日南海岸追想
サボテンハーブ園
サボテンハーブ園
宮崎市から日南市へと国道220号を南下し、伊比井を過ぎると、やがて富土に至る。国道はそのまままっすぐに「日南富土トンネル」へと向かってゆくが、海岸に沿った旧道が東へ逸れる。富土海水浴場を横に見ながら海岸を走り、小さな漁港を過ぎて岬をひとつ廻ったところに、かつて「サボテンハーブ園」があった。
サボテンハーブ園
「サボテンハーブ園」はその名が示すように「サボテン」と「ハーブ」をテーマにした施設で、「日南海岸」の観光名所のひとつとしてよく知られていた。そもそもは1937年(昭和12年)、「小弥太郎峠」に数種類のウチワサボテンを200本植えて「サボテン林」を作ったのが始まりという。宮崎交通初代社長を務めた岩切章太郎氏の発案で、青島鵜戸神宮との間に新たな観光名所を創出することが目的であったらしい。その後移転し、「サボテン公園」として開園したのが1951年(昭和26年)のことだ。

やがて1955年(昭和30年)に「日南海岸」が「国定公園」に指定され、さらに1960年代になって皇太子と美智子妃殿下(現天皇・皇后)夫妻の来県や宮崎を舞台にしたNHK連続テレビ小説「たまゆら」の放映などが重なり、「日南海岸」は全国的に知名度を増して、昭和40年代の「新婚旅行ブーム」を迎えるのだが、そのブームの渦中にあって「サボテン公園」は「日南海岸」の観光名所のひとつとして充分にその役割を担った。海岸の丘陵の斜面を埋め尽くすサボテンの景観は異国情緒に溢れて、訪れる人にも新鮮な驚きを与えたものだったろう。

やがて「新婚旅行ブーム」も過ぎて、「日南海岸」と宮崎の観光が斜陽の時代を迎えると、「サボテン公園」への客足も落ちた。「サボテン公園」から「サボテンハーブ園」としてリニューアルされたのも、「日南海岸」の観光名所のひとつとしての新たな魅力の創出を試みたものだっただろう。「サボテンハーブ園」へとリニューアルされた後も劇的に客足が戻ることはなかったが、古くからの知名度もあり、「日南海岸」を代表する観光地のひとつとしての役割を担ってきた。しかし、2004年夏、宮崎を襲った台風によって「サボテンハーブ園」も壊滅的な被害を受けた。復旧したところで客足が戻る期待もなく、園は営業継続を断念、2005年3月31日をもって休園、事実上の閉園へと至ったのだった。
サボテンハーブ園
カーヴの連続する海岸沿いの国道の脇に駐車場が設けられ、レストランと売店を兼ねた本館の建物があった。一階は売店でさまざまな土産物を取扱い、二階はレストランだった。昔ながらの「観光地の大食堂」的な雰囲気のレストランで、有名なサボテンのステーキもメニューに加えられ、また他のメニューにもサボテンの新芽をスライスしてかつおぶしと醤油で和えたものが添えられていた。「サボテンは食べられるのか」と思う人もあるかもしれないが、少々独特の風味はあるもののそれほどクセのある味ではない。サボテンのスライスなどは少々粘りけのあるところや味もオクラを思わせるところがあり、その食感を好む人も少なくないだろう。一階の売店ではサボテンのお菓子やお茶なども取り扱っており、物珍しさも手伝ってお土産に買い求める人も少なくなかった。
サボテンハーブ園 サボテンハーブ園
「サボテン公園」時代は「入園料」も必要無く、サボテンの植えられた斜面に散策路が辿っているだけの簡素なものだったが、後に「入園料」が必要となり、園内の施設も充実していった。バリアフリー化も進み、「スロープコンベア」なども設けられて入園ゲート付近から斜面中腹まで来訪者を運んでくれた。閉園直前の頃には斜面の中ほどに「サボテン温室」と「ブーゲンビリアの散歩道」の温室、さらに「メキシコ館」などが並んでいた。「サボテン温室」には70種2000本の珍しいサボテンが集められ、高さ七メートル、樹齢六百年という柱サボテン「弁慶柱」や、丸サボテンの「金鯱」の美しい姿が目を引いた。世界には2000種類ほどのサボテンが存在し、この「サボテンハーブ園」ではそのうちの500種類が見られたという。「サボテン温室」に隣接する「ブーゲンビリアの散歩道」は、その名が示すように14種類のブーゲンビリアを中心に、200本ほどの南国の草花を植栽した温室だった。亜熱帯性の樹木に包まれるようにして歩く散策路は南国の風情に溢れていて楽しいものだった。「メキシコ館」はマヤ、アステカ文明に関する資料などを展示し、さまざまな関連グッズを販売していた。サボテンと言えばやはりメキシコというわけだったのだろうか。

メキシコ館内の一部には「岩切章太郎館」が設けられていた。宮崎交通初代社長であり、「サボテンハーブ園」の生みの親である、「宮崎観光の父」と呼ばれた岩切章太郎氏の足跡を辿った資料を展示していたものだ。県外から観光に訪れた人々にはあまり興味の持てないものだったかもしれないが、岩切章太郎氏の功績を顕彰する意義は大きかった。
サボテンハーブ園 サボテンハーブ園
サボテンハーブ園 サボテンハーブ園
「スロープカー」が登りきった展望台は園内で最も高所にあたり、「サボテンハーブ園」のほぼ全景と海岸の磯辺、その向こうに大きく広がる太平洋を一望することができた。昔の展望台はコインを入れて一定時間作動するタイプの望遠鏡が設置されていた記憶があるが、後に「スカーレットベル」と名付けられた小さな白い建物が建てられた。その三角屋根の中に赤い鐘が下げられていることからその名となったのだろうと思うが、青い空を背景にした可愛らしい建物の姿はなかなかロマンティックな印象もあって、「鐘を鳴らすと願い事が叶う」というので、手を取り合って鐘を鳴らすカップルの姿が少なくなかった。素晴らしい景観を眺めながらふたりで鐘を鳴らすのは若いカップルにとって素敵なひとときであったことだろう。果たして願い事は叶ったのだろうか。
サボテンハーブ園
サボテンハーブ園 サボテンハーブ園
昔の「サボテン公園」時代は山の斜面にただサボテンの林があるだけの簡素なものだったが、それはそれなりに異国情緒溢れる雰囲気が楽しかったものだった。子どもの頃に訪れた「サボテン公園」はすいぶんと広かった気もするのだが、それは自分が子どもだったための錯覚だろう。リニューアルされた「サボテンハーブ園」は昔と少しばかり趣が違っていたような気もするが、山の斜面を埋め尽くす130万本のサボテンの景色はやはり圧巻だった。

日南海岸観光を楽しむために国道220号を車で通れば、かつては必ず「サボテンハーブ園」の横を通り過ぎることになり、サボテンの茂る山肌の景観に誘われて立ち寄る人もあっただろうと思うのだが、やがて富土トンネルが開通して国道は「サボテンハーブ園」の岬をバイパスして抜けてゆくようになり、通りがかりに立ち寄る人も少なくなってしまったような側面もあったのかもしれない。かつて日南海岸観光の一翼を担った「サボテンハーブ園」だが、閉園も時代の流れというべきか。多くの観光客で賑わっていた時代の「サボテン公園」を知る身では、その閉園はやはり寂しい。
サボテンハーブ園
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ページ内の写真は2002年夏に撮影したものです。本文は2009年2月に改稿しました。