埼玉県幸手市は旧日光街道の幸手宿だったところだ。今は宿場町の面影はほとんど残っていないが、旧街道沿いには古い建物が残り、町の歴史を物語る。年の暮れも近い十二月下旬、幸手市を訪ねた。
日光街道 幸手宿
埼玉県幸手市の中心市街はかつて日光街道の幸手宿として賑わったところだ。そもそもこの辺りは利根川水系の舟運を利用して賑わい、鎌倉街道中道を往来する人々も多く、古くから栄えていた土地柄らしい。江戸時代になって日光街道が整備されると、幸手は日光街道の宿場として賑わった。幸手は日光街道と日光御成道とが合流するところでもあり、比較的大きな宿場として栄えたようだ。

日光街道は日本橋から日光東照宮までを繋ぐ。いわゆる“五街道”のひとつだ。日本橋から千住宿を経て、草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿と続く。一方、日光御成道は本郷追分(現在の東京都文京区)から幸手宿で日光街道に合流する。およそ48kmの街道で、歴代将軍の日光社参に使われた。もともとは鎌倉街道中道だった街道だ。

東武日光線幸手駅の東側、東武日光線と国道4号との間を南北に抜ける県道65号が旧日光街道だ。今は宿場町の面影はほとんど残っていないが、旧街道沿いには古い建物もいくつか残り、歴史の長い町であることをうかがわせる。道沿いには“昭和レトロ”な店舗も建ち、町歩きの楽しいところだ。
東武日光線幸手駅
日光街道 幸手宿
「日光街道 幸手宿」散策の出発点は東武日光線幸手駅だ。旧街道は線路の東側、駅を東口に出る。現在の幸手駅は2019年(平成31年)に完成したもので、現代的なデザインの橋上駅舎だ。権現堂桜堤を擁する町とあって、駅舎にも桜をモチーフにしたデザインが施されている。駅舎横の一角に「日光街道 幸手宿」を紹介するパネルが設置されている。初めて訪れた際には目を通しておくといい。
一色稲荷神社
日光街道 幸手宿
東武日光線幸手駅東口から南東の方角へ県道414号を100mほど辿ったところ、道の南側に一色稲荷神社が鎮座している。鳥居や幟には「正一位一色稲荷大明神」と記されている。この稲荷神社の建つ辺りにかつて古河公方足利氏の家臣一色氏の居城があったことから「陣屋稲荷」の別称もある。一色氏の氏神であったらしい。今も地元の人たちの信仰を集める神社だ。「幸手城跡と陣屋稲荷」と題された解説パネルが設けられている。目を通しておこう。
神明神社
日光街道 幸手宿
東武日光線幸手駅東口からへ県道414号を300mほど辿れば「幸手駅入口」交差点、この交差点を南北に通る道が県道65号、旧日光街道だ。交差点から数十メートル南、旧日光街道の東側に神明神社が鎮座している。この神明神社は1755年(宝暦5年)に伊勢皇大神宮の分霊を祀ったものという。この辺りが日光街道幸手宿の入口に当たり、江戸時代には高札場が設けられていた。開発者の新井右馬之助(あらいうまのすけ)にちなみ、右馬之助町と呼ばれていたという。
几号高低標
日光街道 幸手宿
神明神社の旧日光街道に面した鳥居の横に、ちょっとおもしろいものがある。一見するとただの四角い石なのだが、かつては灯籠の台座部分だったもので、上部が壊れてしまったものだという。この石の側面に「不」の文字のような記号が刻まれている。これは測量に用いられる水準点で、「几号高低標」と呼ばれるものだ。1874年(明治7年)にイギリス式の測量方法が導入された際、(当時の)内務省により設置されたものらしい。測量史に興味のある人は必見かもしれない。
岸本家住宅主屋
日光街道 幸手宿
