佳景探訪
忍野八海
山梨県忍野村、富士山の雪解け水が長い年月をかけて地中で濾過され、美しい湧水となって池を成している。忍野八海である。忍野八海は富士山周辺の名所として広く知られ、訪れる観光客も多い。夏の盛りの八月初め、忍野八海を訪ねた。



忍野八海

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忍野八海

忍野八海
山梨県忍野村の西部、「忍野八海」の名で知られる湧水群がある。忍野八海は出口池(でぐちいけ)、御釜池(おかまいけ)、底抜池(そこなしいけ)、銚子池(ちょうしいけ)、湧池(わくいけ)、濁池(にごりいけ)、鏡池(かがみいけ)、菖蒲池(しょうぶいけ)の文字通り八つの池からなる。富士山の雪解け水が地中に染み込み、長い年月をかけて濾過され、その伏流水が清らかな湧水となって地表に現れ、池を成したものだ。

“湧水”というものは、たいていは崖下や山の斜面などにあるものだ。そしてまた“池”というものは、たいていは山々に囲まれた谷間や窪地にあって雨水を集めて池を成しているものだ。しかし忍野八海は平地にあり、地下から滾々と湧き出した水が小さな池を形作る。その姿が“湧水”や“池”というものの一般的な様相とは違っていることもあって、見る人に神秘的で霊妙な印象を与えるのだろう。江戸時代には単に「八海」と呼ばれ、冨士講の人々が富士登山の前に身を清める霊場だったという。

忍野村から山中湖にかけて、かつて宇津湖という大きな湖があり、800年(延暦19年)の富士山大噴火の際に流れ出た溶岩によって二つに分断されたという話がある。分断された湖の一つが現在の山中湖であり、もう一つは忍野湖といい、この忍野湖がやがて干上がり、忍野の盆地となったという。富士吉田市に伝わる古文書群、いわゆる「宮下文書(富士古文書ともいう)」にそうした記述があることから、忍野の盆地と山中湖の、いわば“創生譚”のように語られるようになったもののようだが、事実は違うらしい。そもそも800年(延暦19年)の富士山大噴火によって分断されたという宇津湖は、当時存在していなかったようだ(山梨県環境科学研究所の調査によって宇津湖の存在が否定されている)。山中湖は800年(延暦19年)の富士山大噴火で流れ出た溶岩によって桂川が堰き止められてできた。富士五湖の原型となる湖群が形成されたのは二万年前から一万五千年前にかけての頃らしいが、その頃にあったであろう古忍野湖はそれから数千年の歳月を経るうちに消滅し、以後、忍野村から山中湖にかけての地域は広大な盆地だったようだ。富士山麓の地形の変遷については未だ謎の部分も多いという。さらなる調査研究が待たれる。

現在の忍野八海は国の天然記念物であり、名水百選のひとつであり、新富岳百景の選定地だ。当然のことながら富士山麓の代表的な観光名所のひとつとして広く知られ、四季を問わず多くの観光客を集める。特に湧池や濁池、銚子池、鏡池、菖蒲池などが集まるところは“観光地としての忍野八海”の中心部と言ってよく、土産物店や飲食店などが建ち並び、大勢の観光客が散策を楽しんでいる。底抜池もこの一角に位置しているが「榛の木林資料館」の敷地内にあり、見学するには入場料が必要になる。御釜池は少し離れて200メートルほど西に辿ったところにあるが、小川に沿った小径を辿って訪れる人も多い。出口池は忍草(しぼくさ)の集落のちょうど出口にあったことからこの名が付いたという池で、中心部から南東側に1kmほど離れたところに位置しており、訪れる観光客は少ないようだ。

湧池や濁池などの集まる中心部には、ひときわ大きく目立つ池がある。中池という。岸辺には土産物店が建ち、池の周辺は多くの観光客で賑わっている。池を覗き込むと澄んだ水の中には鯉の泳ぐ姿もある。忍野八海の中心部に位置し、存在感が大きいために、この中池を忍野八海のひとつと勘違いしてしまう人も多いようだが、実はこの中池は横手に建つ池本荘という旅館が敷地内に掘削して造った人口の池という。岸辺に建つ土産物店も池本荘の経営だそうで、中池の中心部にある“島”状の場所には土産物店の中を通らなくては行けないようになっている。人造の池ではあるが、水源はもちろん湧水、岸辺に建てられた水車小屋の姿も良い風情があり、“観光地としての忍野八海”を象徴する景観だと言っていい。

