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JR根岸線の「関内」駅から横浜公園を通り抜け、大桟橋埠頭へ向かったところに、「開港広場前」という交差点がある。海岸通りと大桟橋通りとが交わるこの交差点は東には山下公園通りが延びているが、各道路が少しずつオフセットしていて変則的な形状をしている。その交差点の関内駅寄りの角には日米和親条約締結の地として有名な「開港広場」がある。広場の横には開港資料館もあり、他にも周辺にはさまざまな歴史的建造物や記念碑が点在し、横浜の開港の歴史に触れることのできる一角だ。 |
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横浜開港資料館はその名の通り、横浜開港期を中心に江戸時代から昭和初期にかけての横浜の歴史資料を収集して展示しているものだ。日米和親条約締結の地として有名な玉楠の木を中庭に抱き込むように建物が造られている。
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その斜向かいの横浜地方検察庁の入口脇には電信創業の地の碑がある。1869年(明治2年)、東京築地運上所内の電信機役所内と横浜裁判所構内とを結んで電報の取り扱いが始まったことを示す碑だ。当時の通信機の通信速度は極めて遅く、一分間に五、六文字程度の近距離用のものであったらしい。 |
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神奈川運上所は1859年(安政5年)の横浜開港に際して幕府が設けた神奈川奉行所の機関のひとつで、関税事務をはじめとして、外務、行政などを行う総合機関であった。1871年(明治4年)には横浜運上所と改称、廃藩置県に伴って大蔵省の管轄となり、さらに翌1872年(明治5年)11月28日には「運上所」の名称が「税関」に改められて「横浜税関」となった。税関ではこの11月28日を「税関記念日」とするのだそうだ。運上所、税関の建物は火災や関東大震災による崩壊などで変遷し、「クイーン」の愛称で有名な塔を持つ現在の横浜税関の建物は税関庁舎としては三代目である。 神奈川県庁と横浜開港資料館の間の通りは「日本大通り」で、海岸通りと横浜公園とを繋いでいるものだ。この通りは、関内地区の大部分が焼失した慶応年間の大火からの復興の際、横浜公園などとともに英国人プラントンの設計によって造られたものだ。幅120フィートの道路は車道と歩道との区別を持ち、さらに緑地帯も設置された近代的道路の始まりだった。そういった由来が横浜開港資料館脇の歩道に設置されたパネルに記してあり、これも目を通しておきたい。 |
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シルクセンターの交差点の角には「絹と女」の彫刻が飾られ、その傍らには「英一番館跡」の碑が立っている。シルクセンターの建つ場所はかつて英国商社ジャーディン・マジソン商会のあった場所で、この商館が「英一番館」と呼ばれたものだ。開港後の横浜の外国人居留地は区画が碁盤の目のように区切られ、それぞれの区画には番号がふられていたが、その「一番」の区画にあったのがジャーディン・マジソン商会の商館であったという。 |
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この他、「開港広場」周辺には東には山下公園、中華街なども近く、散策の足を延ばすのは楽しい。神奈川県庁の「キング」の塔に加えて横浜税関の「クイーン」の塔と横浜市開港記念開館の「ジャック」の塔も見ておきたいところだ。海岸通の「象の鼻」などの姿に開港時の横浜を偲ぶのもいい。 |
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