佳景探訪
入間の茶畑
埼玉県入間市の西部、霞川と圏央道に挟まれた台地に広大な茶畑が広がっている。その面積は約400haに及ぶ。視界いっぱいに広がる茶畑は圧巻の景観だ。新茶の季節を迎える四月の末、入間の茶畑を訪ねた。



入間の茶畑

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入間の茶畑

入間の茶畑
埼玉県入間市の西部、霞川の南に金子台と呼ばれる台地が横たわっている。その金子台の北側、すなわち圏央道の北に位置する部分には、一面の茶畑が広がっている。約400haの面積に渡って広がる茶畑は全国的にも珍しく、ひとまとまりの茶畑としては関東以北最大規模という。

この地域で栽培される茶は「狭山茶」の名で広く知られている。「狭山茶」は埼玉県下全域で栽培される茶の総称で、“狭山市の特産品”というわけではない。全国的にも“銘茶”のひとつに数えられ、「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と狭山茶づくり歌(茶摘み歌)の中に歌われているという。

茶というものが、いつ頃、どのように日本に伝わったのかということについては、確実なことはよくわかっていないらしい。古来、大陸との交流によって多くの物品や文化が日本にもたらされてきたが、茶とその製法、喫茶法などもそうしたもののひとつとして伝来したのだろうという。大陸に渡った僧侶が深く関わっていただろうことは容易に推測できる。

1100年代の後半、栄西禅師が中国から茶を持ち帰り、その製法や喫茶法を日本に広めたと言われる。その種子を明恵上人が武蔵河越(現在の川越)に栽植したのが狭山茶の始まりという。以後、茶の栽培が入間郡(現在の川越市から所沢市、狭山市、入間市、飯能市周辺)一帯で行われるようになった。当時隆盛を誇った寺院が茶の栽培を広めることに大きく関与していたと考えられている。戦乱の時代を経てそれらの寺院が衰退すると、それに伴って茶の産地も荒廃していったようだが、江戸時代以降に徐々に復興していったという。

江戸時代末期、二本木村(現在の入間市)の吉川温恭、村野盛政、指田半右衛門の三人が、試行錯誤の末にこの地域での茶の生産を復興、宇治の蒸し製煎茶の製法を習得して江戸へ出荷するようになる。幕末に横浜が開港すると、茶は生糸と並ぶ輸出品となり、八王子に集められた茶はいわゆる「絹の道」を通って生糸との共に横浜に運ばれ、海外へ輸出されていったという。1875年(明治8年)、周辺の有力業者によって「狭山会社」が設立され、製茶業の育成や輸出業務を行うようなった。「狭山茶」の名が定着するのはこの頃かららしい。

戦時中は一時荒廃したものの、戦後すぐに復興、茶の栽培の近代化も進み、入間市は「狭山茶」の一大産地として名を知られるようになった。2016年(平成28年)産の茶の実績としては、埼玉県は栽培面積で全国8位(1位は静岡県)、生茶収穫量でも全国12位(1位は静岡県)だ。「狭山茶」は産業として成立する茶の栽培の北限、そのため、他の産地に比べて一番茶の収穫時期が遅く、年間の収穫回数も少なく、結果的に収穫量が少ないのだという。

埼玉県で生産される「狭山茶」、その半分以上が入間産だという。そのことを物語るように、金子の台地に広がる茶畑は広大の一言に尽きる。約400haの面積に渡って広がる茶畑の景観は、想像の域を超えていると言っていい。茶畑の中を抜ける道を辿ってゆけば、歩いても歩いても周囲は茶畑だ。茶畑の広がる台地の上は緩やかな起伏がありつつ比較的平坦だから、視界の遙か先まで茶畑の景観が続く。

茶畑の中から西へと視線を向ければ、どこまでも続く茶畑の向こうに山々の稜線が美しいシルエットを描く。茶畑には遅霜の被害を防ぐための「防霜ファン」が立ち並び、その光景も独特の興趣を生み出している。ところどころでツツジが咲いているのも素敵なアクセントだ。一面の茶畑は単調な景観であるはずなのに、歩いて行けばさまざまな表情を見せてくれて、飽きることがない。

