佳景探訪
向島百花園
東京都墨田区東向島三丁目に向島百花園という庭園がある。1800年代の初期、骨董商を営んでいた佐原鞠塢によって造られた庭園で、大名庭園とは違った趣がある。萩の咲く十月半ば、向島百花園を訪ねた。



向島百花園/入口

向島百花園/園内

向島百花園/御成座敷

向島百花園/園内

向島百花園/園内

向島百花園/ひょうたん向島百花園/へびうり

向島百花園/ざくろ向島百花園/かりん

向島百花園/ハギのトンネル

向島百花園/萩の花

向島百花園/池越しにスカイツリーを見る

向島百花園/園内
向島百花園は1800年代初期、骨董商を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)という人物が文人墨客の協力を得て造園したものだという。1804年から1830年までの、いわゆる「文化文政時代(「文化文政期」、「化政時代」などとも呼ばれる)」は第十一代将軍家斉が治めていた時代で、江戸を中心に町民文化が発展した時代だったらしい。版画の技術が向上し、多色刷りの浮世絵、いわゆる「錦絵」が盛んになったのもこの頃で、1830年代に入ると葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」などが作られている。風刺の効いた狂歌や川柳が流行し、そしたまた十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や式亭三馬の「浮世風呂」といった「滑稽本」が世に出されたのもこの“文化文政期”だ。

佐原鞠塢は江戸で活動する文人墨客の協力のもと、彼らが集い、花々を愛でる場所として花園を造り、それを広く公開した。庶民文化の花開いた時代を象徴するものかもしれない。当初は360本の梅を植えて梅園として造られたということだが、やがて万葉集などに縁の草木など、さまざまな草花が植えられ、四季を通じて花々を愛でることのできる花園として定着したという。絵師の酒井抱一もこの花園の“常連”のひとりで、「百花園」の名も酒井抱一による命名という。開園当初は梅園としての性格が濃かったため、「梅は百花に魁けて咲く」ということから酒井抱一が命名したというのだが、他説には「四季百花の乱れ咲く園」との意味で「百花園」と呼ばれるようになったともいう。

江戸時代には多くの文人墨客に愛された百花園だが、明治期以降には荒廃した時期もあったという。洪水の被害も幾たびか被っている。開園時から“民営の花園”として続いてきた百花園だったが、ついに1938年(昭和13年)、最後の所有者から東京市へ譲渡され、翌1939年(昭和14年)、東京市は有料で制限公開を開始、公営の公園として再出発している。1978年(昭和53年)には国の名勝、史跡としての指定を受け、現在も文化文政期の町民文化を感じさせる庭園として人々に愛されている。

向島百花園はほぼ正方形をした敷地に横たわり、東側には南北に細長く延びる池を抱えている。その園内をさまざまな植物が埋め尽くし、その中を縦横に散策路が巡る。随所に四阿やベンチ(“縁台”というべきか)が置かれ、腰を降ろしてのんびりと一休みしながら園内の花々を楽しむこともできる。中央部北側には「御成座敷」という施設があり、これは有料の予約制だが集会場として使用することができるらしい。「御成座敷」の外観も園内の雰囲気に似合っていて良い風情だ。

向島百花園は面積1haほど、決して“広々とした”庭園ではない。もちろん現在の一般の住宅の“庭”と比べれば圧倒的に広いが、江戸時代の大名屋敷の庭園などと比べれば“こぢんまりとした”印象もある。しかしその“狭さ”が欠点となっているわけではない。池を配した園内に巧みに小径を巡らせ、さまざまな植物の植えられた庭園は“粋”で“風流”な印象があり、広々とした空間に築山や泉水を配して築かれた大名屋敷の庭園とは違った、まさに江戸庶民の風流人の美意識というものを見る思いがする。

今回訪れたのは十月の上旬、一般的には決して“花々の咲き乱れる”季節ではないが、向島百花園の中にはさまざまな花が咲いている。当然のことながら“秋の七草”が植えられており、ハギをはじめ、ホトトギスやオミナエシなどの花々を見ることができる。すでに十月だったがフヨウの花もまだ見ることができた。また花だけではなく、棚に実ったヒョウタンやヘビウリも面白く、園内の木に実ったザクロやカリンの姿も季節を感じさせて良い風情だ。ゆっくりと園内を巡ればさまざまな植物の姿を発見することができて楽しい。

この季節の向島百花園は特にハギが有名だ。園内中央部南側には「ハギのトンネル」が設けられており、アーチ状に造られた網棚を覆うハギに包まれるようにして歩くことができる。ハギの咲く季節に向島百花園を訪れたなら、やはり「ハギのトンネル」は歩いておかなくてはいけない。

