佳景探訪
谷中
東京都台東区谷中は下町風情漂う町として人気だ。商店が並んで賑わう谷中銀座から築地塀の延びる寺町まで、常に多くの人たちが散策を楽しんでいる。秋の空気が心地良い十月半ば、谷中を訪ねた。



谷中

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東京都台東区谷中は、今や全国規模の知名度を誇る町なのではないか。下町風情が今も残り、散策の楽しい町として人気を集め、常に多くの人たちが谷中の町を訪れる。日本情緒を求めてか、外国人観光客の姿も少なくない。すっかり“観光地”として認知されていると言ってもいい。

谷中は東京都台東区の北西端に位置する町で、わかりやすく言えば上野恩賜公園の北側になる。数多くの寺が建つ“寺町”であり、谷中銀座をはじめとした商店街は今も下町風情を色濃く残し、それが人気を集めてよく知られるようになった。西側には文京区の千駄木と根津の町が隣接し、それらも下町風情を残した町であることから、三者を合わせて“谷根千”と呼ばれて、さらに人気を集めるようになった。

谷中、根津、千駄木の辺りが「谷根千」と呼ばれて注目を集めるようになったのは時代が平成になってからのようだ。1984年(昭和59年)に地域雑誌「谷中・根津・千駄木」が創刊され、それを略して「谷根千」という名称が生まれたらしい。「谷根千」の町の魅力が広く認知されていった要因として、この地域雑誌が果たした役割も大きい。

1996年(平成8年)4月から1996年(平成8年)10月まで放送されたNHKの連続テレビ小説、いわゆる“朝の連ドラ”の第54作目「ひまわり」で、この「谷根千」の辺りが舞台となった。それによって「谷根千」の魅力がさらに知られるようになったようだ。ちなみに「ひまわり」は松嶋菜々子が主演、主題歌は山下達郎の「DREAMING GIRL」だった。

その人気が物語るように、谷中は町歩きの好きな人にとってはとても魅力的なところだ。個人商店が建ち並んで賑わう谷中銀座などの商店街の風情や築地塀(ついじべい)と呼ばれる特徴的な塀が延びる寺町の佇まい、細く延びた路地の興趣など、谷中の町はさまざまな表情を見せて、気の向くままに歩けばいろいろな発見もあって楽しい。また谷中は“猫の町”としても知られ、散策途中で猫に出会うことも多く、猫のオブジェも目にすることが少なくない。猫好きの人にとっても魅力的な町なのだ。

谷中銀座の賑わいや、夕焼けだんだんと呼ばれる石段、寺町の築地塀、みかどパン店横のヒマラヤ杉など、谷中を訪れたならぜひ見ておきたい風景もいくつか存在するが、それらを巡り歩くだけではもったいない。気分に任せ、横道に入り込んでみたり、気になったお店に立ち寄ってみたりしながら、のんびりと町の風情を楽しむのが、谷中散策の醍醐味だろう。町散策好きな人なら、絶対に一度は訪れておかなくてはならないところだと言っていい。
夕やけだんだん


谷中/夕やけだんだん
日暮里駅から御殿坂を上って200mほど辿ると、道は階段になって下っている。降りた先には谷中銀座の商店街が延びている。この階段が、有名な「夕やけだんだん」である。階段が西に向いて降りているために階段上から見る夕刻の景色が美しく、そのことから命名されたのだろうということは容易に推測できる。この名は1990年(平成2年)に公募され、谷中在住の森まゆみ氏の案が採用されたものという。ちなみに森まゆみ氏は地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を制作した「谷根千工房」のメンバーのひとりである。

「夕やけだんだん」の名も谷中の名と共に広く知られるようになったが、実は「夕やけだんだん」は谷中の町には位置していない。「夕やけだんだん」のすぐ南側を下る「七面坂」という坂道がちょうど台東区と荒川区とのの区境になっており、「夕やけだんだん」は荒川区西日暮里三丁目の町に位置しているのだ。しかし谷中を訪れる人にとっては、そんなことはあまり関係の無いことかもしれない。日暮里駅から谷中へ向かう人にとって、「夕やけだんだん」は一種の“谷中へのエントランス”的な役割を果たしていると言っていい。「夕やけだんだん」は高低差約4m、長さは約15m、段数は36段だそうである。
谷中銀座


