佳景探訪
江の島
神奈川県藤沢市の江の島は湘南を代表する景勝地であり、人気のある観光地だ。相模湾に臨む磯辺の景観も美しく、照葉樹の繁茂する島内には江島神社が鎮座する。連休初めの四月末、江の島を訪ねた。



江の島

江の島

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江の島

江の島
江の島は湘南を代表する景勝地であり観光地だ。知らない人はいないのではないかと思えるほど、その名は広く知られている。「江の島」は、狭義には神奈川県藤沢市の海岸沖に浮かぶ島のことを指し、行政上の地名の「江の島」も島内に存在するが、観光地として認知される「江の島」は、島だけでなく周辺の海岸も含めた地域を指しているように思える。江の島と海岸とは江の島大橋と江の島弁天橋によって結ばれており、“島”と言うより海に突き出た海岸の一部という印象もある。

小高い丘を成した島内には江島神社が鎮座し、その参道脇には数多くの飲食店や土産物店が建ち並ぶ。丘の頂上付近には展望灯台、いわゆる「江の島シーキャンドル」が建ち、その姿は今や江の島の象徴と言っていい。島内を辿る小径を進めば、やがて相模湾に面した南側の磯辺へと降りてゆき、美しい海原を眺めながらの磯遊びが楽しい。江島神社へ参拝し、シーキャンドルからの眺めを堪能し、磯遊びに興じた後は新鮮な海の幸を味わう。“江の島観光”はなかなか魅力的である。

江の島は、その縁起としてひとつの伝説が残っている。昔、鎌倉の深沢の湖に頭が五つある「五頭龍」が棲んでおり、大水を出し、山崩れを起こし、病を流行らせるなどして里人を苦しめていたという。里人は五頭龍を鎮めるために幾度も幼子を人身御供として差し出すが、五頭龍が鎮まることはなかった。腰越の地名は昔は「子死越」と書き、かつて幼子を五頭龍の生贄としたことの名残だという。欽明天皇13年(552年)4月12日、天変地異が土地を襲った。大地震が幾日も続き、やがて揺れが収まると、「子死越」の沖に忽然と島が現れていた。江の島である。生まれ出た島の上に、美しい天女が童女を引き連れて天から舞い降りた。五頭龍は天女の美しさに心惹かれて求婚するが、それまでの人々に対する非道な行いの数々を理由に天女は五頭龍の求婚を断った。その後、五頭龍は心を入れ替え、人々のために尽力するようになる(一説には天女が求婚を受け入れる条件として提示したともいう)。日照りのときには雨を降らし、嵐の時には風雨や大波から土地を守った。しかし、そのためか、五頭龍は力を失って次第に衰えてゆき、寿命が尽きることを悟って自らは山に姿を変えて里人と島を守ることにした。その山が現在の片瀬山で、土地の人は竜口山と呼び、社を建てて五頭竜を祀ったという。

伝説はあくまで伝説だが、地質学的に見ても江の島が海中から隆起してできた島であるのは事実のようで、今から十万年ほど前のことらしい。おそらくその頃に大きな地震があり、島が隆起するほどの大きな地形の変動があったのだろう。

江の島は古い時代から聖域だったという。江島神社の社伝によれば、欽明天皇13年(552年)に天皇の勅命によって島の岩屋に神を祀ったのが江島神社の始まりという。前述の伝説に於いて島が現れることになった大異変が起こるのも欽明天皇13年(552年)だから、この年に江の島にとって何らかの大きな出来事があったということなのだろう。伝承によれば江の島の開基は修験道の開祖である役小角ともいい、空海(弘法大師)や円仁(慈覚大師)も岩屋に籠もって祈願を行ったのだそうだ。そうした伝承の互いの関係や史実との関連を考えてみるのも楽しい。

平安の初期には金亀山与願寺という寺院が築かれ、以後、江の島は神仏習合の聖地として人々の信仰を集めてきた。源頼朝や北条氏、徳川家康といった時の権力者の崇敬も受けていたようだ。江戸時代には江島弁財天への信仰が人々に広まり、江島詣の人々で賑わったという。弁財天への信仰に加え、景勝地としての魅力が人々を惹きつけたのだろう。

