜話
Surprise / Lynsey de Paul
1.Mama Do
2.Ivory Tower
3.Doctor Doctor
4.Crossword Puzzle
5.Water
6.Sleeping Blue Nights
7.The Way It Gooes
8.Rockerdile
9.Sugar Me
10.Just Visiting

(以降はCD[AIRAC-1161]復刻時のボーナストラック)
11.Storm In A Teacup
12.Getting A Drug
13.Brandy
14.All Night
15.Blind Leading The Blind
16.Won't Somebody Dance
17.So Good To You

Produced by Lynsey de Paul
1973 M.A.M. Records Limited
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 リンジー・ディ・ポールのファースト・アルバム「Surprise」が紙ジャケット仕様のCDで復刻される(2006年1月7日、エアー・メイル・レコーディングスから発売、AIRAC-1161)というので、発売日を待って買い求めた。1973年に発売されたオリジナルは全10曲収録だったが、復刻されたCDではボーナス・トラックが7曲追加収録され、「恋のためいき」や「オール・ナイト」などといった、初期のシングル曲が網羅されているのが嬉しい。ヒット曲を中心に彼女の代表曲を集めたコンピレーション盤CDは以前に日本でも発売されたことがあり、所有してもいるのだが、やはり「Surprise」は欲しいというのが当時を知るファンとしては当然の心情といったところか。「Surprise」はいっこうにCD化されず、ファンの間でも待たれていたものだが、今回のCD化がどうやら世界初だったようだ。当時のLPジャケットを再現した紙ジャケット盤でのCD復刻、しかもボーナス・トラックが7曲収録というのも、ファンとしては嬉しい限りだ。

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 リンジー・ディ・ポールはロンドン生まれ(リンジーは本名を「リンジー・ルービン」といい、「ディ・ポール」というのはデビューに当たっての、いわば「芸名」であるようだ)のシンガー/ソングライターで、1972年に「シュガー・ミー」でデビュー、その年の暮れにはセカンド・シングルとなる「恋のためいき」を、1973年には「シュガー・ミー」をフィーチャーしたファースト・アルバム「Surprise」を発表している。デビュー曲「シュガー・ミー」はリンジーとバリー・グリーンとの共作になる楽曲で、本国ではチャートの5位まで上るヒットとなり、日本でも1972年暮れから1973年の初めにかけてのヒット曲になった。ちなみにリンジーと共にこの曲の作者として名を連ねるバリー・グリーンは、1974年に「ダンスでごきげん(Dancin' On A Saturday Night)」のヒットを放つバリー・ブルー、その人である。

 リンジーをデビューさせたMAMレコードは、トム・ジョーンズなどを世に送り出したゴードン・ミルズが1970年代の初めに設立したレーベルで、ギルバート・オサリヴァンをスターダムに押し上げたレーベルとしてファンにはよく知られている。ギルバート・オサリヴァンは代表曲である「アローン・アゲイン」に象徴されるように、内省的な自作曲を歌い、「シンガー/ソングライター」という呼称に相応しいアーティストだった。リンジー・ディ・ポールもまた自身で作詞作曲をこなし、ピアノも演奏し、そして歌う。その意味では「シンガー/ソングライター」と言えるだろう。ギルバート・オサリヴァンと同じMAMレーベルからデビューしたこともあってか、「女性版ギルバート・オサリヴァン」的な言われ方をすることもあるのだが、その音楽性はずいぶんと違う。リンジー・ディ・ポールは「シンガー/ソングライター」という形容より、「ポップ・スター」という形容が似合うように思える。

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 リンジー・ディ・ポールがデビューした1972年から1973年にかけての頃、ロンドンは「グラム」の渦中にあった。マーク・ボラン率いるT・レックスが独特のブギ・サウンドで一世を風靡し、デヴィッド・ボウイは自らを虚構の世界のキャラクターに仕立ててハードなロック・サウンドを展開していた。この両者を筆頭に、スレイドやスイート、ロキシー・ミュージック、スージー・クアトロ、モット・ザ・フープルといったさまざまなバンドやシンガーが「グラム」の範疇として扱われ、ヒット曲をチャートに送り出していた時代だった(「ダンスにごきげん」のヒットを放ったバリー・ブルーもまた「グラム」として扱われることがある)。「グラム」はその音楽的特徴にはあまり共通点はなく、主として退廃的で享楽的な雰囲気、華美でユニセクシャルなキャラクター性などに対して用いられた呼称だった。

 リンジー・ディ・ポールもまた「グラム」だった、というわけではない。彼女が「グラム」の名の下に語られたことは当時も以後もほとんどないのではないかと思う。しかし彼女の音楽に漂う甘美で享楽的な匂いは、場所と時代を同じくした「グラム」と共通するものを含んでいるような気がしてならない。「グラム」という呼称が与えられたために、その呼称によって象徴されるスタイルの「ジャンル」が独り歩きしてしまったような側面もあるのだろうが、けっきょく当時のロンドンのポップ・ミュージック・シーンでは「グラム」に代表されるような退廃的で享楽的、耽美的で背徳的な匂いを振りまくポップ・ミュージックが受け入れられ、支持されていたということなのではないだろうか。そう考えれば、ロンドン生まれのリンジー・ディ・ポールがそうした空気を敏感に感じ取り、自らの音楽にもまたそうした匂いを漂わせていたとしても不思議なことではない。リンジーは1974年に発表されたモット・ザ・フープルのアルバム「The Hoople(ロックン・ロール黄金時代)」に収録された「Roll Away The Stone」に客演している。リンジー・ディ・ポール、バリー・ブルー、モット・ザ・フープルというミュージシャンの音楽が一本の線で繋がることに、当時、何の違和感もなかった。今にして思えば、すべて同じ地平の上に立つ音楽だったのだ。リンジー・ディ・ポールもまた、当時の「ロンドン・ポップ」の「ポップ・スター」だった。

