埼玉県久喜市の北東端に位置する栗橋地区は江戸時代には日光街道の栗橋宿として賑わったところだ。今では宿場の面影はほとんど残っていないが、歴史の古い町らしい風情を漂わせて散策は楽しい。年が改まって間もない一月上旬、栗橋を訪ねた。
日光街道 栗橋宿
埼玉県久喜市の北東端、栗橋駅(JR東北本線、東武日光線)から南栗橋駅(東武日光線)の周辺に広がる辺りはかつて北葛飾郡栗橋町だったところだ。2010年(平成22年)3月、久喜市と南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡鷲宮町、との新設合併によって栗橋町は消滅したが、今でも旧栗橋町域は「栗橋地区」と呼ばれている。

栗橋は江戸時代には日光街道の栗橋宿として賑わったところだ。今では宿場町として面影を探すのも難しくなってしまったが、歴史の古い町らしい佇まいが良い風情を漂わせ、散策は楽しい。
日光街道 栗橋宿
栗橋の辺りは、そもそもは池田鴨之介(鴨之助)という人物が拓いた土地だという。新編武蔵風土記稿によれば、池田鴨之介は並木五郎平と共に幕府に願い出て、慶長年間(1596〜1615年)に下総国栗橋村(現在の茨城県猿島郡五霞町元栗橋)から村民を引き連れ、上河辺新田を開墾したのだそうだ。その後、関所が置かれ、日光街道の宿場として賑わうようになる。当初は新栗橋と呼ばれていたようだが、1600年代の半ばには栗橋宿に改称されている。