谷中/谷中銀座

谷中/谷中銀座

谷中/谷中銀座
「夕やけだんだん」を降りた先、西に延びる商店街が谷中銀座だ。谷中銀座は全長170m、そこに70ほどの店舗が軒を並べる。下町情緒溢れる商店街として人気を集め、近年では外国人観光客の姿も少なくない。

谷中銀座商店街振興組合による公式サイトによれば、商店街は1945年(昭和20年)頃に自然発生的に生まれたそうである。その後は地域に根ざした商店街として発展してきたが、これまで3度の危機があったという。最初は東京メトロ(当時は営団地下鉄)千代田線の千駄木駅の開業(1969年)による通行量の激減、次には1977年(昭和52年)の近隣への大型スーパーの出店、さらには昭和60年代(1980年代後半から1990年代前半)のコンビニエンスストアの増加である。それらは谷中銀座に限らず、古くから続く商店街が必ずと言っていいほど直面してきた問題だが、谷中銀座ではうまく工夫を凝らしてそれらの危機を乗り切ってきた。時代が平成を迎えて以降は、商店街の下町情緒が人気を集め、観光客が多く訪れるようになった。商店街でも観光客向けの魅力をさらに高め、現在に至っている。

谷中銀座には個人商店を中心にしたさまざまな業種の店舗が軒を並べる。食料品店や衣料品店、生活用品の店などが多く並ぶ辺りは、地域の商店街として発展した歴史を物語るものだろう。下町風情溢れる雑貨やスイーツを扱う店も少なくないのは、観光客へ対応してきた結果だろうか。観光客相手の土産物店だけが並ぶ商店街ではなく、地域の生活に密着した店が多いことが、かえって散策に訪れた人々にとっては魅力のひとつになっているのだろう。

休日にもなれば、谷中銀座には大勢の人たちが訪れ、たいへんな賑わいだ。その中に混じって商店街を歩くのはなかなか楽しい。雑貨屋を覗いたり、スイーツを買い求めたりしながら、あるいはお店の人とのやりとりを楽しみながら、のんびりと歩けばいい。下町風情漂う商店街の風情や、その賑わいそのものを楽しむのが谷中銀座散策の醍醐味だろう。
岡倉天心記念公園


谷中/岡倉天心記念公園

谷中/岡倉天心記念公園
谷中銀座の東側(「夕やけだんだん」側)入口の交差点から南へ200mほど辿ると、左手(東側)の住宅地の中に緑濃い一角がある。「岡倉天心記念公園」だ。岡倉天心の居宅を兼ねた日本美術院の跡地を公園としたものだ。岡倉天心は明治期の著名な美術思想家で、東京美術学校(後の東京芸術大学)の設立に尽力し、初代校長を務め、その後は横山大観らと共に日本美術院を設立、近代日本画の発展に多大な貢献を果たした人物として知られる。

岡倉天心は福井藩士岡倉勘右衛門の次男として横浜で生まれ、横浜で育った。岡倉勘右衛門が藩命によって生糸貿易の商館「石川屋」を横浜で営んでいたからだ。時代は明治維新前後、激動の時代である。1871年(明治4年)に「石川屋」が閉鎖された後は東京に移り、天心は東京開成学校(現東京大学)に学んだ。そこでアメリカの東洋美術史家フェノロサと出会い、以後、その生涯を美術への貢献に捧げるのである。

1889年(明治22年)には東京美術学校の初代校長に就任、1898年(明治31年)に退任した後、この地で日本美術院を設立する。1905年(明治38年)には茨城県の五浦海岸に別荘を建て、翌年には日本美術院の拠点を五浦に移転させたが、その頃、天心はフェノロサの紹介によってボストン美術館の中国・日本美術部長に就任し、渡米、日本美術院は事実上の解散となったようだ(天心の没後、横山大観らによって再興されている)。その後の天心は「The Book of Tea(茶の本)」や「The Ideals of the East(東洋の理想)」といった著作を発表、東洋美術を欧米へ紹介する活動に日々を費やした。晩年は五浦に暮らし、1913年(大正2年)、静養先の新潟県赤倉で生涯を閉じている。