忍野八海を訪れたなら、やはり「八海」を構成する八つの池を見学して巡るのが観光の王道だろう。できれば江戸時代の「八海めぐり」に倣って、そのすべてを見学しておきたいところだが、出口池を省いて中心部だけを巡っても忍野八海の魅力は充分に堪能することができる。今回も湧池と濁池、鏡池、菖蒲池、銚子池、御釜池の六つの池を巡り、底抜池と出口池は見学しなかったのだが、“忍野八海観光”としては満足できるものだった。それぞれの池には山梨県と忍野村の教育委員会による解説板が設置されているから、訪れたときには目を通しておきたい。

中心部から少し離れた御釜池までは阿原川と新名庄川に沿った小径を辿ることになるのだが、これらの川と小径の風情もとても素敵だ。周辺に広がる長閑な風景も味わいながら歩けば忍野八海の魅力はさらに増すだろう。そしてまた忍野八海と言えば富士山を眺望する名所のひとつだ。今回は残念ながら天候に恵まれず富士山の姿を見ることができなかったが、快晴の日であれば忍野八海と富士山とが織り成す美しい風景を楽しむことができるだろう。

忍野八海の観光地化には弊害も少なくないということだが、観光地としての魅力創出のために工夫されたさまざまな“演出”も奏功して“観光地としての忍野八海”が人気を集めているという側面もあるだろう。今回訪れたとき(2012年8月)にも大勢の観光客が訪れ、その中には中国人観光客らしい姿も少なくなかった。観光地の喧噪を嫌う人もいると思うが、観光地としての賑わいというものもひとつの興趣として楽しめばいい。

忍野村は標高約1000メートル、真夏でも比較的涼しい。忍野八海の清らかな水の景観がさらに涼やかさを感じさせてくれる。夏の盛り、避暑を兼ねた行楽にもお勧めのところだと言っていい。
湧池


湧池

湧池
湧池は忍野八海の中心部、中池から道を挟んだ南側に位置している。湧池は直径12メートルほどの、ほぼ円形の輪郭をした池で、直視深度約3メートル、潜水深度約5メートルだそうだ。湧出量は毎秒2.2立方メートルと多く、現在でも周辺住民の飲料水や灌漑用水として使われているという。「八海めぐり」第五番の霊場で、八大竜王の一神である徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)を祀っている。毎年9月19日には木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)の祭りがあり、この池の水で神輿を洗い清めるのだそうだ。

湧池があるのは忍野八海の中心部、観光客で最も賑わう一角だ。池の岸辺には飲食店や土産物店が建ち、立ち寄る人たちの姿も多い。道路を挟んで水車小屋があり、池越しに見る景観も良い風情がある。神秘的な色の水の中には鯉が悠然と泳いでいる。おそらく忍野八海の中で最も見応えのある池だろう。
濁池


濁池

濁池
湧池の道路向かい、中池の南側に隣接するのが濁池だ。ほぼ楕円形の輪郭をした池で、隣接する中池や横を流れる阿原川と半ば一体化している印象で、一見すると池に思えない。面積は36平方メートル、湧出量は毎秒0.041立方メートルだそうだ。八海めぐり第六番の霊場で、阿那婆達多竜王(あなばたつだりゅうおう)を祀っている。

湧池や中池に近いから観光客の姿も多いが、この濁池に目を留める人は比較的少ないようだ。その様相が“湧水池”らしくないからだろう。“濁池”というからにはかつては濁っていたのだろうと思うが、今は濁ってはおらず、阿原川に同化して澄んだ水が流れている。
銚子池


銚子池

銚子池
濁池から阿原川に沿って100メートルほど西へ向かうと、川の南岸に銚子池がある。直径約9メートルで面積は79平方メートル、深度は約3メートルだそうだ。南側の小川に流れ出ており、形状が長い柄のある銚子(古来の酒器の一種)に似ているので、この名があるという。湧出量は毎秒0.02立方メートルと少ないが、池の中を覗き込むと、砂をあげて水の湧く様子がよくわかる。八海めぐり第四番の霊場で、和脩吉竜王(わしゅきちりゅうおう)を祀る。

池は川岸の小径から南に少し入り込んだところに、鬱蒼と茂った灌木の林の中に隠れるようにして横たわっている。あまり目立たないために立ち寄る人はそれほど多くはないようだが、湧池と同様、“地表にぽっかりと空いた穴に水が湧いて池を成している”という景観の池である。澄んだ水の中には小魚の泳ぐ姿があった。
御釜池