明治維新を迎えると、神仏分離令によって金亀山与願寺が廃され、神道部分が江島神社となり、江島神社が弁財天信仰を引き継ぐ形になった。この時、廃仏毀釈の難を恐れて、弁財天像の何体かは近隣の寺へ持ち出されたという。

1887年(明治20年)、国営鉄道が横浜から 国府津まで開通して藤沢駅が開業、1889年(明治22年)には大船〜横須賀間も開通、鎌倉駅が開業した。その15年後の1902年(明治35年)、江之島電氣鐵道株式会社(現在の江ノ島電鉄株式会社)が藤沢〜片瀬(現在の江ノ島駅)間で開業、さらに1910年(明治43年)には小町駅(後に鎌倉駅と改称、現在の鎌倉駅とは場所が異なる)までの全線開業に至る。1927年(昭和2年)に新宿〜小田原間で開業した小田原急行鉄道株式会社(現在の小田急電鉄株式会社)は1929年(昭和4年)には大野信号所(当時は相模大野駅は未設置)〜片瀬江ノ島間を開業する。それらの鉄路の開通によって江の島観光も身近なものになり、訪れる観光客も増え、ますます景勝地として認知されていったようだ。

戦後になって、江の島弁天橋の完成、展望灯台の完成、江の島熱帯植物園(現在の江の島サムエル・コッキング苑)の開園、野外エスカレータ「エスカー」の完成、江の島大橋の開通といった種々の施設の整備拡充が重ねられて現在に至っている。2003年(平成15年)にはそれまでの旧展望灯台「平和塔」に代わって新しい展望灯台「江の島シーキャンドル」が完成、江の島熱帯植物園の跡地は「江の島サムエル・コッキング苑」として再整備されている。江の島の頂上付近に見えるシーキャンドルの姿も今ではすっかり江の島の新しいシンボルとして定着したように思える。

ところで、江の島は「江の島」という表記と「江ノ島」という表記が混在する。地名としては「江の島」だが、企業名などには(「江ノ島電鉄」、「小田急江ノ島線」、「新江ノ島水族館」など)「江ノ島」と表記するものも少なくない。また「江島神社」は「江島」の表記で「えのしま」と読む。古くは「江乃島」、「江之島」、「荏島」、「柄島」などとも書いたようで、要するに「えのしま」という「音」が重要なのだろう。
江ノ島電鉄江ノ島駅からすばな通りへ
江の島観光の鉄道での“入口”は、やはり江ノ島電鉄江ノ島駅か、あるいは小田急電鉄片瀬江ノ島駅だろう。小田急電鉄片瀬江ノ島駅の方が江の島には近いが、「江ノ電」に乗って江の島に訪れるということも、すでに“江の島観光”のひとつと言っていいかもしれない。

休日の江ノ電は江の島から鎌倉にかけての観光に訪れた人たちでたいへんに混み合っている。さらに混雑すると藤沢駅や鎌倉駅で入場制限が行われることもあるようで、混み合いながらもすんなり乗車できたのは幸運だったかもしれない。

江ノ島駅前から細い通りが江の島へ向かって延びている。通りには「すばな通り」という名がある。「すばな」は砂州の先端という意味での「州鼻」だろうか。「すばな通り」を大勢の観光客に混じって歩く。通り沿いには土産物店や飲食店などが 建ち並んでいる。現代的な意匠の新しい店舗もあるが、歴史の古そうな建物もある。そうした様子を眺めながら江の島へ向かっていると“観光気分”が高まって楽しい。
江の島/江ノ電江ノ島駅

江の島/すばな通り

江の島/すばな通り

江の島/すばな通り
江の島弁天橋を渡って江の島へ
すばな通りを抜け出ると眼前に視界が開け、相模湾に突き出た江の島の姿が正面に見える。西側、境川(この辺りでは片瀬川とも呼ばれる)の対岸には小田急電鉄片瀬江ノ島駅があり、人道橋が川の両岸を繋いでいる。小田急を利用して訪れた人たちと合流し、江の島へ向かおう。海岸に沿って延びる国道134号線には横断歩道は無く、歩行者は国道の下をアンダーパスでくぐってゆく。

江の島へ向かって延びた砂州の上に広い舗道が延びている。舗道脇にはワシントン椰子が植生され、南国ムードだ。舗道の西側はステップが設けられて境川河口部の入江を臨み、江の島南岸の磯辺とを繋ぐ渡し舟の発着所も設けられている。

