神奈川県藤沢市のほぼ中央部、引地川の左岸に大庭城趾公園がある。その名が示すように中世の城跡を公園として整備したものだ。風薫る五月半ば、大庭城趾公園を訪ねた。
神奈川県藤沢市の中央部に位置する大庭地区は、縄文弥生の時代から人々が暮らしていた土地だそうだ。大庭地区の東側には引地川が南北に流れ、その河畔は今も長閑な田園地帯だ。その引地川の左岸、大庭地区の中央部にこんもりと木々の茂った丘がある。大庭城趾公園だ。その名が示すように、中世の山城跡を公園として整備したものという。
平安時代後期(1100年代)、桓武平氏の流れをくむ鎌倉権五朗景政がこの土地を開いて伊勢神宮に寄進した。大庭御厨(おおばみくりや)と呼ばれる寄進型荘園で、藤沢市西部から茅ヶ崎市、寒川町辺りまでの広い地域がその範囲だったようだ。鎌倉権五朗景政の子孫は後に大庭氏を名乗るようになり、この荘園を治めていた。大庭城は大庭景宗が居館を築いたのが始まりとされているが、他説もあってはっきりとしないようだ。
1100年代の終わり頃、源頼朝が挙兵した後は、幾度かの戦を経て大庭氏の勢力は衰退、歴史の舞台からその名は消えてしまう(以前は一連の戦いの末に大庭氏は滅亡したとされていたようだが、子孫の一部は中国地方に逃れるなどして存続したようだ)。
大庭氏が相模国に於ける勢力を失って後、扇谷上杉氏の家臣だった太田道灌が大庭城を改修、本格的な築城を行ったという。しかし台頭してきた北条早雲によって攻められ、大庭城は落城してしまう。その後は北条氏の支配下にあり、北条氏によって改修が行われたりもしたようだが、やがて豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされると大庭城も廃城となってしまった。
その大庭城の跡を公園として整備したものが大庭城趾公園だ。公園の面積は12ha余り、供用開始は1985年(昭和60年)のことという。中世の山城跡であり、廃城となって長い年月を経てきたこともあってか、大庭城趾は木々の茂る丘という様相だ。その丘の頂上部に幾つかの広場を設けて公園として整えられている。もちろん公園内には土塁跡や空堀跡などの遺構も残ってはいるが、復元などの措置が行われているわけではないようで、公園内の地形にその名残を見つけることができるだけだ。
園内は丘上の北側に「大芝生広場」と「休憩広場」などの広場を設け、その南側に「チビッコ冒険広場」や「城址広場」、「花の広場」といった広場を目的に応じて設けた構成だ。それらの広場は丘の周囲に茂る木々に囲まれており、開放感には乏しいものの、緑に包まれて落ち着いた佇まいだ。北西側の丘裾にメインエントランスと駐車場、管理事務所が設けられ、そこから斜面をスロープの園路が辿って丘上の広場に繋いでいる。南側にも「南入口」が設けられているが、こちらは“山道”と言うべき小径が林の中を抜けている。北東側にも丘上の広場と園外を繋ぐ小径があるが、そちらはさらに細く急坂の小径だ。
大芝生広場と休憩広場
大庭城趾公園のメインとなる広場が北側の「大芝生広場」と「休憩広場」だ。その二つを合わせて円形の広場を成しており、それが植え込みや園路によって分割された構成になっている。それぞれに名が付けられているが、双方を合わせてひとつの広場を成していると言ってもいい。
「大芝生広場」はその名のように広々としており、木々に囲まれた丘上の立地でありながらも開放感を感じることのできる広場だ。「休憩広場」は木々がより密になり、開放感には乏しいが緑に包まれたような落ち着いた佇まいだ。広場内にはのんびりと休日のひとときを過ごす家族連れの姿もある。敷物とお弁当を持ってピクニック感覚で訪れるには好適なところだと言っていい。
広場内にはケヤキやクスノキ、サクラ、ユリノキ、メタセコイアなど、さまざまな樹木が植栽され、それらの樹形がアクセントになって景観も美しい。見事な枝振りの大きな木もあり、日差しの強い季節には木陰を落としてくれるのが嬉しい。サクラは特に多く、春には美しい景観を見せてくれる。広場の北側外縁部には藤棚を兼ねたパーゴラが設けられており、この藤もなかなか見応えのあるものだ。
チビッコ冒険広場
「大芝生広場」の南側には各種の遊具を設置した広場があり、「チビッコ冒険広場」と名付けられている。遊具の数はそれほど多くはないが、小さな子ども向けの複合遊具から小学生くらいの子どもたち向けの遊具まで、特徴のある遊具もあって子どもたちは楽しめそうだ。「チビッコ冒険広場」にも適度に木々が立ち、潤いのある空間を成しているのが嬉しい。
