埼玉県飯能市中心部の西方、「飯能河原」の名で呼ばれる河原がある。入間川の蛇行部分に生じた広い河原で、川遊びやバーベキューを楽しむ人たちで賑わう行楽地だ。梅雨の晴れ間の六月半ば、飯能河原を訪ねた。
飯能河原
飯能河原
飯能河原
埼玉県飯能市は、その市域の大半を山林が占めている。平地は市域の東端部に限られ、そこに市街地が広がり、市役所や鉄道の駅などはすべてここに集中している。市域の西側は広大な山林地帯だ。

平地のほとんどない山林地帯では米は作れず、人々は山林で産出される木材によって収入を得た。現在のように陸上交通が発達していなかった時代、木材は川を使って運んだ。飯能の西奥、名栗地区や原市場地区で産出される木材は入間川の流れを使って下流へ運ばれ、荒川へと繋いで江戸へと運ばれたのである。飯能や越生、毛呂山辺りの山林で産出される木材は「西川材」と呼ばれ、江戸の町づくり、度重なる火災からの復興に使われたと言われる。

木材は筏に組んで川を下った。筏は木材だけでなく、杉皮や炭なども上乗せの荷物として一緒に運んだという。飯能河原は、筏による木材運搬の中継地だった。これより上流側は「山川(やまっかわ)」と呼ばれ、川幅も狭く流れも急だった。ここから下流側は「下川(しもっかわ)」と呼ばれ、比較的川幅も広くなり、流れも緩やかになった。「山川」を一人乗りで1枚(幅0.9m〜1.2m、長さ9.0m〜14.5m)、あるいは2枚で下ってきた筏が、飯能河原でつなぎ合わされ、江戸に向かって下っていったのだという。
飯能河原
飯能河原
飯能河原
筏による木材搬出がいつ頃始まったものか、はっきりとはわかっていないらしい。江戸時代初期にはすでに行われていたようだが、それを示す資料はなく、最古の文献は1700年代のものだという。筏に乗って川を下る職人は「筏師」と呼ばれた。竿一本で筏を操り「山川」を下ってゆくのは相当の熟練技であったらしい。その筏師がようやく一仕事終えて一息つくのが飯能河原だったのだろう。河岸には筏師が休憩したり宿泊したりするための「筏宿」があった。1882年(明治15年)の文書によると左岸側の河原町に少なくとも三軒の宿屋と五軒の飲食店があったという。

時代が明治を迎えても、入間川の筏流しはますます盛んで、その出荷量は「西川十万石」呼ばれて木材の一大産出地を誇ったのである。1915年(大正4年)、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通、鉄道による木材運搬が始まった。道路も整備され、山地から飯能まではトラックによる木材運搬が行われるようになった。それに伴って筏流しは減少していき、大正末期から昭和初期にかけての頃には完全に姿を消したという。
飯能河原
飯能河原
筏流しが姿を消した後、飯能河原は行楽地として認知されてゆく。武蔵野鉄道の開通に伴って飯能を今で言う“リゾート地”として開発する「飯能遊覧地計画」が進められた。その中心地は天覧山と多峯主山周辺だったが、その計画の一環として飯能河原には水泳場とボート場を設けるためのコンクリート堰が造られたのだ。

当時、天覧山の麓には「東雲亭」という料理旅館があった。埼玉県下でも一、二を争うほどの規模の大きな旅館で、百畳敷きの大広間があり、連日、武蔵野鉄道に揺られてやってくる客で賑わったそうである。「東雲亭」の建物は1990年(平成2年)頃までは残っていたという。

現在の飯能河原は特に初夏から夏にかけての行楽地として、川遊びやバーベキューを楽しむ人たちで賑わっている。河岸に建ち並ぶ店などの佇まいに古い時代の風情が漂うのは、かつての「筏宿」の名残か、あるいは「飯能遊覧地計画」の名残だろうか。
飯能河原
飯能河原
飯能河原は飯能市街の西、飯能駅から1km足らずのところに位置している。飯能市の市域中央部を貫くように流れてきた入間川は、ここで大きく蛇行を描く。その蛇行が描くカーヴの部分に広い河原があり、そこを通常「飯能河原」と呼ぶのだ。通常期の入間川はそれほど水量は多くなく、水は河原の両脇をせせらぎのような様相で流れてゆく。だから広い河原は、性格には“中州”のような状態だ。もちろんその流れを跨いで木道などが設けられ、対岸との移動は簡単だ。