砂州に設けられた舗道の先には弁天橋が架けられて江の島とを繋いでいる。弁天橋は、1949年(昭和24年)、それまでの木造の桟橋に代わって架橋されたもので、1958年(昭和33年)に全面コンクリート造りの橋になっている。当時は有料の橋だったそうだが、1962年(昭和37年)に「江の島大橋」が完成し、それに伴って無料化、現在は人道橋として使用されている。江の島へ向かう大勢の観光客が弁天橋を渡ってゆく。東側に平行する江の島大橋では島内の駐車場へ向かう車が長蛇の列を成している。

弁天橋から西へ遠く視線を向けると、相模湾の向こうに雪を頂いた富士山の姿がくっきりと浮かび上がっている。富士山の下に見える海岸線は大磯の辺りだろうか。眼下の入江では水上オートバイを楽しむ人たちの姿があり、堤防が延び、その向こうには海岸線が遠く見え、それらのさらに向こうに富士山が浮かぶ。それらの織り成す風景がたいへんに美しい。
江の島/国道交差点

江の島/江の島への舗道

江の島/渡し舟発着所

江の島/弁天橋入口

江の島/弁天橋から見る富士
参道を辿って江島神社へ
弁天橋を渡りきるといよいよ江の島だ。周辺には土産物店などが建ち並び、観光客で賑わっている。奥へ向かって江島神社への参道が延び、その入口には大きな青銅の鳥居が建っている。鳥居が創建されたのは1747年(延亨4年)のことで、現在のものは1821年(文政4年)に再建されたものという。藤沢市指定重要文化財である。

青銅の鳥居をくぐって参道を進む。青銅の鳥居から200m近く進むと赤い鳥居が建っており、そこから丘へ石段が上がっている。江の島の島内はなかなかの高低差があり、頂上までは数多くの石段を上らなくてはならない。その不便を解消するため、1959年(昭和34年)に「江の島エスカー」と呼ばれる野外エスカレーターが設けられた。現在は3基のエスカーが鳥居横から頂上付近までを繋いでいる。利用は有料だが、老齢の方や家族連れなど、利用者は多いようだ。エスカーも利用してみたいが、今回は石段を登っていこう。石段を上りきれば江島神社だ。

江島神社は辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)、奥津宮(おくつみや)の三宮から成り、それらを総称して「江島神社」と呼び、さらに島内には龍宮(わだつみのみや)や岩屋(いわや)なども祀られている。辺津宮は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)を、中津宮は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を、奥津宮は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をそれぞれ御祭神として祀る。この三柱の神々は姉妹神で、福岡県の宗像大社に祀られる三女神、いわゆる「宗像三女神」である。この神々が神仏習合によって弁財天と同一視されるようになり、海の神、水の神、芸の神、財の神として人々の信仰を集めて今日に至っている。
江の島/青銅の鳥居

江の島/江島神社参道

江の島/江島神社参道

江の島/江島神社参道

江の島/江島神社参道
江島神社辺津宮
参道を辿って最初に辿り着くのが辺津宮(下之宮)である。辺津宮は1206年(建永元年)に源頼朝が創建したという。権現作りの重厚な社殿は1976年(昭和51年)の改修の際に新築されたものだそうだ。

社殿の前には人の背丈を超える大きさの“輪”が置かれているが、これは「茅の輪」と呼ばれ、傍らに置かれた人形(ひとがた)の和紙に住所、氏名、年齢を書いて古歌を唱えながら茅の輪をくぐれば罪穢(つみけがれ)を祓うことができるというものだ。車の形をした和紙も置かれており、車のナンバーを書いてくぐれば交通安全祈願になるという。今回訪れたときにも茅の輪をくぐって参拝しようという人たちの列が順番を待っていた。

辺津宮の境内には八臂(はっぴ)弁財天と妙音(みょうおん)弁財天を安置した奉安殿が建っている。妙音弁財天は裸弁天の異名を持つ半裸の弁天様で、「日本三大弁財天」のひとつである(ちなみに、日本三大弁財天の他のふたつは琵琶湖北部に浮かぶ竹生島に祀られる弁財天と安芸の宮島に祀られる弁財天とされる)。弁天様を拝観するには拝観料が必要だが、一度はお姿を拝見しておきたい。

