愛知県犬山市、戦国時代末期に建てられた犬山城の天守閣が現存する。国宝である。木曽川河岸の丘上に建つ姿も美しく、天守閣最上階からは犬山の市街地と木曽川、対岸の岐阜県各務原市の風景を一望する。夏の暑さの残る九月初旬、犬山城を訪ねた。
犬山城
犬山城
犬山城は織田信長の叔父である織田信康によって1537年(天文6年)に築城されたものという。犬山城は木曽川を背にした丘の上に建てられており、兵法で言うところの「後堅固(うしろけんご)」の城だった。城下町は城の南側に広がっていたが、城下町も城郭の中に取り込んだ、いわゆる「総構え(そうがまえ)」の構造でもあった。

時代はまだ戦乱の世、城を築いた織田信康は1547年(天文16年)に「稲葉山城攻め」で亡くなり、信康の子である織田信清が城主となったが信長と対立、信長に攻められて城を追われ、以後、犬山城の城主は幾多の変遷を重ねることになる。
犬山城
犬山城
天下の覇者となりつつあった織田信長とその長男信忠が1582年(天正10年)の「本能寺の変」で倒れると、その後継者を巡る争いの中から羽柴秀吉が台頭する。やがて秀吉と対立した織田信雄(信長の次男)は徳川家康と同盟を結び、秀吉との戦いに発展する。いわゆる「小牧・長久手の戦い」である。この戦いの緒戦の舞台になったのが犬山城である。当時の犬山城の城主は信雄の家臣中川定成だったが、折しも不在、そこへ織田側に与すると思われていた池田恒興が突如秀吉陣営に寝返り、木曽川を渡って犬山城を攻め、これを占拠するのである。池田恒興は織田信清が敗走した後に犬山城の城主を務めた武将である。木曽川を背にして「後堅固」と言われた犬山城が、その木曽川から、しかもかつて城主を務めた池田恒興によって攻められ、落城させられるというのも皮肉なものである。講和によって「小牧・長久手の戦い」が終結した後、犬山城は秀吉から信雄に返還されたが、犬山城の城主は定まることなく入れ替わりを繰り返している。
犬山城
1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」を経て、1603年(慶長8年)、征夷大将軍に任ぜられた徳川家康が江戸幕府を創設し、ようやく徳川の時代が訪れる。1617年(元和3年)、尾張徳川家の重臣だった成瀬正成が犬山城を拝領、城主となった。成瀬家はそのまま明治維新を迎えるまでの約250年間、泰平の世で9代に渡って犬山城主を務めている。
織田信康が犬山城を築城したのは戦国時代末期の1537年(天文6年)だが、当初、現存するような形の天守は建てられていなかったらしい。天守がいつ造られたのかははっきりしないようだが、現存する姿に整えられたのは江戸時代になって成瀬氏が入城した後のことという。
犬山城
時代が明治を迎えると、1871年(明治4年)の廃藩置県によって犬山城は愛知県の所有するところとなり、いわゆる「廃城令」を受けて城の建物は取り壊されてしまったが、天守閣だけが取り壊しを免れて残った。当時、全国各地で江戸時代の城郭は民間に払い下げられ、建物は取り壊されていったわけだが、その中でこうして犬山城の天守が残ったのは奇跡的と言えるかもしれない。しかし、その天守も1891年(明治24年)に発生した「濃尾大地震」によって大きく被災してしまう。その4年後の1895年(明治28年)、修復することを条件に犬山城は旧城主の成瀬氏に譲渡されたという。成瀬氏は義援金などを得て無事に天守を修復、その後、2004年(平成16年)に財団法人犬山城白帝文庫に移管されるまで、犬山城は成瀬家が個人で所有する珍しい城だった。
犬山城
犬山城
城門をくぐってかつての本丸部分へと入城すると犬山城天守が正面に見える。犬山城天守は望楼型と呼ばれる形式で、三層四階地下二階の構造、もちろん木造で、改修や修復が行われているものの、建てられた当時の木材が今も多く残っているという。正面から見る犬山城天守の望楼部分は鬚を生やした武者の顔を思わせる。その“鬚”に相当する唐破風や、望楼の外側に設けられた回廊などは、成瀬氏が入城した後に増築されたものという。
犬山城
もちろん天守の内部も見学可能だ。それぞれの階の内部の様子も興味深いが、やはり最上階、望楼の回廊から見る景観の見事さは特筆に値する。南には犬山の市街地を、北から西には木曽川を見下ろす。木曽川の向こう、西に広がるのは岐阜県各務原市の町並みだ。それらの風景を、まさに“殿様気分”で味わうのも犬山城を訪れたときの楽しみのひとつだろう。