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 リンジー・ディ・ポールというシンガーの最大の魅力は、言うまでもないことだが、その甘くささやくような歌声にあった。いわゆる典型的な「ウィスパリング・ヴォイス」と言っていい。その歌声は充分に「セクシー」だが、あまり生々しい感じがなく、ドリーミーでキュートで可愛らしく、どこか虚飾めいた甘美さが漂っている。

 アルバム「Surprise」は、そうしたリンジーの魅力が存分に味わえる一枚だ。シングルとなった「Sugar Me」をはじめ、「Mama Do」や「Crossword Puzzle」、「Water」、「Sleeping Blue Nights」、「Rockerdile」といった楽曲がリンジーとバリー・グリーンとの共作になるもので、当時リンジーとバリー・グリーンが作品作りに於いてパートナー的な間柄だったことがわかる。彼らのペンによる楽曲は概ねポップでわかりやすく、ポップ・ミュージックの楽しさに溢れている。バリー・グリーン、すなわちバリー・ブルーのファンにとっても、このアルバムは無視できないものだろう。リンジーとLiz Sacksとの共作による「Ivory Tower」やリンジーとMalcolm Robertsとの共作による「The Way It Gooes」などはしっとりとしたバラードで、リンジーの別の魅力を見せてくれる。「Doctor Doctor」と「Just Visiting」の2曲はリンジーの作詞作曲による楽曲で、これらも他の楽曲に劣らずなかなかの佳曲だ。

 デビュー・シングルとしてヒットした「Sugar Me」は、やはり別格の魅力があって素晴らしく、それに比べれば他のアルバム収録曲は少々「地味」な印象があるのも否めない。しかし決して「駄曲」だとか「魅力がない」というわけではない。シングルとしては不向きかもしれないが、アルバムの中の一曲としてそれぞれに存在感があり、それぞれに魅力ある楽曲だ。オリジナルの「Surprise」は、アルバム作品としては「傑作」とか「名盤」といった形容の相応しいような、非常に充実した作品であるというわけではないが、リンジー・ディ・ポールのファースト・アルバムであり、MAMレーベル時代の唯一のアルバムということもあり、ファンにとっては宝物のようなアルバムであると言っていい。

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 紙ジャケット盤で復刻されたCD(AIRAC-1161)に収録されたボーナス・トラックは「Sugar Me」のB面だった「Storm In A Teacup(愛のつまづき)」、セカンド・シングルの「Getting A Drug(恋のためいき)」とそのB面だった「Brandy」、3枚目のシングル「All Night」とそのB面の「Blind Leading The Blind」、4枚目のシングル「Won't Somebody Dance(素敵なパートナー)」とそのB面の「So Good To You(恋の売り込み作戦)」の7曲だ。リンジー・ディ・ポールのシングル曲とそのB面曲は、どれも素晴らしく魅力的だ。ボーナス・トラックとなったこれらの楽曲を聴きたいために、この復刻CDを購入した人もあるかもしれない。それも無理のないことだろう。

 セカンド・シングルの「恋のためいき」とサード・シングルの「オール・ナイト」はデビュー曲「シュガー・ミー」に続いて日本でもヒットし、当時の洋楽を聴いていた人なら特にリンジーのファンでなくても記憶に残っている楽曲に違いない。「Won't Somebody Dance(素敵なパートナー)」は、この曲が日本でヒットしたという記憶がない。あまりヒットしなかったのかもしれない。しかし、そのB面曲である「So Good To You(恋の売り込み作戦)」は印象深く憶えている。日本ではA面とB面を差し替えて発売されたのかもしれないが、これも日本でヒットしたという記録が見つからない。「恋の売り込み作戦」というタイトルが大きく書かれたレコード・ジャケットが記憶の隅に残っているのだが、今となってはよくわからない。個人的にはこの「So Good To You(恋の売り込み作戦)」という曲が大好きだった。復刻CD(AIRAC-1161)に添えられた若月眞人氏による各楽曲の解説の、この楽曲の欄に「彼女のMAM時代の最高傑作」という賛辞がある。同感だ。この曲の、吐息まじりのささやくような甘い歌声こそ、リンジー・ディ・ポールの真骨頂だ。

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 リンジー・ディ・ポールは美貌の持ち主である。その美貌と甘いウィスパリング・ヴォイスに魅了されてしまったファンは少なくなかったに違いない。特に十代の男の子たちにとって、彼女の歌声は充分に刺激的で、彼女は一種の「アイドル」だったかもしれない。彼女の楽曲の魅力以前に、「リンジー・ディ・ポール」という存在自体がひとつの憧れだったような気がする。そうした意味でも、やはり彼女は「ポップ・スター」だったのだ。1970年代の初め、「グラム・ロック」に沸き立つロンドンに咲いた、艶やかな一輪の花である。