岡倉天心記念公園は、岡倉天心の功績を顕彰する目的で台東区によって造られたものという。開園は1967年(昭和42年)のことだそうだ。公園は小さなものだが、住宅街の中にあって樹木が茂って緑濃い様相を見せる。隅には遊具も備えられており、子どもたちのための遊び場としての役割も担っている。公園奥の一角には「岡倉天心史蹟記念堂」と名付けられた六角堂が建てられている。五浦のものを模したという六角堂の内部には平櫛田中作の天心坐像が安置されているそうだ。
蛍坂


谷中/蛍坂
岡倉天心記念公園前から30mほど南へ下って東側の路地へ入り込むと、100mほど行ったところで道はほぼ直角に南へ折れ、細い坂道が上っている。この坂を「蛍坂」という。

「蛍坂」とはなかなか風雅な名だが、道脇に建てられた標柱に添えられた解説によれば、坂下の宗林寺(岡倉天心記念公園の道路斜向かい、北西側にある)の辺りは螢沢と呼ぶ蛍の名所だったそうで、「蛍坂」の名はそれに由来するのだろうという。「御府内備考」には「宗林寺の辺も螢沢といへり」とあり、七面坂南方の谷へ「下る処を中坂といふ」とも記されているという。中坂は蛍坂の別名で、三崎坂と七面坂との中間の坂であることからそう呼んだらしい。また「三年坂」の別名もあるという。
観音寺の築地塀


谷中/観音寺の築地塀
蛍坂を登り切ると、道はまた直角に東に折れる。細い路地を抜けるといよいよ“寺町”の風情が色濃くなる。道の先、観音寺横に特徴的な塀を見つけることができる。「観音寺の築地塀(ついじべい)」である。

築地塀とは土を塗り固めて造られた塀のことだが、観音寺の築地塀は土と瓦を交互に積み重ね、上部には屋根瓦を葺いたという特徴的なものだ。観音寺の築地塀は総延長37.6m、造られたのは江戸時代のことという。関東大震災では一部が崩壊したものの修復され、戦災も免れ、以後、補修を重ねて現在に至っている。

観音寺の築地塀は谷中の象徴的風景のひとつとして人気を集め、1992年(平成4年)に「台東区まちかど賞(1990年(平成2年)から2000年(平成12年)まで行われていた「まちかど景観コンクール」の賞)」を受賞、2000年(平成12年)は「国土の歴史的景観に寄与している」としてに国の登録有形文化財(建造物)にも登録されている。谷中を訪れたなら必ず見ておきたい風景である。
みかどパン店とヒマラヤ杉


谷中/みかどパン店とヒマラヤ杉
観音寺の築地塀の辺りから南へ、途中で都道452号を越えてさらに南へ辿り、大泉寺の前を過ぎた辺りから西へ入り込むと、谷中の風景として有名な三差路がある。三差路の角には「みかどパン店」が建ち、その横に寄り添うようにヒマラヤ杉の大木が枝を広げている。三差路の西側、ヒマラヤ杉を正面から見る景観はさまざまに紹介され、すっかり有名になった感がある。

このヒマラヤ杉、明治期に「みかどパン店」の初代店主(当時は「パン店」ではなく、団子屋だったらしい)が鉢植えで育てていたもので、それがやがて大地に根付き、今のような大木に育ったものという。この辺りは江戸時代には三方地店(さんぽうちだな)と呼ばれたところ(推測だが、“三方の寺に囲まれた台地”の意味での“三方寺棚”が転じたものか)で、寺町の風情を漂わせて多くの人々に愛されていた土地柄で、芸術文化活動を育む場所でもあったそうだ。

大きく枝を茂らせたヒマラヤ杉の姿も美しく、周辺の景観も風情に富み、これも谷中を訪れた際には必ず見ておきたい、訪ねておきたい風景と言っていい。このヒマラヤ杉は残念ながら伐採の計画もあるようで、保存に向けて有志による活動が行われている。これほど大きく育った樹木にはさまざまな支障もあるのだと思うが、ぜひ残してもらいたいと思わずにいられない。
三浦坂