園内北東の角、池の北端部分で向島百花園の新しい魅力となる風景を楽しむことができる。池の北端の岸辺に立って南側を眺めると、園内の木々の向こうに東京スカイツリーの姿が見えるのだ(訪れたときはまだ建築中だ)。もちろん東京スカイツリーの姿は園内の別のところからでも見えるのだが、この池の北端の岸辺に立てば間近に池と池に架かる橋を見て、その向こうに少し霞んで東京スカイツリーの姿を眺めることができ、なかなか“絵になる”風景なのだ。江戸時代に造られた向島百花園と21世紀初頭の東京に造られた東京スカイツリーとの、一見アンバランスとも思える風景の取り合わせに何とも言えない興趣がある。東京スカイツリーの姿を楽しむ“名所”のひとつとして有名になることだろう。このときも多くの来園者がカメラのレンズを向けていた。

また向島百花園の園内には芭蕉の句碑をはじめ、さまざまな文人墨客の碑や石柱が建てられている。それらをひとつひとつ巡ってみるのも一興かもしれない。緑に溢れた向島百花園には野鳥や昆虫の姿もあり、その姿を探してみるのも楽しい。四季折々に季節の花の咲く向島百花園、それぞれの季節に訪ねてみたい庭園だ。




白鬚神社

白鬚神社近くの道
向島百花園から北西側に200mほど離れた墨堤通り沿いに白鬚神社という神社が建っている。猿田彦大神を主祭神として、天照大御神ら七柱の神々を祀る神社で、境内に設置された「由緒」によれば、951年(天暦5年)に慈恵大師が関東に下ったときに近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の分霊をここに祀ったと社伝にはあるらしい。主祭神の猿田彦大神が天孫降臨に際に道案内をしたという神話から、“お客様をわが店に案内して下さる神”としての信仰が生まれたのだそうだ。市街地の直中に建つ社だが、境内には墨田区保護樹木のケヤキやイチョウなど、見事な樹木が育ち、古社であることを窺わせる。

向島百花園からは少し離れているが社寺巡りの好きな人は訪ねてみるといい。向島百花園から白鬚神社への道は古い建物も残る細い路地で、街歩きも楽しめる。歩きながら南側を見やると、細い路地の向こうに東京スカイツリーの姿が見え隠れするのも楽しい。
参考情報
本欄の内容は向島百花園関連ページ共通です
向島百花園は入園料が必要だ。ペット連れの入園はできない。その他、休園日や開園時間など、詳細については東京都公園協会のサイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通

向島百花園へは東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)東向島駅が近い。駅から西へ徒歩で10分足らずだ。また東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)曳舟駅や京成電鉄押上線京成曳舟駅などからも徒歩15分ほどで行ける。

車で来訪する場合は首都高速6号向島線の向島出口で降りると向島百花園に近いが、向島百花園には駐車場が設けられていないため、周辺の民間駐車場を利用しなくてはならない。向島百花園西側の墨堤通り沿いや東側の明治通り沿いに民間駐車場が点在しているようだが規模の小さなものが少なくない。2010年10月に訪れたときには墨堤通り西側、首都高出口のすぐ近くにある駐車場を利用したが、ここは比較的規模の大きな駐車場だった。また向島百花園の南東側、明治通りと国道6号との交差点付近にも大きな駐車場があるようだ。

飲食

向島百花園の中には売店はあるが飲食店などはない。四阿やベンチは設置されているが、広場などはないため、のんびりとお弁当を広げるには不向きだ。食事は他で楽しもう。

向島百花園の近辺にはあまり飲食店がないが、東向島駅や曳舟駅周辺、国道6号沿いなどにさまざまな飲食店が点在している。

周辺

向島百花園の西方、墨堤通り沿いに白髭神社が建っている。寺社巡りの好きな人は立ち寄っておきたい。そのまま北へ向かえば隅田川河岸に東白髭公園がある。公園散策好きの人は訪ねてみるといい。隅田川の河岸をさらに北へ向かえば、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)鐘ヶ淵駅の駅名の由来となった鐘ヶ淵だ。周辺の町散歩と共に隅田川河岸散策を楽しむのもお勧めだ。

向島百花園から南へ向かうと、料亭の建ち並ぶ向島の街だ。さらに曳舟駅の東方に歩を進めると「京島」という町がある。古い町並みの残るところだ。街歩き趣味の人なら足を延ばして訪ねてみるといい。
向島百花園/園内

向島百花園/売店

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