蛇行の描くカーヴの外側に当たる河岸部は階段状に整備され、ウッドデッキなども設けられている。対岸部の河原は川遊びやバーベキューを楽しむ人たちで賑わうところだ。河岸には鬱蒼と木々が茂って緑濃く、その中を縫って流れる入間川の風情も良く、自然溢れる行楽地としての魅力に溢れている。
飯能河原
飯能河原
南側で入間川を跨ぐ朱いアーチ橋は「割岩(われいわ)橋」、橋長75m、幅員3mの歩行者専用橋である。1983年(昭和58年)に工事が開始され、1985年(昭和60年)に完成したものという。ここに橋を架けようという話は古くからあったのだがなかなか実現に至らず、昭和も終わりに近づいた頃にようやく架けられたのがこの「割岩橋」である。割岩橋は朱色のアーチと主桁、白色の欄干が緑の木々を背景によく映えて美しい姿を見せている。今では飯能河原を象徴する風景と言っていい。

河原から小径を上れば割岩橋を渡ってみることもできる。割岩橋の上から北を見れば眼下に飯能河原を見下ろす。南を見れば両岸に茂る木々が鬱蒼と川の流れを包み込み、山深い渓流を思わせる。左岸部の河原では、ここでも川遊びやバーベキューを楽しむ人の姿が多い。
飯能河原
飯能河原周辺の入間川河岸には遊歩道が整備され、のんびりと河岸散歩を楽しむことができる。川風に吹かれながら、川遊びを楽しむ人たちの姿を眺めつつの散策は楽しいひとときだ。上流側にはコンクリート堰があり、堰の上部を渡って両岸を行き来できる。ウッドデッキのある場所から左岸側の遊歩道を下流側へ辿り、割岩橋を渡って右岸側を上流側へと向かい、堰を渡って戻って一周してみるのがお勧めだ。
飯能河原
飯能河原
飯能河原
飯能の市街中心部からほど近い立地でありながら、豊かな自然に包まれて川遊びのできる飯能河原は魅力的な行楽地と言っていい。初夏から夏、暑さを感じる季節に、涼を求めて訪れるにはぴったりのところだ。家族で、友人同士で、お弁当を持って出かけてみるのがお勧めだ。バーベキューを楽しむのもいい。河岸にはバーベキュー用品一式を貸し出してくれる店も建っているから、それを利用するのも一案だろう。もちろん一人で割岩橋と入間川が織り成す景観の美しさを求めて散策に出かけてみるのもいい。素敵な河岸散歩が楽しめる。
参考情報
本欄の内容は飯能河原関連ページ共通です
交通
飯能河原は飯能駅(西武池袋線)から1km弱、徒歩で15分ほど、東飯能駅(西武池袋線、JR八高線)からは1.5kmほど、徒歩で25分ほどだ。

飯能河原には駐車場はない。車で訪れる際には駅周辺に点在する民間駐車場を利用しよう。

飲食
飯能河原はお弁当とレジャーシート持参で訪れるのがお勧めだ。河原に場所を見つけて“青空ランチ”を楽しもう。

飯能河原ではバーベキューを楽しむ人たちの姿も多い。直火は禁止なので用具一式を準備していこう。近くにはバーベキュー用具を貸し出す店もあるから、そうした店を利用するのもいい。

河岸にも食事の可能な店が何軒かあるが、飯能駅周辺の市街地中心部へ戻ればさらに選択肢も増える。予定に合わせて選ぶといい。

周辺
飯能河原から北へ辿ると飯能市中央公園や能仁寺がある。その北は天覧山だ。桜の名所として知られ、春には大勢の花見客で賑わうところだ。天覧山からは素晴らしい眺望が楽しめる。足を延ばしてみるのもお勧めだ。

飯能市街には古い建物も残っている。昔の風情を探しながらの町散歩も楽しい。
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