江戸時代後期の栗橋宿の様子を描いた絵図が、栗橋駅東口の階段横に掲示されている。興味深いものだ。ぜひ見ておこう。
日光街道 栗橋宿
栗橋散策のスタート地点は栗橋駅だ。現在の駅舎は2000年(平成12年)に建てられたもので、東にJR、西に東武が並び、自由通路を兼ねた橋上駅舎で繋がっている。どちらかと言えば東口がメインか。栗橋の中心市街も駅の東側に広がっており、旧日光街道も駅の東側だ。東口には駅前ロータリーがあり、駅舎横には鏡面仕上げの金属製のオブジェが建っている。
日光街道 栗橋宿
栗橋駅の東側、線路と利根川との間に栗橋の市街地が広がっている。北側から栗橋北、栗橋中央、栗橋東と並ぶ。主要路が市街地の外縁部を通っているからか、市街地内は車の通りは少ない。少し広い道路が幾筋か市街地の中を斜めに抜け、そこに細い道が複雑に絡み合う。歴史の古い町らしい様相で、町歩きの好きな人なら魅力的に感じられるのではないだろうか。
日光街道 栗橋宿
栗橋駅から市街地の中を東へ向かうと、1kmと少しで旧日光街道に出る。旧日光街道沿い、栗橋東三丁目の東南の端に炮烙(ほうろく)地蔵という地蔵尊が祀られている。焙烙というのは茶葉や豆などを炒ったり蒸したりするための土器のことだが、“火あぶり”という意味もあるという。かつては関所破りは火あぶりの刑に処せられたそうで、それを憐れんだ人々が供養のために建立した地蔵尊と伝えられているようだが、栗橋の関所で火あぶり刑が執行された記録は見つかっていないらしい。
日光街道 栗橋宿
焙烙地蔵が祀られている辺りが栗橋宿の南端部だったようだ。すぐ南側で旧日光街道(埼玉県道60号羽生外野栗橋線)が二度、直角に曲がっている。これはかつての枡形の名残だろう。今はそのすぐ東側の少し高みとなったところを国道4号が抜けており、旧日光街道の交通量は少ない。
日光街道 栗橋宿
焙烙地蔵前から北へ旧日光街道が延びている。街道沿いには古そうな建物も残り、歴史の古い町であることをうかがわせる。街灯柱には「日光街道 栗橋宿」と書かれた旗が提げられている。
日光街道 栗橋宿
焙烙地蔵から200mほど北へ行った辺り、街道の東側に顕正寺という寺が建っている。代々栗橋宿の本陣を務めた池田家の菩提寺である。この地を拓き、栗橋の発展に大きく寄与した池田鴨之介の墓もある。栗橋宿散策の際には池田鴨之介の功績にも思いを馳せておきたい。
日光街道 栗橋宿
顕正寺とは旧街道を挟んだ道路向かいに、深廣寺という寺が建っている。この寺の境内には六角名号塔という石塔がある。六角柱の形をしており、総高約360cm、一面の幅約50cmという堂々とした石塔だ。これがいくつも立ち並んでいる。深廣寺二代住職単信上人が伊豆から大石を船で持ち帰り、1600年代の中頃に供養塔20基を建立したものだそうだ。立ち並ぶ石塔の景観はなかなか壮観。ぜひ見ておきたい。
日光街道 栗橋宿
顕正寺前から数百メートル北へ辿れば栗橋宿の北端部だ。栗橋宿には関所があった。栗橋の関所は日光道中が利根川を越える房川渡(ぼうせんわたし)に設置されており、対岸の中田を併せて「房川渡中田関所」と呼ばれていたそうだ。この辺りは利根川堤防の改修工事で昔とはずいぶん景観が変わってしまっている。現在は1924年(大正13年)に建立されたという「栗橋関所址」碑が旧街道と利根川堤防との間に残されている。
日光街道 栗橋宿
栗橋関所跡の辺りで、旧街道の面影を残す景観も終わりだ。その北側は利根川堤防の改修工事によって大きく景観が変わっている。利根川橋が利根川を跨いで国道4号と国道125号を通しているのもこの辺りだ。
日光街道 栗橋宿
その利根川堤防の一角に八坂神社が鎮座している。八坂神社はそもそもは旧街道の北端部に鎮座していたものだが、利根川堤防の改修工事に伴って現在地に遷座している。かつては木々に包まれて社殿が建っていたようだが、現在は周囲からは一段高みとなった場所に遷り、開放感溢れる境内だ。
日光街道 栗橋宿
八坂神社から栗橋の市街地に戻り、南西の方角へと進んでいくと、住宅地の中に宝治戸池(ほうじどいけ)という池が横たわっている。1742年(寛保2年)の利根川の氾濫によってできた池であるらしい。本来はもっと大きな池だったようだが、現在は周囲350mほど。水辺に近づくことはできないが、池の北側と西側の道路から池の景観を間近に見ることができる。なかなか興趣のある景観だ。
日光街道 栗橋宿
宝治戸池の西側を栗橋駅へと向かう道が抜けている。沿道は基本的に住宅地だが、ところどころに畑地もある。道の曲がり具合など、昔からの道らしい様相だ。鎌倉街道中道の跡とも言われているようだが、はっきりとしたことはわからない。
日光街道 栗橋宿
栗橋駅東口から50mほど北に、「静御前の墓」がある。久喜市の指定文化財である。静御前は源義経の寵愛を受けた白拍子で、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にも記されているが、その死については各地にさまざまな伝承が残り、はっきりとしたことはわかっていない。栗橋の「静御前の墓」もそうした静御前の終焉の地伝説のひとつで、概略を記した案内パネルが設けられている。興味のある人は目を通しておこう。
日光街道 栗橋宿
そうした伝説が残っていることから、“静御前ゆかりの地”としてPRしようという気運もあるようで、駅にも静御前を描いた垂れ幕などがあった。史実はどうあれ、伝説は伝説として楽しめばいいのだろう。
日光街道 栗橋宿
栗橋は旧日光街道栗橋宿として賑わったところだが、今は利根川堤防の改修工事もあって昔の面影は薄く、旧宿場町の佇まいを探すのも難しい。それでも歴史ある町としての風情は残っており、散策は楽しい。旧街道沿いには“昭和レトロ”な意匠の建物なども建っている。町散歩の好きな人にはお勧めの栗橋である。
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
日光街道 栗橋宿
参考情報
交通
栗橋はJR東北本線、または東武日光線の栗橋駅が最寄り駅だ。駅東口から東へ向かえば旧日光街道だ。炮烙地蔵も栗橋関所址碑も駅から20分ほどで着く。

特に観光用駐車場は用意されていないので、車での来訪する場合は駅周辺のコインパーキングを利用しよう。

遠方から車で訪れる場合は、圏央道幸手ICや五霞ICが近い。幸手ICからも五霞ICからも距離は10kmを少し超えるほどの距離だ。

飲食
駅周辺に飲食店が点在しているが、あまり数は多くないようだ。栗橋で食事を楽しみたい場合は、予め下調べをしておいた方が賢明だ。

周辺
栗橋地区の東には利根川が流れている。町散歩から離れてひととき河岸散歩を楽しむのもお勧めだ。

栗橋の南は幸手市、桜の名所として知られる権現堂公園がある。桜の季節でなくても訪れてみたい公園だ。幸手市の中心市街もまた旧日光街道の宿場だったところだ。栗橋と併せて訪ねてみたい。

栗橋の北東側、利根川を渡れば茨城県古河市だ。古河公方公園などを訪ねてみたい。
町散歩
埼玉散歩