日南海岸風景
駒宮神社
駒宮神社
日南市のほぼ中央部の海岸近く、平山の集落に駒宮神社が鎮座している。それほど規模の大きな神社ではなく、観光名所として広く知られているわけでもないが、地元では厄年を迎えた人たちが厄払いに参詣するなど、広く信仰を集め、人々は親しみを込めて「駒宮さん」と呼ぶ。「こん前、○○さんが駒宮さんにめっきやったげな。前厄じゃげな。(この前、○○さんが駒宮神社に参ってきたそうだよ。前厄だそうだ。)」などと、世間話のついでに“駒宮さん参り”の話題が出たりするものである。
駒宮神社
駒宮神社の建つ平山の集落は、日南市の中心街である油津の町の北方に位置している。1950年(昭和25年)に日南市が誕生する以前には東郷村に含まれていたところだ。神社の前の道路は集落の中心部を通っているが、現在では国道220号が東側の海岸寄りを真っ直ぐに抜けており、こちらの道路は静かな旧道の佇まいだ。

駒宮神社は平山の集落の一角に位置し、丘を背負って木々の緑に包まれて社殿が建っている。神武天皇を祀る神社で、創建は文武天皇の時代というから600年代末から700年代初頭のことだ。また、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと、後の神武天皇)が吾平津姫を妃に迎えた後、愛馬龍石号とともに住まった少宮跡であるともいう。「少宮跡」は「しょうぐうし」と読み、神倭伊波礼毘古命が少年期を過ごした宮の跡であるという意味らしい。
駒宮神社
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駒宮神社には少年期の神倭伊波礼毘古命に関する伝説も残っている。日向国神祇史の鵜戸神宮に関連した記述に次のような内容があるという。神倭伊波礼毘古命が舟釣りをしていると龍神が現れ、龍石という龍馬を賜った。伊波礼毘古命は度々、この龍馬に乗って鵜戸神宮の父君に会いに行っていたという。神倭伊波礼毘古命がこの地を後にして宮崎の宮殿に向かった際、途中で愛馬龍石号を野に放ったという。数キロ北方にある「立石」の地名は「龍石」の名が由来であるらしい。そのことから立石は牧場となったが、これは日本最古の牧場であるという。江戸時代には「立石の牧」には牧奉行が置かれ、馬追の際に必ず駒宮神社に参る風習が生まれた。その際に近郷の農耕馬が馬鈴をつけて着飾り、馬踊りの奉納や馬の競り売りなどで賑わったのだそうで、それが「シャンシャン馬」の姿の原形であるらしい。境内には「日向シャンシャン馬発祥の地」の碑が建てられ、そうしたことが記されている。神社は社殿の前には神武天皇と愛馬龍石号を象った石像が置かれているが、これは宮崎市の石材会社によって2002年(平成14年)に奉納されたもののようだ。
駒宮神社
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社殿裏手の小径を辿ってゆくと、丘の麓に「御鉾の窟(みほこのいはや)」という古蹟がある。神倭伊波礼毘古命が宮崎に向かう際に、その下に御鉾を納めたという巨石である。写真に撮ってしまうと実感しにくいが、人の身丈を遥かに超える巨石だ。丸みを帯びた外形をしており、上方にはぱっくりと口を開けたような裂け目があり、何やら神々しい姿をしている。この巨石を目の当たりにして、古代の人々は神の依り代と思ったのではないだろうか。素人の推測だが、すべてはこの巨石への畏怖の思い、巨石を神として祀ったことから始まったのかもしれない。
駒宮神社
駒宮神社
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駒宮神社は地元の人々の信仰を集める神社だが、初詣のときには賑わうものの普段はあまり参詣の人の姿もなく、ひっそりと静かな佇まいだ。観光名所として語られることも少なく、観光客の姿もほとんどないが、“観光地的”な喧噪の嫌いな人にはかえって魅力的なところであるかもしれない。そしてまた宮崎県内に残る神話の舞台を巡ってみたい人なら、ぜひ訪れてみたいところだろう。
駒宮神社 駒宮神社
駒宮神社
INFORMATION
駒宮神社
【所】日南市大字平山
【問】日南市観光協会
このWEBページは「日南海岸散歩」内「日南海岸風景」カテゴリーのコンテンツです。
ページ内の写真は2010年夏に撮影したものです。本文は2012年6月に作成しました。