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榎原地区の中心は、すなわちかつての榎原村の中心は、JR日南線の榎原駅から榎原神社にかけての辺りだと言っていいだろう。南に入れば榎原駅という交差点の北側に大きな鳥居が建ち、榎原神社を指し示す標識があるのだが、それに従って北へ折れて緩やかに坂道を登ると、榎原中学校と榎原小学校が向かい合うところに出る。三叉路になっており、国道から登ってきた道が県道54号線に合流する。県道54号線は北へ山間を抜けると日南市萩之嶺の「仏坂」と呼ばれる地区へと抜け出る。その三叉路から西へ真っ直ぐに道が延び、道の最も奥まった部分に榎原神社の鳥居が建っている。要するに参道なのだろう。道の両脇には家々が建ち並んでいる。今では鄙びた田舎の集落といった佇まいだが、家々の密集する様子が周辺ののどかな田園風景とは少し違った風情を漂わせている。
榎原のこの辺りの集落は、かつて榎原神社の門前町としてかなり栄えていたのだという。戦後間もなくの頃まで、榎原神社は周辺の広い地域から参詣者が訪れ、門前町もなかなかの賑わいを見せた。あまり娯楽もなく、交通も便利ではなかった時代だったからか、榎原神社の例祭のときなどには大勢の参詣者が泊まりがけで訪れ、門前の旅館では祭りの間中、夜通し宴会が催されて賑わったものらしい。当時を知る人の話に依れば、それはもうたいへんな賑わいだったそうで、旅館の部屋はすべて満杯状態で、見知らぬ者同士が酒を酌み交わし、酔いが回れば座敷に雑魚寝で夜を過ごしたという。どこの誰が宿泊しているのか、おそらく旅館の方でも把握していなかったのではないかと、当時を知る人は言う。「(旅館は)銭をとっちょったっちゃろかい、とっちょらんかったっちゃねどかい(旅館は宿泊料を取っていたのだろうか、取っていなかったのではないだろうか)」と、当時を知る人たちは懐かしがる。いちいち宿泊料を徴収する余裕すらないほどに人々が溢れて賑わったものだそうである。
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