日南海岸風景
旧吉松家住宅
旧吉松家住宅
串間市の中心部、市役所の東側に「旧吉松家住宅」という施設がある。その名から容易に推測できることだが、かつて吉松氏の住宅として使われていた建物を保存整備し、公開しているものだ。
旧吉松家住宅
吉松氏は串間の名家である。公式サイトによれば、吉松氏の祖は秋月氏に従って甘木から移ってきたという。江戸時代、秋月氏は高鍋藩を治めているが、串間は高鍋藩の飛び地だったため、秋月氏に仕えた吉松氏は串間に居を構えることになったのだろう。幕末、吉松卓蔵が市木川北郷の庄屋となり、戊辰戦争や西南戦争に従軍した後、1889年(明治22年)に発足した福島村の初代村長を務めている。卓蔵の長男、吉松忠敬は北方村(福島村と同時に発足した)や福島村の村長、さらに県議会議員や衆議院議員を歴任した。1926年(大正15年)に福島村が町制を施行し、福島町が発足する。卓蔵の孫である吉松忠俊は福島町の町長や県議会議員などを務めている。卓蔵から孫の忠俊まで、三代に渡って政界で活躍する一方、材木商としても成功して財を成し、吉松家は地域の政財界をリードする存在だった。
旧吉松家住宅
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現在に残る「旧吉松家住宅」は吉松氏の全盛期であった大正期に建築されたものという。1980年代中頃(昭和60年頃)までは使用されていたらしいが、その後空き家となり、それを2003年(平成15年)に串間市が購入、整備を行い、2007年(平成19年)4月から一般公開が行われている。2004年(平成16年)に国の有形文化財の指定を受け、さらに2008年(平成20年)には国の重要文化財の指定を受けている。

旧吉松家住宅前の道路は今では静かな裏通りという佇まいだが、この道路はいわゆる「旧道」、かつての志布志街道である。その道に面して堂々とした石塀と表門を構え、その奥に旧吉松家住宅が建っている。敷地面積は950坪、主屋、表門、外蔵、内蔵、物置などが往時の面影そのままに残る。それらの建物は高品質の建材を使い、当時最高の技術を用いて建てられたものという。
旧吉松家住宅 旧吉松家住宅
旧吉松家住宅 旧吉松家住宅
建物外観や内部の造りを丹念に見学してゆけば興味は尽きない。1980年代中頃まで使用されていたこともあってか、建物の外観も内部も建てられた当時のまま残存しているのだそうだ。かつて吉松家の人々と使用人たちがここで暮らしていた光景を容易に想像することができる。見学していると、建物の陰から、あるいは奥の部屋から、今にも「何かご用ですか」と家の誰かが顔を出しそうな錯覚さえ覚える。職人手作りという板ガラスや10mを超える長さの一本材の梁など、内部の建材や造作のひとつひとつにも贅を尽くした様子が見て取れる。正面玄関奥には竹林に遊ぶ雀を描いた杉戸が設えられている。かつての武士の居宅がそうであったように、正面玄関は家の主より格上の、特別な客を迎えるときにしか用いられなかったという。最後に正面玄関が使われたのは「宮崎観光の父」として知られる故岩切正太郎氏が来訪されたときだったそうだ。
旧吉松家住宅 旧吉松家住宅
旧吉松家住宅 旧吉松家住宅
旧吉松家住宅 旧吉松家住宅
今は静かに繁栄の名残を湛えて建つ旧吉松家住宅だが、その中に身を置けば今にも吉松家の人々や出入りの人々のさんざめきが聞こえてくるような気もする。吉松家が最も繁栄したのは明治後期から昭和初期にかけての時期だったそうだ。福島村の発足から福島町の町制施行まで、代々の吉松氏による多大な貢献があったという。吉松忠俊が亡くなったのは1941年(昭和16年)のことらしい。それから13年後の1954年(昭和29年)、福島町と大束村、本城村、都井村、市木村が合併、串間市が誕生した。
旧吉松家住宅
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旧吉松家住宅
INFORMATION
旧吉松家住宅
【所】串間市大字西方(市役所の駐車場が利用可)
【問】旧吉松家住宅
【問】串間市観光物産協会
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ページ内の写真は2014年夏に撮影したものです。本文は2015年8月に作成しました。