内部を見学し、望楼へ上り、そこからの眺めを堪能してこその犬山城だと思えるが、各階を繋ぐ階段は梯子のように勾配が急で、望楼の回廊はその高さに比して手摺りが低い。高所の苦手な人や小さな子ども連れの人、お年寄りなどは気を付けた方がいい。
犬山城
天守の横手に、「大杉様」という御神木がある。1965年(昭和40年)頃に枯れてしまったということだが、枯れる前には樹高24メートルほどの大木だったらしい。犬山城天守の高さは約19メートルだそうだから、枯れる前の大杉様は天守より高かったのだろう。樹齢は約650年、犬山城が築城された頃からの老木だったという。落雷には城の身代わりになり、台風のときには風除けになり、城を守る御神木として崇められていたと、解説が添えられている。今は根方の部分だけが櫓に守られて残されているようだが、それでも見上げるほどの大きさで、生きていた頃の堂々とした姿が窺い知れる。犬山城築城の頃からここに立ち、犬山城の歴史の変遷を見てきた樹木なのかと思うと、畏敬の念を禁じ得ない。永く天守を護ってきた御神木、自らの役目も終わったと、その寿命を全うしたのだろうか。
犬山城
犬山城
犬山城
犬山城天守は国宝である。同じく国宝の姫路城、彦根城、松本城と共に「国宝四城」とも呼ばれ、その中で犬山城が最も古いという。そしてまた江戸時代以前に建てられた天守がそのまま現存する「現存天守12城」のひとつでもある。日本の“城”というものに興味のある人なら一度は見ておきたいものだろう。そしてまた、日本の歴史、特に織田氏の興亡の時代に興味のある人にとっても、ぜひ訪ねてみたい城のひとつであることだろう。
犬山城
本丸から正面に見上げる姿も堂々として見応えがあり、天守望楼からの眺めも見事なものだが、少し離れて木曽川の岸辺からの犬山城の姿も見ておきたい。緑濃い河岸の丘の上に見える犬山城天守の姿は一幅の絵画のように素晴らしい。観光名所としての在り方が行き過ぎて少しばかり興をそぐところもないわけではないが、それでも犬山城天守の歴史的遺構としての貴重さや現存する天守の佇まいの見事さはまさに国宝の名に恥じない。
三光稲荷神社
三光稲荷神社
三光稲荷神社
針綱神社
犬山城天守の建つ丘の南裾には三光稲荷神社と針綱神社という二つの神社が鎮座している。それらの神社が建つ場所は、かつては犬山城の曲輪(くるわ)だったところで、明治になって犬山城が廃城になった後、神社が遷座したものらしい。

犬山城への入口横、土産物店などの並ぶ道路に面して建つのは三光稲荷神社だ。この場所はかつての犬山城松の丸だったところのようだ。伝承では1586年(天正14年)の創建だそうだが、はっきりとはわからないらしい。かつては犬山城内三狐寺山(現在の丸の内緑地内)にあったそうで、現在地に遷座したのは1964年(昭和39年)のことだという。参道入口には「犬山城への近道」との案内板が建てられており、境内を通り抜ければ犬山城天主へ向かう道の途中へショートカットして行ける。トンネルのように並んだ赤い鳥居をくぐって犬山城に向かうのも一興だろう。

三光稲荷神社から犬山城天主へ向かう道の途中、右手に針綱神社が建っている。かつて犬山城桐の丸だったところのようだ。927年(延長5年)に完成した「延喜式神名帳」にもその名が記載されている、いわゆる「延喜式内社」で、千年以上の歴史を持つ古社である。古代からこの丘に鎮座していた神社らしいが、織田信康が犬山城を築城する際に東方の白山平に遷座し、さらに1606年(慶長11年)に犬山市内名栗町に遷座、古来の座地であった現在地に戻ったのは1882年(明治15年)のことという。古くから濃尾の総鎮守であり、「尾張五社」のひとつにも数えられる神社である。

