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鵜戸神宮の創建は崇神天皇の御代ともいうがはっきりしないようだ。782年(延暦元年)に天台宗の開僧光喜坊快久が神殿を再興したという。光喜坊快久は同時に寺院も建立して初代別当となり、勅号「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」を賜って、両部神道の道場として栄えたという。明治になって廃仏毀釈によって寺院が廃止され、鵜戸神社、さらに鵜戸神宮と改称されて現在に至っている。
鵜戸神宮はその伝説のためか、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの御利益で近隣の人々の信仰を集めてきた。古くは日向の国のみならず、大隅、薩摩からも御利益を求める人々が鵜戸への街道を辿ったという。かつて昭和40年代に宮崎と日南海岸が新婚旅行ブームで賑わった時代、鵜戸神宮参拝が旅行コースに欠かせない場所であったのも、その御利益によるものだろう。
昔はこのあたりの新婚夫婦は必ず鵜戸さんにお参りするという風習があった。新婦を馬に乗せ、新郎は手綱を引いて、夫婦は参詣の街道を辿った。その馬の首に付けられた鈴をシャンシャンと鳴らしながらの道中だった。そのことから「シャンシャン馬」と呼ばれるようになり、その名は今も広く知られている。この風習は一説には元禄の頃から始まったもののようで、大正初期頃まで続いた後に途絶え、今は宮崎神宮の例大祭での「ミス・シャンシャン馬」のイベントなどに面影を残すのみとなってしまった。
現在では鵜戸神宮へ至る道路も整備され、参詣も手軽だが、かつては「日向七浦七峠」とも呼ばれる厳しい道程を経ての参詣だった。いくつもの峠を越えて鵜戸さんへ参詣した昔の人々にはもちろん深い信仰心があったのだろうが、当時の鵜戸さんは多くの参拝客を集めて賑わう繁華な場所であったはずで、そうした賑やかさへの憧れのようなものもあったのかもしれない。
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