訪れるならやはり「八十八夜」の頃か。今回、(2017年)四月の末に訪れたのだが、まだ新茶の摘み取り作業は始まっていないようだった。作業されている方の姿がないので気楽に歩くことができたが、新茶の収穫作業の様子も見てみたい気はする。また機会があれば訪ねてみることにしよう。
入間茶業公園
茶畑の広がる金子台の東端近く、「入間茶業公園」という小公園が設けられている。公園とは言っても茶畑の中に敷地を設けて小高い丘を築き、その上を展望所としただけのもので、広場や遊具類などが設置されているわけではない。

展望所周辺にはさまざまな案内パネルが設置されている。「入間市景観50選」のNo.26「茶畑と周辺風景」についてのパネル、埼玉新聞社主催による「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」の「名所・自然・史跡・文化財部門」で「入間の茶畑」が第一位を獲得した旨を記したパネル、さらに「狭山茶の沿革」と題して狭山茶の歴史の概要を記したパネルなどだ。要するに、「入間茶業公園」は入間市の「名所」としての茶畑を象徴する存在なのだろう。

塚のように築かれた小高い丘の頂上部にはさらに鉄骨造りの展望デッキが設けられ、そこからは北から西への眺望が広がる。茶畑の中を縫うように道を辿って景観を楽しむのもいいものだが、こうして少し高みから俯瞰するように眺めてみると、約400haという茶畑の規模を実感する。特に西へ目を向ければ、視界の遙か先まで茶畑が続く。辺り一面を覆い尽くして広がる茶畑と、その向こうに横たわる緑の丘陵、さらにその向こうには遠くの山々の稜線が連なる。壮観な眺めだ。絶景と言っていい。

金子台の茶畑を訪ねたときには、ぜひ「入間茶業公園」を訪ねておきたい。JR八高線の金子駅から「入間茶業公園」まで、最短距離を辿っても3kmを超えるが、景観を楽しみながらのんびりと向かえばいい。
入間茶業公園

入間茶業公園

入間茶業公園

入間茶業公園
はらや子育て地蔵尊と中神の百万遍供養塔道標
「入間茶業公園」から数百メートル西、旧青梅街道の交差点角に「はらや子育て地蔵尊」が祀られ、その傍らには「中神の百万遍供養塔道標」がある。一角に「中神の百万遍供養塔道標」についての解説パネルがある。それに依れば、この交差点は「原谷(はらや)の辻」と呼ばれ、川越と青梅を繋ぐ街道と生活のための道が交差するところだったという。道標には主要な目的地への方角と距離が記されている。1793年(寛政5年)に中神の人々が村の安全を祈って建てたものという。ちなみに「百万遍」とは、「南無阿弥陀仏」と百万回唱えればどんな人でも極楽浄土へ行けるという念仏行事だそうである。
はらや子育て地蔵尊と中神の百万遍供養塔道標

はらや子育て地蔵尊と中神の百万遍供養塔道標
三輪神社
「はらや子育て地蔵尊」から500mほど北へ辿ると、道脇に三輪神社が鎮座している。境内に設置された由来によれば、昔、この辺りに「幾百歳の翁媼」が住み、琵琶を弾いていたという。村人は国津神として敬い、この地を比和野を呼んでいたそうだ。936年(承平6年)、藤原秀郷がこの地で狩りをした際、琵琶の音を聞き、尋ねてみたところ、「宇賀彦宇賀姫也五穀守護のためここに遊べり」と答えられたので、この地に社を祀り、比和野大明神と唱えたのだという。それがこの三輪神社のそもそもの始まりのようだ。その後、三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社を勧請し、社号を三輪大明神と改めたものという。

三輪神社は大物主命を主祭神として祀り、宇賀彦命と宇賀姫命を合祀する。拝殿は1860年(万延元年)に改築されたもので、その際、小沢翠岳が天井一面に雲龍の墨絵を描いた。この天井画や幟原書、旧本殿棟札などが入間市の有形文化財に指定されている。ちなみに、設置された由来の記述によれば、小沢翠岳は本名を弥吉といい、1889年(明治22年)に町村制が施行されて金子村が発足した際に初代村長を務めた小沢藤太氏は弥吉の長男だそうである。

三輪神社を南側から見ると、茶畑の広がる中にこんもりと樹木をまとって鎮座する姿がいかにも「鎮守の杜」といった佇まいだ。この樹林は「入間市三輪神社社叢ふるさとの森」として指定され、貴重な緑として保存されている。スギやヒノキ、シイなどを中心とした林相だが、入間市の古木大木に指定された樹齢150年のマテバシイやスダジイなどもあり、樹木に興味のある人なら見ておきたいものだ。