神明神社の北側に「上庄かふぇ」というカフェがある。一見して古そうな建物は「岸本家住宅主屋」として国の登録有形文化財(建造物)に登録されている貴重なものだ。江戸末期に建てられたものらしい。登録されている解説文にも「ひときわ目をひく特異な外観で、往時の幸手宿の賑わいが偲ばれる。」の記述があるが、なかなか特徴的な外観が目を引く。この建物を活用して、現在はカフェが営業しているというわけだ。ランチメニューもあるので幸手宿散策の際のランチタイムにも好適だ。
小島商店
日光街道 幸手宿
「幸手駅入口」交差点から30mほど北、旧日光街道の東側に古そうな店舗が建っている。小島商店の建物で、1937年(昭和12年)に建てられたものという。小島商店はそもそもは薪炭や繭糸(けんし)を商う店だったようだ。小島商店は民間の建物だ。外観だけを見学していこう。
永文商店
日光街道 幸手宿
「幸手駅入口」交差点から300mほど北へ辿ると「中一丁目(南)」交差点だ。この交差点のやや手前(南側)、旧日光街道の西側に永文商店という店舗が建っている。永文商店は海産物の卸小売業として1903年(明治36年)に創業、現在は酒類を中心に食品の小売や卸業を営んでいる。建物が建てられた時期については明示されていないが、大正末期から昭和初期頃か。松尾芭蕉と弟子の河合曽良が「奥の細道」の道中に幸手に立ち寄ったことにちなんでか、建物の側壁に二人の絵が描かれている。
日光街道 幸手宿
街道沿いの店舗は昔は間口が狭く、奥行きが深くとられているのが一般的だった。江戸時代には間口に応じて税がかけられていたためだ。永文商店も旧日光街道沿いに建つ店舗らしく、江戸時代の慣習に習って間口が狭く、奥に深い。街道に面した店舗と奥まった倉庫で荷物を出し入れするため、全長約40mのレールが敷かれてトロッコが動いている。トロッコは現在も現役だそうである。昔の話などをうかがいながら、散策の土産に何か買い求めていくのも悪くない。
幸手宿問屋場跡
日光街道 幸手宿
「中一丁目(南)」交差点の北東側の角に「中央商店街ポケットパーク」という小公園が設けられている。1987年(昭和62年)に竣工したものという。小さな公園だが、敷地内にはベンチや幸手宿の案内板などが設置されている。この小公園は幸手宿問屋場跡である。「問屋場(といやば)」では主に幕府公用の馬や人足の継立、書状などを次の宿場に届ける飛脚業務などを行っていたが、他にもさまざまな業務があり、宿場にとって重要な施設だったようだ。
平井家
日光街道 幸手宿
「中央商店街ポケットパーク」の北側の隣にも古そうな建物がある。これは元米穀商の平井家の建物で、1922年(大正11年)の建築だという。今はもう商いはやってらっしゃらないようだ。
竹村家
日光街道 幸手宿
平井家の建物とは旧日光街道を挟んだ向かい側にも古い建物が建っている。こちらは元石炭商の竹村家の建物だ。昭和初期の建築だそうだ。こちらもすでに商いをやめていらっしゃるようだ。
幸手宿本陣 知久家跡
日光街道 幸手宿
「中一丁目(南)」交差点から60mほど北へ進むと「中一丁目」交差点だ。交差点の角に建つ義語家という鰻屋の建物脇、歩道に面して「幸手宿本陣 知久家跡」と題した案内パネルが設けられている。この交差点の辺りは、幸手宿の本陣や問屋、村名主などを務めた知久家の屋敷があったところだという。約千坪を誇る屋敷だったそうだ。江戸時代には幸手宿と共に繁栄し、明治初期には明治天皇が宿泊されたこともあたというが、その後は家運も傾いてしまったそうである。
飯村医院
日光街道 幸手宿
「中一丁目」交差点から50mほど北へ進むと、旧日光街道東側に飯村医院が建っている。建物は1923年(大正12年)の建築という。今も地元密着の医院として診療を続けていらっしゃるようだ(この日は土曜日で、午前の診療を終えられていたようだ)。
関薬局
日光街道 幸手宿
飯村医院から60mほど北、旧日光街道東側に関薬局の店舗が建っている。道路に面した部分はタイル張りの壁面が立ち上がって現代的な印象だが、この壁面の裏側には蔵造りの建物が隠れている。看板建築というものではなく、土蔵の横にタイル張りの壁面を追加したものだろう。明治期に建てられたものらしい。
