幻想音楽夜話
Journey To The Centre Of The Earth / Rick Wakeman
1.The Journey
2.Recollection
3.The Battle
4.The Forest

Recorded in concert at The Royal Festival Hall London on Friday January 18th 1974
with The London Symphony Orchestra and The English Chamber Choir Conducted by David Measham
Production narrated by David Hemmings

Produced by Rick Wakeman
1974 A&M Records, Inc.
Thoughts on this music(この音楽について思うこと)

 1970年代の初期、イエスのキーボード奏者として活動していたリック・ウェイクマンはバンド活動と並行してソロ作品の制作を手がけるようになった。ソロとしての最初の作品は「ヘンリー八世と六人の妻」、そしてソロによる二作目となったのが、本作「Journey To The Centre Of The Earth」である。バンドの他にオーケストラとコーラスを従えてロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたコンサートの模様を収録して発表されたものだった。

 コンサートは1974年の1月18日に行われ、その演奏を収録したレコードが同じ年の夏前に発売された。当時、イエスは「海洋地形学の物語」の制作を終え、LP二枚組の新作として発表された頃だった。ちょうどこの頃、リック・ウェイクマンは多くのファンに惜しまれつつイエスを脱退する。「海洋地形学の物語」の音楽性に否定的だったウェイクマンの決断だった。後にインタビューに答えるウェイクマンの言葉によれば、イエス脱退の決断と「Journey To The Centre Of The Earth」のチャート上での成功はほぼ同時期であったようだ。

 「ヘンリー八世と六人の妻」と同様、ウェイクマンのこのソロ二作目も優れた作品となった。作品の発表に併せて行われたコンサート・ツアーは大人数のオーケストラを同行したことで赤字となってしまったようだが、レコードは全英チャートのトップを獲得、アメリカでもヒットし、よく売れた。現在の感覚で考えればこうした傾向の作品が売れるというのは不思議な気もするが、「時代」はまさにこうした作品を欲していたのだ。当時、「プログレッシヴ・ロック」はその頂点を迎えており、イエスやそのメンバーだったリック・ウェイクマンも人気の絶頂期にあった。

節区切

 「Journey To The Centre Of The Earth」は日本でのタイトルを「地底探検」といい、1865年にジュール・ヴェルヌが発表した小説「VOYAGE AU CENTRE DE LA TERRE」を題材にしたものだ。小説の日本語題は「地底旅行」だが、商業的判断もあったのか、このウェイクマンの作品の日本語タイトルは「地底探検」とされている。

 ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」は、そのタイトルが意味するように地底世界への冒険を描いた物語で、同じくヴェルヌによる「海底二万里」(1869年)や「八十日間世界一周」(1873年)と共に、そしてまた1895年に「タイム・マシン」を発表するH.G.ウェルズの諸作と共に、古典SFの名作のひとつとしてよく知られている。

 物語はハンブルグの旧市街に住む鉱物学者のリデンブロック教授(以後、登場人物の日本語表記などは東京創元社刊、窪田般彌訳の「地底旅行」に倣う)が古い書物の中から不思議なメモを発見することから始まる。メモは暗号で記されていたが、教授の甥であるアクセルの機転によって解読され、そこに記された驚くべき内容を知ることになる。メモには地球の中心へ至るための入口が記されていたのである。

 物語はアクセルの回想録の形で語られる。リデンブロック教授はアクセルを伴い、メモに記されたアイスランドの火山へと向かい、ガイド役にアイスランドの寡黙な猟師ハンスを雇って、その火口から地底世界へと足を踏み込んでゆく。物語は彼ら三人が地底世界で眼にするさまざまな驚異、体験する苦難や危険などを紡いで劇的な結末へ向かってゆく。

 リック・ウェイクマンによる「地底探検」は、ヴェルヌの描いた地底世界での冒険の物語をほぼ忠実に描いている。小説にインスパイアされて造られた音楽、というようなものではなく、音楽とナレーションによってまさに小説に描かれた物語を再現しようとしているように見える。英語に堪能でない身ではナレーションや歌詞の世界が直接的に理解できないのが辛いが、スリーヴに記されたそれぞれの内容を辞書を片手にじっくりと読んでみるといい。

 またウェイクマンの「地底探検」を初めて聴こうとする人には、ヴェルヌの小説「地底旅行」を読んでそのストーリーをよく理解しておくことも勧めておきたい。小説が書かれた時代も物語の舞台も19世紀のことであるから、設定などに時代的な古さを感じさせる部分もあり、また小説の冒頭部分は地底へと踏み込む前の段階にかなりの頁が割かれており、そのあたりで少々退屈しないでもないが、物語自体は「名作」の名に相応しい内容で楽しめる。ヴェルヌの「地底旅行」を読んだことがあるかないかで、ウェイクマンの「地底探検」への感動もずいぶん違うのではないかと思える。