谷中/三浦坂
みかどパン店の建つ三差路から40mほど西へ歩くと、南西の方角へ延びる細道がある。細道は宗善寺の前を過ぎたあたりから急な下り坂になる。「三浦坂」という。真っ直ぐに降りる坂道に道脇の木々が覆い被さって風情ある景観を見せている。数ある谷中の坂道の中でも、“名坂”として知られる。三浦坂を下りた先には、かつては藍染川が流れていたが、現在は暗渠になってしまっている。

「御府内備考」には「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す」との記述があるという。三浦志摩守の下屋敷があったことから「三浦坂」と呼ばれるようになったもののようだ。三浦氏は美作国勝山(現在の岡山県北部)を収めた大名で、勝山藩初代藩主の三浦正次は徳川家光に仕えた「六人衆」のひとりとして、阿部豊後守忠秋、松平伊豆守信綱、阿部対馬守重次、太田備中守資宗、堀田加賀守正盛らと共に名を連ねる。この「六人衆」が「若年寄」の起源であるという。
玉林寺のシイ


谷中/玉林寺のシイ
三浦坂の途中から南東の方角へ、玉林寺の境内へ抜ける細道がある。玉林寺には東京都指定天然記念物のスダジイの巨木がある。スダジイの木はブナ科シイ属の常緑広葉樹で、温暖な気候を好み、照葉樹林を構成する樹木の代表的なもののひとつだ。日本では関東以西に広く分布するが、新潟県や福島県辺りが北限とされる。

本堂裏手に立つスダジイの木は、1591年(天正19年)に玉林寺が創建される以前からあったと言われる。東京都教育委員会によって1994年(平成6年)に設置された解説パネルによれば、幹回り5.63m、樹高9.5m、枝張りは東に3.5m、西に2m、北に4m、南に7.5mだそうだ。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけて「大規模な外科手術」が行われ、樹勢が回復しつつあるとのことだ。市街化した地域に残る巨樹として貴重であるとも記されている。
へび道と藍染川


谷中/へび道

谷中/へび道

谷中/へび道
三浦坂を下りきると、比較的広い道路に出る。ちょうど谷中と根津との境となった道路だが、この道路がかつての藍染川(あいぞめがわ)の跡である。この道を200mと少し、北西の方角へと辿ってゆくと、道は急に狭くなり、くねくねと曲がって家々の間を縫うように抜けてゆく。「へび道」、あるいは「千駄木の七曲がり」と呼ばれるところだ。「へび道」も、もちろん藍染川の跡で、今は谷中と千駄木の境になっている。

藍染川が暗渠化されたのは大正末期から昭和初期にかけてのことらしい。上流部に藍染めを生業とする者が多かったことからその名があるとも言うが、他説もあって名の由来ははっきりしない。文京区教育委員会による「藍染川と枇杷橋(合染橋)跡」の解説によれば、水源は染井の内長池(現在の染井霊園北側の低地にあった)だそうだが、特定は難しく、染井辺りの湧水を集めて川となったものだろうともいう。そこから西ヶ原村と駒込村を経て根津谷へと流れ、不忍池に注いでいた。上流部では谷田川(谷戸川)と呼ばれていたという(昔は、その土地によって川の呼び名が違っているのが普通のことだった)。北区西ヶ原の霜降銀座商店街は暗渠化された谷田川の上に造られた商店街である。

1985年(昭和60年)に発行された地域雑誌「谷中・根津・千駄木」第3号に、「藍染川すとりーと・らいふ」として藍染川について町の人に聞いた内容が記されている。「明治末まではあさりやしじみが採れ、小魚が釣れた」とか「水が出てばかりで、二度も家を上げた」とか、その内容には興味が尽きない。藍染川についての記憶を持つ人たちのほとんどは明治の生まれだ。1985年(昭和60年)当時、70歳代以上の年齢だった。昔のことは昔を知る人に聞くのがいちばんだ。今では貴重な資料である。