境内には「むすびの樹」と名付けられた御神木の大銀杏が枝を広げている。二本の幹の根方がひとつに合わさっているのでそう呼ばれるようになったものだが、その姿から良縁を招くと信仰されるようになったものという。「むすびの樹」の根方は良縁を祈願して奉納された絵馬が周囲を取り囲んでいる。良縁を望む人は祈願してゆくといい。

御神木の脇、木々の間から眼下に弁天橋から境川河口部の景色を一望でき、片瀬山の姿もよく見える。その眺めも楽しんでおきたい。
江の島/江島神社辺津宮

江の島/弁財天奉安殿

江の島/むすびの樹

江の島/辺津宮境内から見る江の島大橋と弁天橋

江の島/むすびの樹
江島神社中津宮
辺津宮の境内から南へ真っ直ぐに舗道が延びている。途中、舗道脇には花壇が設けられ、季節の花々に彩られている。花壇の脇には木製の展望デッキがある。デッキの上からは東に視界が開け、江の島東岸のヨットハーバーを見下ろし、その向こうに相模湾と三浦半島のシルエットを一望する。なかなか爽快な眺めだ。

その展望デッキの西側、木々に包まれて江島神社中津宮が鎮座している。中津宮は853年(仁壽3年)に創建されたものという。社殿は1689年(元禄2年)に改築されたものだそうだ。朱塗りの社殿は新しいもののようにも見えてしまうが、1996年(平成8年)に改修されて1689年(元禄2年)当時の姿が再現されたものという。朱塗りの社殿が木々の緑や空の青に映えて、ひときわ鮮やかな景観を見せている。
江の島/中津宮前花壇

江の島/中津宮前展望デッキ

江の島/江島神社中津宮
サムエル・コッキング苑入口前
中津宮を後にしてさらに進むと、飲食店などの並ぶ中を舗道は大きく右手に曲がり、島の南岸部分に沿って西へ辿るようになる。そのまま進むとすぐに視界が開ける。この辺りが江の島の頂上、舗道の右側にはサムエル・コッキング苑がある。サムエル・コッキング苑入口前は展望所を兼ねた小公園スペースとして整備されており、江の島散策の一休みに良いところだ。

ここにはかつて「江の島ガーデンパーラー」という施設があったが、2011年(平成23年)10月末に閉鎖され、その跡地と、隣接していた亀ヶ岡広場とを統合して再整備、2012年(平成24年)3月に現在の姿にリニューアルオープンされたものという。

かつての亀ヶ岡広場には現在は展望デッキが設けられ、そこから爽快な眺めを堪能することができる。眼下に磯辺を見下ろし、広がる海原には行き交う船が航跡を描き、遠く水平線が初夏の日差しに霞んでいる。西に視線を向ければシーキャンドルの姿が間近に見える。西に遠く、相模湾の向こうに富士山の姿も見ることができる。潮風に吹かれながら眺めを楽しんでいると時の経つのを忘れる。

展望デッキの西側はガーデンスペースになっており、大きなパラソルが立てられた下にテーブルが置かれている。一角には軽食を販売する売店もあり、のんびりと一休みするのに絶好の場所だ。奥まった南側には「iL CHIANTI CAFE」という飲食店が建っている。片瀬海岸にある「iL CHIANTI BEACHE」の姉妹店だそうだ。ハンバーガーやカレー、パスタ、ピッツァなどが楽しめる。海を眺めながらお洒落なランチタイムを過ごせそうだ。

江の島に訪れたならサムエル・コッキング苑にもぜひ立ち寄っておきたいところだが、それはまた次の機会の楽しみということにして、今回は敢えて立ち寄らずにおこう。
江の島/サムエル・コッキング苑前のテラス

江の島/展望所からの景観

江の島/展望所からの景観

江の島/展望所からの景観

江の島/サムエル・コッキング苑前のテラス
江島神社奥津宮
サムエル・コッキング苑入口前からシーキャンドルを右手に見上げながら道を進むと、土産物店が両脇に並んだ一角を抜けてゆく。東側の丘と西側の丘とを繋ぐ尾根道のような形のところで、途中、南側には深く入り込んだ磯辺を見下ろすこともできる。