周囲に茶畑が広がる中、境内地は樹木に包まれて神域らしい佇まいだ。境内からも鳥居の向こうに茶畑が見える。地域の鎮守として、今は茶畑を護っておられるのだろう。金子台の茶畑散策の際には立ち寄って参拝しておきたい。
三輪神社

三輪神社

三輪神社

三輪神社

三輪神社
霞川
金子台の北側を、霞川が流れている。霞川は入間川の支川で、青梅市根ヶ布の天寧寺裏の霞池を水源とし、青梅市から入間市へと16kmほどを流れて、狭山市広瀬で入間川に注ぐ。桂川の別名もあり、架けられた橋の中には「桂川」と記されているものもある。この辺りでは北に加治丘陵、南に金子台が横たわり、その間を霞川が西から東へと流れてゆく。加治丘陵と金子台、霞川が織り成す風景の美しいところだ。

今回訪れたのは四月の末、川床に土砂が堆積して生じた“河原”には菜の花が咲き乱れ、美しい春の景観を見せていた。河岸の小径脇ではヒメオドリコソウやオオイヌノフグリなどの花も見つけることができて、春の風情を存分に感じながらの河岸散歩が楽しめる。ところどころには河岸の道から川面近くへ降りて行けるように造られた、“親水広場”のような場所も設けられており、降りてみれば視点が変わって楽しい。

河岸には神明神社が建っていたり、馬頭坂という名の坂があったり、昔からの道筋であるらしい名残を見つけることができるのも楽しい。河岸にも茶畑があり、加治丘陵を背景にした風景も美しい。

金子台の茶畑を訪ねた際には霞川の河岸にも足を延ばして、少し河岸の散策も楽しんでみるのがお勧めだ。もちろん、霞川の河岸散歩だけを目的に訪れても、充分に楽しめる。
霞川

霞川

霞川

霞川
茶畑の中に建つ送電鉄塔
金子台に広がる茶畑の、やや北寄りを、送電線が通っており、茶畑の中にいくつもの鉄塔がそそり立っている。緑豊かな風景の中に建つ人工物の姿を興醒めと感じる人もあるとは思うが、長閑な風景の中に建つ送電鉄塔の姿、というより、“送電鉄塔の建つ風景”というものに興趣を感じる人も少なくない。

金子台の茶畑の中を通る送電線は青梅変電所と豊岡変電所を繋ぐ、「豊岡線」と呼ばれる路線だが、長閑な風景と鉄塔の織り成す風景の美しさや、路線の辿りやすさなどから、「送電ファン」にはよく知られたところのようだ。確かに台地の上に広がる茶畑の中に建ち並ぶ送電鉄塔の姿には不思議な興趣を感じる。「送電ファン」を名乗るほどのマニアでなくても、“送電鉄塔の建つ風景”というものに少しでも心惹かれる人なら、必見の風景である。
茶畑の中に建つ送電鉄塔

茶畑の中に建つ送電鉄塔

茶畑の中に建つ送電鉄塔
参考情報
交通

金子台の茶畑はJR八高線金子駅が最寄り駅だ。駅を出て南側の台地へ上がれば、周辺から東にかけて広大な茶畑が広がっている。金子駅から入間茶業公園までは3km強、歩けば一時間近くかかるが、のんびりとハイキング気分で歩けばいい。

車で来訪する場合は、金子駅周辺の時間貸駐車場を利用すればいい。茶畑の中には駐車可能な場所は無い。

遠方から車で訪れる場合は、圏央道の青梅ICを利用すれば近い。

飲食

当然のことながら、茶畑の中には飲食店はない。金子駅周辺を含めて、周辺にも飲食店はほとんどない。飲食店は場所を変えて探すのが賢明だろう。

お弁当持参の場合は、入間茶業公園や霞川沿いに点在する小公園などを利用するといい。

周辺

金子駅の周辺には桜の木が多い。桜の花期に訪れるのもお勧めだ。

霞川河畔から北側の加治丘陵へと散策の足を延ばすのも楽しい。桜山展望台などへ、お弁当を持って出かければちょっとしたピクニック気分が味わえる。

入間の茶畑
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