御釜池

御釜池
銚子池の横からさらに阿原川に沿って西へ辿ってゆくと、やがて阿原川は新名庄川に合流する。その合流地点に架けられた橋を渡り、新名庄川の右岸を数十メートル下流側へ歩けば御釜池に着く。御釜池は八海めぐり第二番の霊場、跋難陀竜王(ばつなんだりゅうおう)を祀る。水の湧く様子が釜の中で湯が沸騰するようだというのでこの名があるそうだが、伝説に基づくという他説もあるらしい。関東大震災以降に湧出量が減少し、現在は毎秒0.18立方メートルほど、“湯が沸騰するような”湧水の様子は見られなくなってしまったようだ。面積24平方メートルほどの小さな池だが、池を覗き込むとその中にさらに深い部分があって、神秘的な様相を見せている。

御釜池はバス通り沿いに建つ飲食店の裏手という立地で、バス停や観光用駐車場からも近く、立ち寄る姿も多いようだ。この近くの駐車場に車を駐め、新名庄川から阿原川に沿って忍野八海の中心部へと散策を楽しむ人も多いのだろう。
鏡池


鏡池

鏡池
中池の前から観光客で賑わう道を数十メートル北に辿ると道脇に鏡池がある。少しゆがんだ長方形の輪郭を持った池で、面積は144平方メートル、湧出量はきわめて少ないという。八海めぐり第七番の霊場で、麻那斯竜王(まなしりゅうおう)を祀っている。水は濁っているが、湧出量が少ないためか、風が無ければ揺らぎのない水面が鏡のように周囲の景色を映す。そこから鏡池の名があるわけだ。富士山を映す光景は見事なものらしいが、今回訪れたときには富士山は雲がかかって姿を見せず、残念ながら鏡池に映る富士山の姿も見ることはできなかった。

中池や湧池から近いがあまり足を止める人は多くないようだった。あまり湧水池のように見えず、少し興趣に欠けるからかもしれない。季節と天候に恵まれて雪を頂く富士山の姿を映していれば多くの観光客がその景色に見入っていたことだろう。
菖蒲池


菖蒲池

菖蒲池
菖蒲池は鏡池から東へ100メートルほどのところに位置している。畑地の中に細長く伸びる沼状の池で、一見すると農耕用に造られた溜池のようにも見える。菖蒲が生えていることから菖蒲池と呼ばれたもので、昔は今より多くの菖蒲が生い茂っていたらしい。この菖蒲を身体に巻いて病が治ったという伝説があり、疫病が流行したときには菖蒲を身体に巻くという風習もあったそうだ。八海めぐり第八番の霊場で、優鉢羅竜王(うはらりゅうおう)を祀る。毎年旧正月14日には筒粥の神事を行い、五穀の豊凶を占ったという。

菖蒲池は忍野八海の北東側の端に当たるが、八海菖蒲池公園が隣接し、周辺には土産物店や飲食店が点在しているからか、立ち寄る観光客の姿も少なくないようだ。周囲が開けて広々とした印象があるのは他の池とは異なるところだ。池の岸辺には木道が辿り、立ち止まって池を覗き込む人も多い。池の中には鯉が泳いでいる。




忍草浅間神社

忍草浅間神社

忍草浅間神社

忍草浅間神社
忍野八海の北方には忍草浅間神社が鎮座している。807年(大同2年)の創建という古社で、永く忍草の鎮守として人々の信仰を受けてきた神社である。木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とし、さらに木花咲耶姫命の夫である天津日高日子番能邇邇芸尊(あまつひだかひこほほでみににぎのみこと)と木花咲耶姫命の父である大山津見命(おおやまつみのみこと)を祀っている。神社にはこの三神を象ったという坐像が伝わっているという。丹後(現在の京都)の仏師石見坊諍観による1315年(正和4年)の作で、ヒノキの一本造り、国指定重要文化財である。また金剛力士像は鎌倉期の著名な彫刻師である運慶の作と伝えられ、源頼朝が奉納したものという。本殿は三神殿三間社流れ造り、山梨県内では他に類例がないという。