高浜商事
日光街道 幸手宿
関薬局から100mほど北、埼玉りそな銀行の向かい側、旧日光街道の西側にも古い建物が残っている。肥料を商う高浜商事の建物だ。1934年(昭和9年)の建築という。今も商いを続けられているらしいのだが、今回訪れたとき(2023年12月)には戸が閉ざされていた。建物横に立つシュロの木がなかなか印象的である。
旧日光御廻道
日光街道 幸手宿
高浜商事の建物から50mほど北に丁字路の交差点があり、旧日光街道から西へ妙観横町という通りが西へ延びている。140mほど西へ進むと北側に妙観院という寺があるから、それが名の由来なのだろう。この妙観横町、かつての日光御廻道である。将軍家の日光社参の際、権現堂川の洪水を避けるための迂回路として整備されたものだが、けっきょく一度も使われなかったらしい。今は旧日光街道から西へ向かう一方通行の細道だ。
幸手一里塚跡
日光街道 幸手宿
旧日光御廻道との分岐からさらに北へ進み、「荒宿」交差点を過ぎ、「荒宿」交差点から100mほどのところで旧日光街道は右手(東側)に曲がる。その曲がるところに幸手の一里塚跡がある。日本橋から十二里(約47km)、幸手一里塚は明治の初め頃まではあったそうだが、今はない。今は一里塚跡を示す石碑が建てられ、簡単な解説を添えた案内パネルが立てられている。この辺りが幸手宿の北端部である。
正福寺
日光街道 幸手宿
幸手一里塚跡から(道なりに進まずに)真っ直ぐに北へ向かうと正福寺という寺がある。正福寺の境内には「日光道中」と大きく刻まれた道標が残されており、往時を偲ばせる。また同じ境内には義賑窮餓之碑(ぎしんきゅうがのひ)という記念碑も残っている。1783年(天明3年)の浅間山の大噴火による大飢饉の際、幸手宿の豪商21人が金銭や穀物を出し合って幸手の民を助けたそうで、碑はそれを讃えるものだ。義賑窮餓之碑は埼玉県の指定文化財である。
日光街道 幸手宿
幸手市中心市街の旧日光街道(県道65号)沿いは新旧の建物が混在し、歴史の古い町であることを感じさせてくれる。昭和初期以前に建てられた建物は見応えがあるが、高度経済成長期以後に建てられたと思われる建物にも“昭和レトロ”な魅力がある。旧宿場の面影は薄い幸手宿だが、町歩きは楽しい。往時の賑わいを想像しながら、のんびりと町散歩を楽しむのがお勧めだろう。
日光街道 幸手宿
日光街道 幸手宿
日光街道 幸手宿
日光街道 幸手宿
日光街道 幸手宿
参考情報
交通
幸手宿散策の最寄り駅は東武日光線幸手駅だ。東京駅からは途中で乗り換えが必要だが、1時間と少しで着く。

観光客用の駐車場は特に用意されていないようだ。車で訪れる場合は駅周辺に点在するコインパーキングを利用するといい。

遠方から車で訪れるなら圏央道を利用するのが便利だ。圏央道幸手ICから幸手駅前まで3km弱、10分足らずで着く。

飲食
幸手駅周辺や旧日光街道沿いなどに飲食店が点在している。散策しつつ気に入った店を見つけて食事を楽しもう。

周辺
幸手の市街地から少し北へ進めば桜で有名な権現堂桜堤だ。幸手の一里塚跡から権現堂桜堤東端部まで約1km、歩いても15分ほどで着く。権現堂桜堤は県営権現堂公園の一部で、公園はさらに広範囲に設けられている。桜の季節でなくても楽しめる。散策の足を延ばしてみたい。

権現堂桜堤の北(権現堂公園2号公園の西側)、国道4号と併走する旧日光街道に古い道しるべが残されている。史跡などに興味があるなら見ておきたい。

東武日光線で幸手から北へ(日光方面へ)二駅で栗橋駅だ。栗橋も旧日光街道の宿場町だ。また幸手から南へ(東京方面へ)二駅で東武動物公園駅だ。時間に余裕があれば立ち寄ってみたい。
町散歩
埼玉散歩