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 誤解を恐れずに敢えて言うが、リック・ウェイクマンの「地底探検」は「プログレッシヴ・ロック」に於ける希に見る傑作のひとつである。小説が題材であるからその物語性や劇的な展開などは当然のことだが、オーケストラの演奏とロック・バンドの演奏とのほぼ完璧な融合、それらの演奏が紡ぎ出す音像の映像的イメージ、壮大なスケール感、そこから得られる感動といったものは、「プログレッシヴ・ロック」というものが到達したひとつの頂点だと言っても過言ではない。

 もちろん、この音楽が万人向けの音楽だというつもりはない。ロック・ファンの中にはリック・ウェイクマンの音楽の「大仰さ」を嫌う人も少なくはない。シンプルなロックン・ロールやブルース・ロックを好む人にとっては、こうした音楽は理解しがたく、その良さを見いだせないものかもしれない。しかし、ロック・ミュージックがいわゆる「プログレッシヴ・ロック」としてさまざまな要素を取り込みながら進化しようとしていた時の、「物語性」や「映像性」といった要素を好むファンにとって、この作品はひとつの象徴的作品とも言えるのではないか。

 リック・ウェイクマンの「地底探検」はジュール・ヴェルヌの「地底旅行」に描かれた物語の世界をほぼ忠実に聴き手の心に描き出す。ナレーションや歌詞の内容に頼らずとも、その音世界に身を委ねるだけで、物語のシーンを思い描くことができる。まるで演奏のひとつひとつが、奏でられる音のひとつひとつが物語のシーンに対応しているかのように、小説に描かれた物語をこの音楽によって再体験することができるのだ。ヴェルヌの「地底旅行」を読んで、その内容をよく覚えている人であれば、「ああ、ここはあのシーンだな」と思ってにんまりとする場面がいくつもあるだろう。

 冒頭部分の、まさに壮大な物語の始まりを連想させる何とも言えないわくわくとした感覚。物語が進行してゆくときの、次第に作品世界へ深く入り込んでゆく感じ。急展開を迎えて、この先はどうなるのだろうかと思う愉しみ。そして物語が佳境を迎えた時の高揚感。そうした、良質の物語を味わう時と同質の愉しみを、この音楽は聴き手に与えてくれる。聴き終えた時、まるで小説を読み終わった時のような、あるいは映画を見終わった時のような感動を味わうことができるのだ。

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 この音楽の中心に据えられているのはやはりリック・ウェイクマンの操るキーボード群だと言ってよいが、それを支えるバンドの演奏もいい。さらにオーケストラとコーラスによる重厚で壮大な音像が音楽全体に深みと広がりを与えている。ナレーションを務めるのは「欲望」(1966年)などで知られる英国出身の俳優、デヴィッド・ヘミングスだが、この人の語り口が作品世界に似合っていてとてもいい。

 演奏者のひとりひとり、オーケストラとコーラスを構成する演奏者のひとりひとり、そして指揮を務めるデヴィッド・ミーシャム、バンドのメンバー、ナレーションのデヴィッド・ヘミングス、コンサートを裏から支えたスタッフの人々、そしてリック・ウェイクマン自身、そうした人々がひとつの音楽世界の創造のもとに集い、自らの役目をしっかりとこなし、そして完成した結果としての音楽がここにはある。理知的に抑制された演奏と、緻密な構成によって造り上げられた音楽世界だが、音楽の創造に携わったすべての人々の「想い」のようなものが、その根底に静かに脈打っている。それによってこの音楽はさらに壮大なスケールと深みを得ているようにも思える。それはどれほど最新鋭の機器を用いようとも、数人のメンバーの「バンド」によるスタジオ録音では決して造り得ないものかもしれない。

 この時のコンサートでは、実はさらに長い演奏が行われており、レコードも当初はLP二枚組で発表される予定だったという。その意味ではこの作品はその一部が抜粋されたものと言えるが、発表されたレコードに収録されたものだけでも、その完成度は高く、内容は素晴らしいものだ。これはひとつの優れた音楽作品であると同時に、「時代」に迎えられたひとりのアーティストによる、クラシック音楽とロック・ミュージックとの融合の試みの記録でもある。思えば、あの当時がクラシックとロックとの蜜月時代であったかもしれない。