福島県会津若松市の中心市街の東方、御薬園という庭園がある。歴代の会津藩主が愛したという大名庭園で、薬草園を有していたことからその名がある。残暑の続く九月上旬、御薬園を訪ねた。
御薬園
福島県会津若松市の市街地中心部の東方、鶴ヶ城から1kmほど離れたところに、御薬園という庭園がある。中央に心字池を置いた池泉回遊式の山水庭園で、会津の歴代藩主に愛された庭園だという。
御薬園
御薬園
御薬園
昔、葦名氏が会津に館(後の鶴ヶ城)を築いた頃のこと、喜助という村人が病に苦しんでいたところ、朝日保方という白髪の老人が鶴の舞い降りた泉で介抱し、喜助の病は無事治癒したという。それからすぐに朝日保方は亡くなってしまった。喜助は朝日保方を泉の辺に手厚く葬り、祠を建てて「朝日神社」として祀り、泉を「鶴ヶ清水」と名付けた。

室町時代から戦国時代にかけての頃、会津の地は三浦氏の流れを汲む葦名氏が治めていた。室町時代の1432年(永享4年)、葦名氏第十代当主の葦名盛久が、「鶴ヶ清水」の湧く地を霊地とし、別荘を建てた。1500年代の終わり頃には葦名氏は全盛期を迎え、第十六代当主の葦名盛氏が別荘を復興する。これが現在「御薬園」として知られる庭園の創始であるという。

その後は混乱の時代を迎え、やがて葦名氏は没落、滅亡へ向かうわけだが、その中で長くこの別荘は顧みられることはなかった。それを復興、再整備を施して保養所として使ったのが会津松平氏の祖、保科正之である。ちなみに、保科正之は徳川家康の孫で、家光の異母弟に当たり、幼少期は信濃の高遠藩主保科正光の子として育てられている。名君として名高く、有名な「会津家訓十五箇条」を定めたのも正之である。
御薬園
御薬園
江戸時代を迎えて1670年(寛文10年)、第二代藩主の保科正経が疫病から領民を守るため、園地に薬草園を造った。その薬草園で、第三代藩主の松平正容(正容の代から“松平”性の使用を認められている)が朝鮮人参の試植に成功、領民にも広く栽培を奨励した。その頃からこの園地は「御薬園」と呼ばれるようになったのだという。

1696年(元禄9年)、松平正容は小堀遠州(江戸時代初期の武将で茶人、作庭家でもある)の流れを汲む園匠目黒浄定と普請奉行辰野源左衛門に命じて園地を拡大、大規模な補修を施した。これによって園地はほぼ現在まで残る庭園の形になり、以後、御薬園は歴代の藩主に愛されてきた。

戊辰戦争の際には御茶屋御殿が新政府軍の戦傷者治療所として使われたために戦火を免れている。戊辰戦争後は新政府軍に没収されたということだが、若松の豪商長尾和俊が会津一円に募金を募って新政府軍から買い戻し、松平容保に献上したという。
御薬園
1932年(昭和7年)、御薬園は江戸時代の大名庭園の代表的な山水庭園として優秀なものであるとのことで、「会津松平氏庭園」として国の名勝に指定されている。さらに1979年(昭和54年)には旧薬園跡なども追加指定を受けている。一般公開が開始されたのは1953年(昭和28年)のことだという。
御薬園
御薬園
御薬園はほぼ長方形をした敷地で1.7ヘクタール(約5100坪)の面積を有し、園内からは北の飯豊山や東に連なる磐梯山や背炙山などの山容を望み、それらを借景として作庭されている。中央部には心字池を置き、その周囲に園路を巡らし、築山を設け、樹木を植え、茶亭を配した、いわゆる回遊式池泉庭園であり、この時期に造られた大名庭園として典型的な形式と言っていい。園内には園地の由来を物語る「鶴ヶ清水」と「朝日神社」が今も残っている。

今回訪れたのは夏の盛りを過ぎた九月の上旬、庭園は濃い緑に覆われていた。心字池の岸辺は美しい曲線を描き、築山や木々が風趣に富んだ景色を織り成し、場所によってさまざまに表情を変える庭園の美しさは飽きることがない。北東側に奥まった「女滝」付近から眺める庭園は殊更に美しく、御薬園の魅力を象徴するものと言っていい。訪れた日は残念ながら天候に恵まれず、借景の山々を見ることができなかったが、空気が澄んで晴れ渡った日であれば、庭園はまた違った表情を見せてくれるのだろう。
御薬園
庭園の中央部、心字池に浮かぶ亀島に「楽寿亭(らくじゅてい)」が設けられている。雅趣に富んだ外観が素晴らしく、庭園の景色にアクセントを添えて庭園美をいっそう際立たせている印象だ。この「楽寿亭」は藩主や藩の重役たちが納涼や茶席、密議のために用いたのだそうだ。「楽寿亭」と名付けたのは第三代藩主松平正容という。この「楽寿亭」、北側の濡れ縁には戊辰戦争の際の刀傷が今も残っている。訪れたときにはぜひ見ておきたい。
御薬園
御薬園
園内には、さまざまな樹木が植えられているが、心字池の西側の一角には見事な古木が並んでいる。推定樹齢500年、あるいはそれ以上という、コウヤマキやモミ、ヒイラギ、エゴノキといった木々が堂々とした姿を見せる。その樹齢から推測すれば、松平正容が改修を施した時に植えられたものか、あるいはそれ以前からあったものか。これらの木々は、この場所で静かに時代の変遷を見つめてきたのだろうか。