土産物店の建ち並ぶ一角を抜け出ると江島神社奥津宮だ。奥津宮の社殿は辺津宮や中津宮のそれと比べると質素な印象を受ける。しかし奥津宮に祀られる多紀理比賣命は江島神社に祀られる「宗像三女神」のうちの一番上の姉神で、かつては本宮、あるいは御旅所(おたびしょ)と呼ばれ、壮麗な社殿を誇っていたという。その社殿は1841年(天保12年)に焼失、その翌年に再建されたのが現在の社殿であるらしい。2011年(平成23年)には社殿の修復が行われたそうだ。

奥津宮の境内には龍神を祀った龍宮(わだつみのみや)も鎮座している。龍宮にもぜひ参拝しておきたい。
江の島/奥津宮参道

江の島/江島神社奥津宮

江の島/江島神社龍宮
稚児ヶ淵
江島神社奥津宮からさらに辿ってゆくと、飲食店などの並ぶ横を抜けて、やがて急な石段を下りてゆく。下りていった先は江の島西南端に位置する磯辺だ。

この磯辺には「稚児ヶ淵」という名がある。鎌倉時代のある時、建長寺広徳庵の僧、自休は江の島の山頂近くで老翁と稚児の二人連れに出会う(稚児とは寺院で僧侶の世話をする少年のことである)。自休はその稚児を見るなり、その可憐な美しさに心奪われてしまう。自休が稚児の名を問うと「鎌倉相承院の白菊と申す者です」と老翁が答えたが、白菊を見る自休の妖しい眼光に、白菊と老翁は不気味な恐れを感じたという。

その日以来、自休は白菊のことが忘れられず、思慕は募るばかりだった。自休は幾度も白菊に便りを送り、ついには相承院に白菊を訪ねる。しかし白菊が自休の想いに応えることはなかった。自休もまた僧の身、しかも相手は男子、所詮は道ならぬ恋慕である。白菊は自休の異様な恋慕に思い悩み、やがて苦悩の末に江の島に渡り、海に身を投じたという。

白菊は江の島に渡る際、渡し守に扇子を託した。扇子には「白菊を忍ぶ里の人とはば思い入り江の島とこたへよ」「うきことを思い入江の島かげにすつる命は波の下草」と、辞世の歌が書かれていた。その歌を見て白菊の死を知った自休は悔恨と悲哀のあまり、白菊の後を追って同じ淵に身を投げたという。白菊を憐れんだ人々は、白菊が身を投げた磯辺を「稚児ヶ淵」と呼ぶようになったそうである。

大正初期まで、この地には白菊の碑があったそうだ。今はただ「かながわの景勝50選 江の島稚児ヶ淵」と記された碑があり、その名の由来は伝説の中に残るのみである。

太平洋に面して垂直に切り立つ崖と、その下に棚のように広がる岩場の磯辺、稚児ヶ淵の荒々しくも美しい景観は太古に隆起した地層が波に浸蝕されてできたものだ。潮が引けば絶好の磯遊びの場所となり、家族連れなどで大いに賑わう。あちこちの潮溜まりでは楽しそうに覗き込む子どもたちの姿がある。

眼前には水平線が横たわり、東へ目を向ければ三浦半島の海岸線が延びる。西は遠く相模湾の向こうに伊豆半島の姿が朧に見え、そのさらに向こうに富士山の姿を見ることもできる。海原には遠く近く、ヨットや遊覧船の行き交う姿がある。それらの織り成す風景は美しく、海風に吹かれながら歩けば爽快な気分を味わうことができる。景勝地、行楽地としての愉しみを存分に楽しめると言っていい。

磯辺には舗装された舗道が東側へと辿り、「岩屋」へと通じている。岩屋は崖下に穿たれた海蝕洞だが、そこへ神を祀ったのがそもそもの江島神社の始まりだ。岩屋内部を見学するには入洞料が必要だが、興味のある人は見学していくといい。今回訪れたとき、入洞の順番を待つ人の列があまりに長かったため、入洞を断念した。

磯辺を西側に回り込むと、弁天橋とを繋ぐ渡し舟の船着き場がある。弁天橋から稚児ヶ淵まで、島内を辿って歩くと相当の距離があり、高低差もある。往路か復路かのどちらかで渡し舟を利用してみるのもよいかもしれない。
江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵

江の島/稚児ヶ淵
江の島東岸
江の島の東岸が埋め立てられ、ヨットハーバーや湘南港が設けられたのは1960年代初期のことで、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックのヨット競技の会場として使用するために整備されたものだ。江の島大橋を渡ってきた県道305号線が江の島東岸に延び、その東側にヨットハーバーや湘南港がある。

県道305号線沿いは現代的な風景だが、その西側県道と平行して昔ながらの町並みの中に細い路地が抜けている。そもそもはここが江の島に暮らす人たちの町であり、細い路地はその町の中心を抜ける道だったのだろう。町には今も島の人たちの暮らしが静かに息づいている。

路地沿いには飲食店や民宿、釣りの餌を扱う店などが点在している。食料品や雑貨を扱う商店は、観光客ではなく島に暮らす人たちのための店だろう。江の島参道が大勢の観光客で賑わうときにも、こちらの路地にはあまり人の姿はなく、のんびりとした町散歩が楽しめる。奥まったところに店を構える地魚料理の店はなかなか有名な店らしく、幾人もの人たちが席が空くのを待っている。その列に並び、30分ほど待って新鮮な地魚を味わった。待った甲斐のある味わいだった。

路地から抜け出ると現代的でお洒落な意匠のお店も建っていて、その店先の様子もリゾート感を漂わせて素敵だ。江島神社参拝の後はのんびりと江の島の町散歩を愉しむのもお勧めだ。
江の島/江の島の町

江の島/江の島の町

江の島/江の島の町

江の島/江の島の町
北緑地広場
江の島大橋の袂、海を臨んで北緑地広場という公園が設けられている。“観光名所”と言うよりは、観光に訪れた人たちがのんびりと一休みするのに良い場所だろう。芝生の広場に腰を降ろせば目の前は片瀬東浜、さらに東に視線を向ければ七里ヶ浜から葉山方面へと海岸線が延びる。海の上にはヨットやセイルボードの帆が日差しを浴びて輝いている。リゾート感溢れる風景を眺めていると時の経つのを忘れる。

緑地内には噴水を設けた池がある。この池には「弁財天と世界女性群像」という五体のブロンズ像が設置されている。これらのブロンズ像は日本芸術院会員の著名な彫刻家、加藤顕清の作品で、1964年(昭和39年)に東京オリンピック開催を記念して造られたものだそうだ。加藤顕清は1966年(昭和41年)に亡くなっているが、晩年は藤沢市に暮らしていたという。北緑地と噴水池は1998年(平成10年)に「かながわ・ゆめ国体」が開催されたのを機に再整備、現在の形になったのは2000年(平成12年)のことらしい。
江の島/北緑地広場

江の島/北緑地広場

江の島/北緑地広場からの景観
片瀬東浜
江の島の対岸の海岸を片瀬海岸という(「片瀬海岸」という町名も存在する)。このうち江の島へ繋ぐ江の島大橋と弁天橋の西側を西浜、東側を東浜と呼び、それぞれ海水浴場として夏の海水浴シーズンには大勢の海水浴客で賑わっている。西浜は江の島との間に境川の河口や片瀬漁港があるために少しばかり隔たっているように感じられるが、東浜は江の島と一体化している印象がある。

夏になると海水浴場として賑わう片瀬東浜だが、今は浜辺を散策する人たちがのんびりと行き交っている。すっかり暖かくなった陽気に誘われて波打ち際で遊ぶ家族連れの姿もある。沖にはボードセイリングや小型のヨットの帆が浮かび、観光地としての“湘南”を象徴する風景と言っていい。

片瀬東浜と江の島とは通常は波に隔てられ、橋を渡らなくては江の島へ行き来することができないが、大潮の干潮時などには波下から砂州が現れて地続きになることがある。島を回り込んで東西から打ち寄せる波によって堆積した砂州が干潮時に現れて海岸と島とを繋ぐ現象で、「トンボロ(陸繋砂州)」と呼ばれる。トンボロは江の島に特有のものではなく、日本国内では静岡県西伊豆の三四郎島や香川県小豆島の大余島、福岡市の海の中道、鹿児島県指宿市の知林ヶ島などが広く知られている他、規模の小さなものは各地に存在し、砂州がそのまま恒常的に島を繋いで完全な陸繋島となったものもある。