まさに地を這う蛇のようにくねくねと家々の間を辿る「へび道」、道の両脇には家々が建ち並び、その中にはお洒落なお店も混じる。その佇まいには独特の魅力があって散策は楽しい。町歩きの愉しみを存分に味わえるところだ。

「へび道」は南北に400mほど続く。北へ通り抜けると都道452号との交差点だ。交差点脇に文京区教育委員会による「藍染川と枇杷橋(合染橋)跡」の解説パネルが設けられている。この辺りに藍染川に架かる橋があった。「御府内備考」や「新編武蔵風土記稿」によれば合染橋、藍染橋、琵琶の橋(後に枇杷橋)などと呼ばれていたそうだ。枇杷橋跡から都道452号を西へ100mほど行くと不忍通り(都道437号)、東京メトロ千代田線千駄木駅がある。この辺りが、「谷根千」の中心と言っていい。駅が近いため、人通りも多く、多くの商店が軒を並べて繁華な佇まいを見せている。

昭和初期に暗渠化されて姿を消した藍染川、「谷根千」の中にその流路跡が残っていることが興味を引くのか、藍染川の流路跡、暗渠を辿っての散策を愉しむ人も少なくない。その気持ちはよくわかる。かつて確かに土地にあり、今は姿を消してしまったものの名残、いわば“土地の記憶”のようなものへの憧憬かもしれない。
よみせ通り


谷中/よみせ通り
枇杷橋跡の交差点から北へ道を辿れば、「よみせ通り」。「よみせ通り」も暗渠化された藍染川の流路跡に設けられた商店街だ。その名が示すように、昔は夜店が並んで賑わったという。都道452号から350mほど行ったところで、「よみせ通り」は谷中銀座と交差する。谷中銀座が「よみせ通り」にぶつかって丁字路を成す形だ。すなわち谷中銀座を東から西に通り抜けると「よみせ通り」というわけだ。

日暮里駅から谷中銀座を経て「よみせ通り」へ、あるいは千駄木駅から「よみせ通り」を経て谷中銀座へ、という人の流れがあるのか、なかなか繁華な印象だ。下町風情漂うお店だけでなく、近年はお洒落なお店も増えてきたらしく、人気を集めている。


谷中

谷中

谷中
谷中の魅力は奥が深い。谷中銀座や築地塀など、谷中を象徴する風景の代表的なものだけを訪ね歩いても充分に楽しめるし、あるいは素敵なお店を見つけるためだけに訪れるのもいいし、点在する坂道を探索してまわるのも楽しいし、名も無い路地の数々を訪ね歩くという楽しみ方もあるだろう。一度訪ねただけではとてもその魅力を味わいきれない。その度その度に目的を変えて、何度も訪ねたくなる。

しかし最もお勧めなのは、何の目的も持たず、気の向くままにふらふらと歩き回って町の風情を楽しむことかもしれない。町歩きの好きな人にとって、“聖地”のような町である。

谷中

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参考情報
交通

谷中へは日暮里駅(JR山手線、JR京浜東北線、JR常磐線、京成電鉄、日暮里・舎人ライナー)を利用して訪れるのが便利だ。東京メトロ千代田線の千駄木駅や根津駅も近いが、やはり最初は日暮里駅から「夕やけだんだん」を経て谷中銀座商店街へと進んで谷中地区へ足を踏み入れるのが“正攻法”だろうか。

谷中地区や周辺地区にコインパーキングが点在しており、それらを利用すれば車での来訪もそれほど難しいことではないが、予め駐車場の場所を確認しておくことをお勧めする。また谷中周辺は細い道や一方通行、行き止まりの道なども少なくないので、初めて車で訪れる際にはしっかりと下調べをしておいた方がいい。

飲食

谷中銀座商店街をはじめ、周辺にもさまざまな飲食店がある。庶民的なお店からお洒落なカフェまで、好みのお店を見つけて食事を楽しめばいい。

周辺

谷中の西側は文京区、千駄木と根津だ。谷中と合わせて「谷根千」などと呼ばれ、散策を楽しむ人たちの姿も多い。南へ辿れば池之端、上野公園にも近い。散策の足を延ばしてみるのがお勧めだ。

谷中

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