庭園の北西側には約300年前に建てられたという「御茶屋御殿」がある。戊辰戦争の際に新政府軍の戦傷者治療所として使われた建物だ。藩政時代は茶席や書院として使われていたらしい。今は資料室となり、売店を併設する。順路に従って時計回りに園内を巡れば、御茶屋御殿が“ゴール”だ。売店では会津土産や種々の資料本なども販売している。会津訪問の記念に何か買い求めるのもいいものだ。
重陽閣
庭園の北側、入口から入って左手に、大名庭園には不釣り合いにも思えるようなモダンな建物が建っている。「重陽閣(ちょうようかく)」という。そもそもは東山温泉の別棟として1928年(昭和3年)に建てられたもので、1973年(昭和48年)に現在地に移築されている。この建物は秩父宮ご一家がご成婚の際に宿泊されたもので、秩父宮妃勢津子殿下の誕生日が9月9日(重陽の節句)であることから、移築の際に勢津子妃自ら命名されたという。重陽閣内部には勢津子妃縁の品々を展示した部屋も設けられており、見学が可能だ。ティールームも併設しており、のんびりお茶を楽しめるのも嬉しい。

秩父宮夫妻の婚儀が行われたのは1928年(昭和3年)のことで、当時は皇族の妃は皇族か華族でなくてはならなかった。勢津子妃の父親は平民の身分であったため、いったん叔父である松平保男(子爵)の養女となり、華族の身分となってから婚儀に臨まれたという。

勢津子妃は明治維新の際に「朝敵」とされた松平容保の孫に当たる。当初、勢津子妃の父親は「畏れ多い」と辞退したそうだが、貞明皇后(大正天皇の皇后)が「ぜひに」と望まれたという。会津の旧藩士たちは「逆賊の汚名が晴れる」と涙を流して喜んだそうである。

戦後、勢津子妃は公務の傍ら、1939年(昭和14年)に設立された財団法人結核予防会(現在の公益財団法人結核予防会)の総裁を務められるなど、さまざまな分野の活動を支援されたことでも知られる。ちなみに、1994年(平成6年)からは秋篠宮妃紀子殿下が公益財団法人結核予防会総裁を務められている。1995年(平成7年)の8月、勢津子妃は薨去された。
重陽閣
重陽閣
薬用植物園
重陽閣の東側には薬用植物園が設けられている。藩政時代の薬草栽培地跡を利用して、1959年(昭和34年)に発足したものだそうだ。約400種類に及ぶ薬草、薬木が栽培されており、会津産のものが約200種類、貴重なものもあるという。御薬園の歴史を考えれば、やはりここも見ておかなくてはならないだろう。
薬用植物園
御薬園
御薬園
御薬園は、同時期に江戸に造られた大庭園などに比べれば、面積の点では小規模だが、美しさの点では決して劣るものではない。今回は夏の終わりの時期に訪れたが、初夏の深緑の頃や、秋の紅葉の頃の景色も素晴らしいに違いない。冬の雪景色も美しい景観であることだろう。四季折々の表情を見てみたいと思わせてくれる、見事な庭園である。

庭園としての美しさ、興味深い歴史的背景など、魅力は多く、会津若松の町を訪れたときには必ず立ち寄りたい場所のひとつと言っていい。
参考情報
御薬園は入園料が必要だ。開園時間や入園料など、詳細は会津若松観光ビューローのサイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

交通
御薬園はJR会津若松駅から3kmほど離れている。駅前から会津バスのまちなか周遊バス「あかべぇ」や「ハイカラさん」を利用するのが便利だ。どちらも会津若松駅前から30分ほどだが、東山温泉を経由しない「あかべぇ」なら15分ほどで着く。

御薬園には来訪者用の無料駐車場が用意されており、車での来訪も可能だ。入口前の駐車場は大型車優先で普通車用の駐車スペースが少ないが、普通車用駐車場が西側に設けられており、こちらは100台分近い駐車スペースがある。駐車場の位置など、詳細は会津若松観光ビューローのサイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

遠方から車で訪れる場合は磐越自動車道会津若松ICを利用するのが近い。会津若松市街に入って県道64号を南下してゆけば御薬園を指し示す案内標識が設けられている。県道64号から西側普通車駐車場へ入る交差点は御薬園入口への交差点とは異なるので注意が必要だ。

飲食
重陽閣で喫茶が可能だが、御薬園内に食事の可能なレストランなどは併設されていない。御薬園の周辺にも飲食店はない。食事は場所を移動して楽しもう。

周辺
御薬園から東へ1kmと少し辿れば会津武家屋敷、西へ向かえば1.5kmほどで鶴ヶ城だ。市街地中心部も西へ2kmほど、七日町駅へも3km足らずだ。北へ向かえば2kmほどで飯盛山だ。いずれも徒歩で回れる距離だが、周遊バスを使うのも便利だ。

会津若松市街の観光地巡りには会津バスのまちなか周遊バスを利用するのが便利だ。フリー乗車券を購入すれば当日は何度でも乗れる。車で会津若松市に訪れた場合も駅近くの駐車場に車を置き、まちなか周遊バスを使って市内を巡るのが気軽でお勧めだ。フリー乗車券は「会津バス駅前観光案内所」などで購入できる。詳細は会津バスのサイトを参照されたい。

車で訪れたなら、猪苗代湖畔へ足を延ばすのもいい。国道49号を東へ辿って、会津若松市街から30分ほどで湖畔に着く。
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