日南海岸風景
目井津
目井津
日南市油津の市街地から国道220号をさらに南へ辿り、大堂津の町を抜けて細田川を渡ると、南郷町だ。南郷町は以前は「南那珂郡南郷町」だったが、2009年(平成21年)3月30日に日南市と南那珂郡南郷町、南那珂郡北郷町の一市二町が合併し、”新”日南市が誕生し、それに伴って南郷町は「日南市南郷町」となった。川を渡ると国道は河口へ向けて左へ折れ、眼前に虚空蔵島を見ながら日南線の鉄橋をくぐって右へ曲がってゆく。目井津港を左に見ながら進むと、港の入口の交差点で右に折れ、国道は町の中の緩やかな坂道を上ってゆく。このあたりの町を「目井津(めいつ)」という。住所の上では「日南市南郷町中村」なのだが、多くの場合、この地区の名を「目井津」と呼び慣わしている。目井津の町は昔から目井津港を中心に栄えてきた漁業の町だが、2000年(平成12年)にデビューしたシンガー、鬼束ちひろの出身地としてその名を知る人もいるかもしれない。
目井津
目井津の町はなかなか繁華な町で、かつては南郷町の商業の中心としての役割を担っていた。目井津の町の真ん中を貫くように国道220号が通っており、国道沿いにさまざまな店舗やスーパー、銀行、病院などが並んで町の中心としての佇まいを見せる。北に隣接する大堂津の町とは細田川によって隔てられているが距離は近く、行き来も気軽だ。かつては大堂津の町は日南市、目井津の町は南那珂郡南郷町だったが、地元での日常的な生活の場面では自治体の違いを意識することもあまりなく、昔からほぼ同じ生活圏、商業圏を共有していたと言っていい。

目井津は大堂津の町と同じ入江を共有し、その入江の北端に大堂津港があり、南端に目井津港がある。特に目井津港は虚空蔵島によって北を区切られ、沖には大島が浮かぶことによって外海の波を遮ってくれるために、天然の良港としての地形に恵まれている。南側の目井津の町を見下ろす丘の上には目井城(目井津城とも言う)跡があり、目井津港が古くから要衝の港であったことをうかがわせる。かつてはその覇権を巡って島津氏と伊東氏の争いが幾度となく繰り返されたという。
目井津 目井津
目井津
古くから栄える漁業の町も時代の変遷とともに少しずつその様相を変えてきているが、広い国道から逸れて町中の細い道を辿れば今でも昔ながらの佇まいに出会うこともできる。古さが目立つようになった店構えで商いを続ける商店の表情などにも、地方の小さな港町の風情が感じられて郷愁を誘うような趣がある。目井津の町の西側には丘の麓に沿って日南線の線路が走っており、線路際に並ぶ家々の中には、小さな踏切を渡らなければ出入りのできないところもあったりする。家々の並ぶ町中から南へ外れるとのどかな田園風景が広がり、港町とはまた別の表情を見せてくれる。小さな町だが、のんびりと歩いてみると意外な発見もあって楽しい。

観光客のほとんどは車で国道を走り抜けるばかりで、目井津の町に立ち寄る人はほとんどいないだろう。カメラを片手に歩いていると、観光客だと思われるのか、観光客がなぜこんなところを歩いているのかと奇異に思われるのか、町の人の怪訝な表情に出会うこともあったが、ほとんどの人は目が合うと笑顔で会釈してくれるのだった。目井津簡易郵便局の傍らを歩いていると、郵便局の外で掃除をしていた女性職員に「こんにちわ」と挨拶された。観光客になりきってしまうのもそれはそれで楽しい。
目井津 目井津
目井津 目井津
子どもの頃、目井津の歯医者に通ったことがあった。自宅からは距離があり、まだ小さかったので父親に連れてきてもらった記憶がある。診療までの待ち時間、歯医者の外の道路で退屈さを紛らわせていると、地元の子どもたちが近くで遊び始めた。自分より少しばかり年上のように思われた。見るともなく見ていると、そのグループのリーダー格らしい男の子がこちらの姿に気付き、「一緒に遊ぶ?」と声をかけてくれた。何も言わず、ただ首を横に振った。あの時の光景をなぜか今でも鮮明に覚えている。あの歯医者があった場所に、今は歯医者はない。場所が移ったものなのか、廃業してしまったのか、あの時の歯医者の名さえ記憶になく、今となってはわからない。
目井津
INFORMATION
目井津
【所】日南市南郷町中村
【問】日南市観光協会
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ページ内の写真は2001年夏、2002年夏、2003年夏に撮影したものです。本文は2009年6月に改稿しました。