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山下公園は横浜の観光の中心、横浜の「顔」と言ってよいだろう。「公園」としてではなく、「観光地」として成立していると言っていい。大桟橋の入口から山下埠頭までのおよそ1キロメートルの長さで海岸に面しており、面積は約7万平方メートルを有する。中華街、元町、山手など、これもまた横浜の有名な観光スポットにも近く、そういった意味でもまさに横浜の観光の拠点となる公園だろう。 |
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は、横浜の市街、横浜港にも壊滅的な被害をもたらしたが、1925年(大正14年)に横浜市長に就任した有吉忠一によって復興事業が強力に推し進められたという。道路の整備、河川運河の整備、橋梁の整備、学校・病院の新設・改築と並んで、公園事業もまた復興事業の急務とされ、神奈川公園、野毛山公園、横浜公園、山下公園の四公園がこの時に整備された。 震災被害の瓦礫や焼土を埋め立てて造成された山下公園は、日本で最初の臨海公園として1930年(昭和5年)に開園したが、それはまさに震災からの復興を象徴していたと言えるだろう。開園から五年後の1935年(昭和10年)には震災からの復興を祝う復興博覧会が盛大に行われ、数々の展示物が建ち並び、現在は低床花壇に姿を変えている舟溜まりにはクジラが入れられたりして、大いに賑わったのだという。 第二次世界大戦後はアメリカ軍によって接収されたが、1954年(昭和29年)から少しずつ返還され、整備・改良を経て、1961年(昭和36年)には再整備が完了、ほぼ現在の姿となり、1988年(昭和63年)に行われた横浜博覧会の際に東側の地下駐車場とその上部の「世界の広場」などが整備され、今日に至っている。 |

西側には広くはないが芝生の広場があり、芝生の木陰にシートを広げてくつろぐ人の姿も多く、いかにも「公園」的雰囲気だ。東側には氷川丸や遊覧船の乗船場などがあり、マリンタワーや元町にも近く、観光地的な雰囲気が色濃くなるが、そうした雰囲気もまた賑やかで楽しい。氷川丸船上では連休などには子供向けのアトラクションが催されることも多く、それを目当ての家族連れも少なくない。夏の氷川丸のビアガーデンなども人気のあるものだろう。東端には水の流れを組み合わせた階段があり、その上は「世界の広場」で、特徴のある造形が楽しい。 氷川丸の前のあたりと、「世界の広場」のさらに東側あたりには花壇があって、季節毎の花々が美しく、花や植物に興味のある人にとっても楽しめるものだろう。また有名な「赤い靴はいてた女の子」像をはじめとして、園内にはさまざまな野外彫刻やモニュメントが点在しており、それらをそれぞれのエピソードとともにひとつひとつ見て歩くだけも楽しい。独りで歩くにもよく、家族で訪れても楽しめるだろう。もちろん午後から夕刻、夜にかけての山下公園がカップルのデートコースの定番であることは言うまでもない。 横浜港を臨む山下公園はやはりその旅情を誘うような風情がよく、潮風に吹かれながらの散策やのんびりとベンチに腰を下ろしてのひとときがいい。港を行き交う船や、湾の向こうに見えるベイブリッジを眺めながら、のんびりと時を過ごすのはなかなか贅沢な気分のするものだ。 |
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中華街にも近く、他にも公園近くにさまざまなレストランがあるので食事には困らないが、芝生の広場でお弁当を広げるというのもまた楽しい。決して静かではないし、自然溢れる公園というわけでもないが、やはりその雰囲気は充分すぎるほどに魅力的なものだ。雑踏の中でふと海を眺めて佇む時に感じる風情などは他の公園では決して味わうことのできないものだろう。初めて横浜を訪れる人にとっては欠かすことのできない場所のひとつであることは間違いない。 |
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