佳景探訪
海野宿
長野県東御市の西端、千曲川の辺にかつての北國街道の宿場町、海野宿がある。今でも古い時代の建物が建ち並び、興趣に富んだ景観を見せる。晴天に恵まれた九月の初旬、海野宿を訪ねた。



海野宿

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿
北國街道の宿場として海野宿が開かれたのは1625年(寛永2年)のことだそうだ。北國街道は江戸幕府が整備した脇往還のひとつで、追分宿で中山道から岐れ、善光寺を経て越後へ至っていた。北陸の諸大名が参勤交代に使った街道であり、佐渡で採れた金を運ぶ道でもあった。そしてまた善光寺参りの道でもあり、江戸からの往来も多かったという。

海野宿は東西に置かれた枡形の間が約六町(650メートル)、街道のほぼ中央には用水が引かれ、両脇には旅籠屋や伝馬屋敷が建ち並んでいた。1742年(寛保2年)の大洪水では隣接する田中宿が被災したため本陣が海野宿に移され、その後、海野宿はさらに賑わったという。ちなみに1742年(寛保2年)の大洪水とは本州中央部全体を襲った大水害のことで、江戸も大きな被害を受けた。いわゆる「寛保二年の江戸洪水」である。

明治期になると宿駅制度が廃止され、宿場としての役割を終えたが、家々は宿場時代の建物を利用して養蚕業や蚕種業を始め、これも大いに栄えたという。財を成した者たちは建物を改築したが、表構えは宿場風に残したため、結果的に宿場時代の町並みの風情が色濃く残ることになった。

現在の海野宿には宿場時代の旅籠屋造りの建物と明治期以降に建てられた蚕室造りの建物とがうまく調和しながら混在して残り、伝統的家並みを残す貴重な歴史遺産としての町並みを形成している。その美しさと歴史的価値によって、1986年(昭和61年)には「日本の道百選」のひとつに選定され、さらに1987年(昭和62年)には「重要伝統的建造物群保存地区」の指定も受けている。

海野宿の中を抜ける旧北國街道は車両の通行も可能な一般道だが、ほとんど車の通行はない。ときおり地元の人の車や観光客の車が通りすぎるだけだ。線路を挟んだ北側に国道18号線が東西に延びており、交通網の一部としての道路の役割はそちらに譲った形なのだろう。それによってこうして古い町並みが残される結果になったのに違いない。

東西650メートルに及ぶ海野宿の町並みはとても静かな佇まいだ。家々の中には蕎麦屋を営んでいるところもあるが、観光客目当ての土産物屋などが建ち並んでいるわけではなく、観光地的な喧噪を感じることもない。大勢の人々が行き交った時代はすでに遠く、歴史のひとこまを伝えながら、今はただ静かに人々の暮らしが続いているのだろう。

そのような海野宿の町並みは、たいへんに興趣に富んだ景観を見せてくれる。真っ直ぐに延びる旧街道に沿って古い建物が並ぶ様子は圧巻と言っていい。道のほぼ中央に流れる用水の風情もいい。地元の人が植えたものか、用水脇には花々が咲いている。そのような景観を眺めながらのんびりと歩くのも楽しく、一軒一軒の建物を見学しながら、細部にまで注意を向ければさらに興味は尽きない。宿場として賑わっていた時代や養蚕業で栄えた時代の様子を思い浮かべながら歩けば、なおいっそう楽しい。街道から横へ延びる路地の佇まいもいい。路地の奥に目を凝らしてふと立ち止まれば、賑わっていた時代の人々のさんざめきがどこからか聞こえてくるような気もする。
海野格子


海野宿/海野格子
宿場時代の旅籠屋造りの建物には「海野格子」と呼ばれる特徴的な格子が施されているという。二階の出格子部分に見られる、長短2本ずつを組んだ格子で、海野宿特有のものだそうだ。
卯建


海野宿/卯建

海野宿/卯建
海野宿の建物は見事な卯建(うだつ、「卯立」とも書く)が見られることでも知られる。卯建は建物の両脇に張り出して造られる壁のことで、本来は火災の際に隣からの延焼を防ぐ目的で設けられる、いわば「防火壁」だが、財力のある家でなければ卯建を設けることができなかったため、富を示すための装飾としての意味合いが強かったようだ。慣用句の「うだつがあがらない」はこれに由来している。