訪れた日、午後の早い時刻に運良くこの「トンボロ」現象を体験することができた。江の島大橋のやや東側、片瀬東浜がそのまま延びる形で完全に江の島と繋がっていた。江の島の北緑地広場下まで砂浜が繋がっており、(あまりほめられたものではないが)緑地の岸壁から手摺りを乗り越えて砂浜に下りる人の姿も少なくなかった。

江の島で「トンボロ」が現れるのは年に数回程度だそうだ。片瀬西浜に位置する新江ノ島水族館では「江の島に続く不思議な道〜トンボロを歩こう〜」という体験プログラムを実施している。興味のある人は参加してみるといい。
江の島/片瀬東浜

江の島/片瀬東浜

江の島/片瀬東浜

江の島/片瀬東浜

江の島/片瀬東浜

江の島/片瀬東浜


江の島

江の島

江の島
様々な伝説を残し、信仰の対象だった江の島。古くから風光明媚な景勝地として知られ、今も国内屈指の観光地として多くの観光客が訪れる。江島神社に参拝し、美しい景観を楽しみ、磯辺で遊び、新鮮な海の幸を味わえば、江の島の魅力を存分に堪能できるだろう。周辺にも多くの景勝地、観光地が点在し、家族連れの行楽にも、カップルのデートにも、あるいは独りでのんびりと散策に訪れても、どのような楽しみ方にも応えてくれる。昔ながらの風情を残す港町の佇まいは町歩きの好きな人にも楽しめる。

行楽シーズンの週末や休日には観光客もたいへんに多く、都内の繁華街を思わせる賑わいだが、それもまた湘南を代表する観光地としての風情のひとつだろう。あまりに有名であるために、あるいはあまりの人出の多さに、江の島に訪れるのを敬遠する人もあるのではないかと思うが、しかしやはり機会を設けて訪ねてみたい。訪ねてみれば、“行楽”というものの愉しみを存分に味わうことができる。さすがに、江の島、である。
参考情報
交通

江の島へは小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅や江ノ島電鉄の江ノ島駅、湘南モノレールの江の島駅などが近い。小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅からは徒歩で10分強、江ノ島電鉄江ノ島駅、湘南モノレール江の島駅からは徒歩20分ほどだ。

行楽シーズンの休日には江ノ電は大変に混み合う。藤沢駅や鎌倉駅では入場制限が行われることもあるようだ。

車で訪れる場合には藤沢市街中心部(藤沢駅周辺)から国道467号線を南下するか、国道134号線を茅ヶ崎方面から東進、あるいは鎌倉市方面から西進するルートになるだろう。東京方面から来る人は横浜新道から国道1号線を経由して藤沢市街に入り、国道467号線を南下するルートがわかりやすい。遠方から東名高速道路を利用して訪れる場合は厚木ICを降りて国道129号線を南下、平塚市から国道134号線を東進するルートがわかりやすいかもしれない。ただし、どのルートも休日には大変に混み合い、江の島に近づくほど渋滞がひどくなる。

駐車場は江の島にも設けられているが、行楽シーズンの休日には駐車待ちの列が並び、江の島に入ることさえままならない。国道134号線沿いなどに点在する他の駐車場を利用することも検討した方がいい。

飲食

江の島内には観光客向けの飲食店や土産物店が多数ある。観光客の多い休日のお昼時にはどの店も順番待ちの列が並ぶ。早めに目当ての店を決めて列に並んだ方がいい。やはり地獲れの魚介類を味わうのがお勧めだろう。しらす漁が解禁になる春は「生しらす」が江の島名物だ。ぜひ味わっておきたい。

遠足気分でお弁当などを用意し、磯辺の岩の上にシートを広げてのランチタイムも楽しいものだ。海を眺めながらのランチは格別に美味しい。

周辺

江の島の西、境川を片瀬橋で渡った海岸は湘南海岸公園だ。新江ノ島水族館も公園内に建っている。時間に余裕があれば立ち寄っておきたい。

藤沢市の中心部から鎌倉市の中心部を繋ぐ江ノ島電鉄は鉄道ファンでなくても乗ってみたいところだろう。江ノ電に揺られて鎌倉方面へ足を延ばすのもお勧めだ。
江の島

江の島

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