神社の境内は木々に包まれて古社の神域らしい佇まいを見せる。目を引くのはイチイの大木群だ。イチイという樹木はアララギともいい、沖縄を除く日本全国で広く見られる常緑針葉樹だ。庭木や生垣として植栽されることも多く、端正に剪定された姿を見ることが少なくないが、ここで見られるイチイは野趣溢れる姿で聳えている。忍草浅間神社の境内には16株のイチイの大木があるという。1974年(昭和49年)の日付で設置された解説板によれば最大のもので樹高20メートル、最小のものでも樹高11メートルだそうだ(現在はさらに育っていると思われる)。これほどのものが一ヶ所に揃っているのは珍しいとのことで「忍草浅間神社のイチイ群」として山梨県指定天然記念物になっている。解説板には「自生のものと思われる」とあるが、もしかしたら榊の代わりに玉串に使うために、あるいは防風林として、古い時代に植えられたものが自生のような状態に還っていったものかもしれない。まるで神社を護るかのように聳え立つイチイの巨樹群は圧倒的な存在感だ。樹木に興味のある人はぜひ見ておきたいものだろう。また境内には忍野村指定重要文化財のケヤキの大木もある。樹高37メートル、20メートルほどの広がりで枝を張っているという。これも見ておきたい。




山百合

山百合
今回、忍野八海を訪れたのは8月の初旬、忍野八海周辺を歩いていると道脇の家々の庭先などで山百合の花を見ることが少なくなかった。いくつもの花を付けた立派な株がほとんどだ。自生しているものではなく、おそらく丹精に育てられたものだろう。山百合の花は東京近郊では7月上旬から7月下旬にかけて見頃を迎えるが、忍野村は標高が高いからか、見頃の時期が少し遅いのだろう。山百合は近畿地方から東北地方にかけて分布する日本原産のユリで、華麗な姿と濃厚な香りから「ユリの女王」などとも呼ばれる。東日本では夏を代表する花のひとつと言っていい。山百合の花を愛でながらの散策も、夏の忍野八海の魅力のひとつと言えるかもしれない。
参考情報
交通

忍野八海へは富士急行線富士山駅で下車、駅から内野方面行きなどの路線バスを利用し、「忍野八海入口」バス停で下車すれば近い。富士急行線は土曜休日には新宿からJR中央線を経由する直通電車があるので、東京方面から向かうときはこれを利用すると便利だ。

車で訪れる場合は中央自動車道富士吉田線を河口湖ICで降り、国道139号線から国道138号線へと辿って東進するのがわかりやすいだろう。東名高速道路を利用する場合は御殿場ICで降り、国道138号線を北上すればいい。国道138号線から東富士五湖道路を経由し、山中湖ICから国道138号線に戻るのが早いと思うが、東富士五湖道路を利用せず、国道138号線を辿って山中湖畔を経由してもいい。忍野八海は国道138号線から北側に入り込まなくてはならないが、近くに行けば忍野八海方面を指し示す案内標識があるので、それに従えば初めて訪れる場合にも迷うことはないだろう。

忍野八海の周辺には民間の駐車場が多数点在している。(すべての駐車場を確認したわけではないが)どの駐車場も駐車料金は普通車一日300円(2012年8月現在)だった。土産物店の駐車場では土産物を購入すると駐車料金の不要なところもあるから、そうしたところを利用するのも一案だ。2012年8月に訪れたときには忍野八海北側の浅間神社横手の民間駐車場(おそらく農家の庭先を観光駐車場に転用したのだろう)に停めた。徒歩3分ほどで菖蒲池に着いた。

忍野村営橋向無料駐車場は2012年(平成24年)4月末日をもって廃止になっている。

飲食

忍野八海周辺には蕎麦や山梨名物のほうとうを出す店が点在している。忍野は蕎麦が有名らしい。水に恵まれているからだろう。いかにも観光地の飲食店といった佇まいの店が多いが、それも一興というものだろう。

周辺

忍野八海の周辺は長閑な田園風景の広がるところだ。河岸を歩いたり、浅間神社にお参りしたり、散策の足を延ばしてみるのもお勧めだ。

忍野八海の南西側、1kmほど離れて山梨県立富士湧水の里水族館がある。周辺は「さかな公園」という公園として整備されている。忍野八海から足を延ばしてみるのも悪くない。さらにそこから西に数百メートルのところには四季の杜おしの公園があり、岡田紅陽写真美術館・小池邦夫絵手紙美術館が設けられている。岡田紅陽は富士山の写真で知られる写真家、小池邦夫は絵手紙の創始者として知られる。興味のある人は訪ねてみるといい。

忍野八海の南東、県道717号線を4kmほど辿ったところには山中湖花の都公園がある。花の好きな人なら訪ねてみたいところだ。公園から2kmほど南へ進めば山中湖畔、車で訪れた人ならドライヴを兼ねて立ち寄ってみるのもお勧めだ。忍野八海から北西へ国道138号線を辿れば河口湖畔へも遠くない。
忍野八海

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