卯建は特に海野宿に特有の建築様式というわけではないが、立派な卯建がよく残っており、たいへんに見応えがある。宿場として賑わった時代から養蚕で栄えた明治期以降にかけて、海野宿がそれだけ経済的に栄えたことの表れだろう。卯建には「本卯建」と「袖卯建」の二種があり、「本卯建」は江戸時代のもの、「袖卯建」は明治時代のものだそうである。

気抜き


海野宿/気抜き
海野宿の建物の中には、屋根の上にさらに小さな屋根が載せられたような構造のものがある。これは「気抜き」と呼ばれるもので、小屋根の下の板戸が開閉できるようになっているそうだ。それによって室内の温度調節を行ったもので、養蚕業を営むための構造だったらしい。


海野宿/白鳥神社

海野宿/白鳥神社

海野宿/白鳥神社
海野宿の東端には白鳥神社が鎮座している。海野氏の祖とされる貞元親王、善淵王、海野広道を祀り、古くから近在の人々の産土神(うぶすながみ、土地を守護する神)として信仰を集めてきた神社だという。

古代、東征に赴いた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、その帰りにこの地に滞在したというので白鳥神社の名があるという。日本武尊は東征からの帰途、伊勢の国で亡くなったが、このとき白鳥に化身して飛び去ったという伝説がある(この「白鳥」は「はくちょう」のことではなく、白鷺なども含めた「しらとり」である)。日本武尊の化身である白鳥はこの地にも降り立ったそうである。

境内には欅や杉、槐(えんじゅ)などの大木が葉を茂らせ、少し離れて神社を見ると鬱蒼とした木々に覆われているように見える。これらの木々は「白鳥神社の社叢(しゃそう)」として東御市の天然記念物にもなっている。「社叢」とは難しい言葉だが、いわゆる「鎮守の森」のことだ。その中でもひときわ目を引くのは拝殿前に聳える御神木の欅だろう。胸高周囲約5.8m、樹高30mという堂々としたもので、樹齢は700年を超えるという。

海野の人々に古くから信仰されてきた白鳥神社、海野宿を訪ねたときにはぜひ参拝しておきたい。


千曲川
海野宿のすぐ南側には千曲川が流れている。特に東端の白鳥神社前から道路を渡れば千曲川の流れを見下ろすことができる。この、白鳥神社前の河原は「白鳥河原」といい、「木曽義仲挙兵の地」として知られている。1181年(治承5年)、木曽義仲27歳のとき、平家追討のため、この地に挙兵した。三千余騎が集結したという。概略を記した解説板が白鳥神社境内に設置されている。興味のある人は目を通しておくといい。
参考情報
交通

鉄道で海野宿へ訪れる場合はしなの鉄道の大屋駅や田中駅を利用するとよい。大屋駅からは東へ徒歩で15分ほど。田中駅からは西へ、こちらは少し距離があり、徒歩で30分弱といったところか。

車で訪れる場合は上信越自動車道を東部湯の丸ICで降り、県道81号線を南下、国道18号線を西へ辿り、「海野宿入口」交差点で南へ折れて数百メートル進むと海野宿の東端部に設けられた駐車場がある。国道18号線を上田市方面から東進してきた場合も「海野宿入口」交差点から入るのがわかりやすいだろう。駐車場の料金などは東御市観光協会サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい。

飲食

海野宿にも蕎麦屋などがあるが数は少ない。大屋駅近辺や国道18号線沿いに飲食店が点在しているので、少し移動してもよいだろう。

周辺

海野宿から西へ10km弱で上田市だ。上田市は真田昌幸が築いた上田城の城下町で、上田城跡旧北國街道沿いの古い町並みなどが残っている。東へ辿れば10km強で小諸市だ。小諸城跡を整備した懐古園、小諸城の大手門を残して整備した大手門公園などがある。どちらもぜひ訪ねてみたいところだ。車なら国道18号線を、鉄道ならしなの鉄道を利用すれば、どちらもそれほど時間はかからない。

海野宿
海野宿

関連する他のウェブサイト

関連する他のコンテンツ


町散歩
長野散歩