花の広場
「チビッコ冒険広場」の東側には林地の中に入り込むような形で「花の広場」が設けられている。梅林やバラ園、藤棚など、それぞれの規模は小さいながらもさまざまな花を楽しめる施設があり、それぞれの花の季節に訪れてみたいと思わせてくれる。奥まったところには四阿が置かれ、木々に包まれてひっそりとした空間が魅力的だ。
城址広場(掘立柱建物址)
大庭城趾公園の丘上の最も南側、園路脇に「城址広場」が設けられている。大庭城は三本の空堀によって四つの郭(くるわ)に分かれているそうで、「城址広場」はその最も南側の郭跡だという。広場内に並ぶ石柱は1968年(昭和43年)の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列を示したものだそうだ(実際の柱穴は原地表下50cmのところに埋められているとのことだ)。広場脇には「掘立柱建物址」として簡単な解説を記したパネルが設置されている。訪れた時には目を通しておきたい。
丘上の広場は端正に整備が行き届き、広場の周囲を回るように舗装された園路が巡る。広場内に新たに植栽されたらしい木々の姿も美しい。樹林に包まれた丘の上という地形が奏功して、丘の上は町の喧噪から離れた穏やかな空気感に満たされている印象だ。のんびりと園内を巡れば心安らぐひとときを過ごすことができる。園内には桜の木も多く、春には美しい景観を見せてくれる。「大芝生広場」や「花の広場」の藤の花も見事だ。「花の広場」には梅林やバラ園も設けられ、四季折々の花々を楽しむ公園としても充実している。「チビッコ冒険広場」には子どもたちのための遊具が設置され、子どもたちの遊び場としての役割も充分に担っている。魅力に溢れた公園だと言っていい。
本欄の内容は大庭城趾公園関連ページ共通、2024年5月現在の状況です
大庭城趾公園の最寄り駅は小田急江ノ島線善行駅だが、公園まで2km以上の距離がある。藤沢駅や辻堂駅、小田急江ノ島線湘南台駅などからのバス路線を利用するのが賢明だろう。バス路線の詳細などは藤沢市サイト(「関連する他のウェブサイト」欄のリンク先)などを参照されたい。
車で訪れる場合は藤沢バイパス(国道1号)の「城南」交差点から県道43号を北上するのがわかりやすい。城南交差点から1.5kmほど北上し、舟地蔵交差点を過ぎると左手に公園がある。綾瀬市方面から来る場合も県道42号から県道43号へと辿るのがわかりやすいだろう。県道43号を南下し、藤沢変電所を過ぎた辺りで右手に公園の丘が見えてくる。
公園駐車場は公園西側に設けられているが、初めての人には場所がわかりにくいので注意されたい。駐車場は40台分近い駐車スペースがあるが、充分ではなく、行楽シーズンの休日には満車状態が続くようだ。余裕を持って出かけた方がいい。
桜の花期、お花見シーズンには公園駐車場は駐輪場と身障者用駐車場として利用され、一般の駐車はできない(2016年4月現在)。臨時駐車場も用意されていないので、車での来園は避けた方がいい。
公園内にはレストランや売店などはない。公園周辺、東側の県道43号沿いや南側の県道47号沿いにファミリーレストランやコンビニエンスストアが点在している。
ピクニック感覚で楽しめる公園だから、お弁当持参での来園がお勧めだ。気持ちの良い“青空ランチ”が楽しめる。
大庭城趾公園から県道43号を挟んだ東側、引地川の河畔に
引地川親水公園
がある。さらに引地川に沿って、河畔には水田の広がる田園風景も残っている。引地川河岸の散策に足を延ばしてみるのも楽しい。
大庭城趾公園のすぐ南側、県道43号が小糸川を渡る大庭橋の袂に舟地蔵が祀られている。舟の形の台座に乗ったお地蔵様だ。その南側には舟地蔵公園という小公園がある。併せて足を延ばしてみるのもお勧めだ。
大庭城趾公園の北西側、「湘南ライフタウン」内には裏門公園や二番構公園など、城跡を偲ばせる名の公園が点在している。それぞれ小さな公園だが、公園巡りを愉しむのも悪くない。
大庭城趾公園の紹介(藤沢市)
早春の大庭城趾公園
桜咲く大庭城趾公園
紫陽花の咲く大庭城趾公園
引地川親水公園
河津桜の咲く引地川親水公園
桜咲く引地川親水公園
紫陽花の咲く引地川親水公園