三光稲荷神社も針綱神社も、歴代の犬山城主の崇敬を受け、近郷の人々の信仰を集めてきた神社だ。犬山城に訪れたときにはぜひ立ち寄って参拝しておきたい。
犬山丸の内緑地
犬山丸の内緑地
犬山丸の内緑地
犬山城天守の建つ丘の南西側、木曽川の河岸に犬山丸の内緑地という小公園がある。1964年(昭和39年)に現在地に遷座するまで三光稲荷神社が鎮座していた場所らしい。緑地内は段差を伴った複数の区画で構成され、四阿やベンチなどが置かれている。大きな木々が茂っているがあまり鬱蒼とした感じはなく、北西側には木曽川を見下ろし、ちょうど真下にライン大橋が見えている。また北東の方角には丘の上に立つ犬山城天守がよく見える。ほぼ真横から見る形になり、犬山城天守のまた違った表情を見ることができるのが楽しい。“観光名所”としては特筆するような場所ではないが、木曽川の流れや犬山城の姿を眺めながらのんびりと一休みするのも悪くない。
参考情報
犬山城は本丸部分への入場に料金が必要だ。また天守閣へ入場する際には靴を脱ぐ必要がある。天守閣内では飲食禁止、三脚を立てての撮影禁止など、注意事項がある。その他、入場料や営業時間など、詳細は犬山城公式サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
犬山城は犬山市街地の北方、木曽川の岸辺に建っている。名鉄犬山駅や名鉄犬山遊園駅などが最寄り駅だが、どちらも徒歩で20分ほどかかるだろうか。犬山駅から城下町を散策しつつ向かうのも楽しいし、犬山遊園駅から木曽川の辺を歩くのも楽しい。JR高山本線鵜沼駅から歩いても30分足らずだ。

名古屋方面から車で来訪する場合、国道41号から県道27号へと逸れて北上するといい。岐阜方面から訪れる場合は国道21号から県道27号へと逸れて南下し、犬山市街を目指すのがわかりやすい。犬山城南側の犬山市街は一方通行なども多く、土地勘の無い人にはわかりにくい。案内標識などを頼りに慎重に走ろう。

遠方から訪れる人は東名高速道路、名神高速道路の小牧ICから国道41号へと降りて北上するといい。中央自動車道を利用して長野方面から訪れる場合には小牧東ICから県道16号などを利用して犬山市街を目指してもいい。北陸方面から東海北陸自動車道を利用するなら、岐阜各務原ICから国道21号を東進、鵜沼から県道27号を南下すると近い。

犬山城の南側に観光駐車場が用意されており、駐車台数にも余裕があるように見えた。2012年9月に訪れたとき、駐車料金は一回500円だった。

飲食
犬山城の南側、入口付近に観光客向けの飲食店や土産物店が建っている。市街地にも飲食店が点在し、犬山駅に近づくほど数は多くなる。城下町散策の際に気に入ったお店を選んで食事を楽しむといい。

お弁当持参の人は犬山城西側に隣接した犬山丸の内緑地で、犬山城の姿や木曽川を眺めながらランチタイムを楽しむといい。

周辺
犬山城を見学した後は、犬山の市街地へ足を延ばすのがお勧めだ。通り沿いに古い建物が残り、城下町の風情を味わいながらの散策が楽しめる。犬山城東側に位置する有楽苑も訪ねておきたい。子ども連れであれば、日本モンキーパークなどもお勧めかもしれない。

犬山城は木曽川の辺に建っている。木曽川の河岸を散策するのもお勧めだ。木曽川では鵜飼いも見ることができる。鵜飼いは基本的に夜に行われるが、現在では昼の鵜飼いも行われているようだ。時間を設けて鵜飼い見物を楽しむのもいい。

市街地を離れて郊外まで足を延ばせば、博物館明治村やリトルワールドなどがある。犬山城と博物館明治村、または犬山城とリトルワールドのセット入場券も販売されており、それぞれ別に購入するよりお得だ。

木曽川を渡れば岐阜県各務原市、中山道鵜沼宿を訪ねてみるのもいい。歴史を偲ばせるさまざまな遺構が残っているようだ。
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愛知散歩