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多摩市連光寺五丁目のほとんどを占めるように広大な雑木林を抱える公園がある。都立の桜ヶ丘公園だ。南西側に接する多摩ニュータウンの聖ヶ丘の街から見ると、整然と造成されたニュータウンの向こうに昔ながらの多摩丘陵がそのままに残っているように緑濃い丘が横たわっている。その名の通り桜の名所として有名な公園だが、多摩丘陵の自然の保全という目的も持っており、園内のほとんどはかつての里山の自然を彷彿とさせる雑木林が占めている。雑木林の中を散策路が辿り、野鳥の声を聞きながらの木立の中の散策は心和むものだ。 |
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田中光顕は1843年(天保3年)土佐に生まれた維新の志士のひとりで、幕末には薩長同盟実現に尽力、明治新政府のもとでは警視総監や貴族院議員などの要職を歴任、1898年(明治31年)からの12年ほどの間は宮内大臣を務めた。田中光顕は多摩聖蹟記念館の他、佐川町立青山文庫などを創立(「青山」は田中光顕の号である)し、文化的事業の功労でも知られている。 記念館は財団法人多摩聖蹟記念会が管理運営していたが、やがて建物は老朽化し、一時は取り壊しも検討されたという。昭和初期の建築物として評価の高かった記念館は取り壊しを惜しむ声も多く、多摩市が1986年(昭和61年)に有形文化財に指定し、改修を経て管理運営を引き継ぐことになった。以来、記念館はその文化財としての建物の保存と公園来訪者のための憩いの場に目的を変え、「旧多摩聖蹟記念館」と、「旧」の文字を付加して呼ばれることになった。 旧多摩聖蹟記念館のホール中央には渡辺長男作の明治天皇騎馬像が置かれ、その周囲に田中光顕が収集したという幕末の志士たちの遺墨などが展示されている。記念館の収蔵資料は松下村塾関連、薩長同盟関連、明治新政府関連など200点余りに及ぶという。この他、園内をはじめとした多摩市内で見られる植物の写真なども展示、「多摩市植物友の会」の協力の下に自然観察会なども実施しており、公園の自然に触れるための拠点としても記念館は機能している。記念館の概要、収蔵資料の詳細、ギャラリーとしての利用方法や企画展示の案内など、記念館のパンフレットや「雑木林」という名の会報に詳しい。 |
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大谷戸公園の傍らから散策路に沿って南へ歩を進めると、右手に芝生の広場のある一角に出る。公園西中央口の置かれたあたりで、案内図には「杉の辻」という名もあるが、これは昔からのこのあたりの地名なのだろう。このあたりから公園南端の管理事務所のあるあたりまで、緩やかなスロープの芝生の広場が続く。西に聖ヶ丘の街があり、公園外周に沿って道路が通っているのだが、交通量はあまり多くはなく、比較的静かでのんびりとしたひとときを過ごすことができる。
「ひぐらし坂」の上の四阿の横あたりから北に向かって雑木林の中に小径が延びている。木立の中を縫って進むと、やがて多摩市立の連光寺公園の傍らへと出る。連光寺公園はテニスコートや子どもたちのための遊具、広場などからなる小さな公園だが、雑木林は桜ヶ丘公園から隔たり無く続いており、両者がうまく融合している雰囲気だ。連光寺公園からさらに北に向かって降りると、やがて桜ヶ丘公園の駐車場の下あたりへと抜け出る。 |
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